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霊界参入者として稲荷大神を霊視する──《稲荷大神》霊視録──


 数日前に手相芸人の島田秀平氏のYouTubeチャンネルにローリー寺西(一雄)氏が出演していて、狐憑きの話をしていた。
 内容はいわゆる異類婚姻譚へと繋がる内容を含みつつ、話の一部には、今敏監督のアニメ映画『パプリカ』の狂気のパレードを彷彿とさせる阿弥陀仏や七福神の行列についての描写があり、大変興味深かった。
 私は一時期、不二一元論に基づいて、全てを一緒くたに見做すという観点から神社であれば、無闇矢鱈に見境なく見かければ参拝していた時期があったが、稲荷神社にはどうしても抵抗があり、その不二一元論的無差別参拝の時期を過ぎてからは、稲荷神社の参拝は基本しないことにしている。
 私は稲荷崇拝と習合するところのインドのダーキニー信仰についてはそれなりに専門的に研究もしているのであるが、稲荷信仰については、無知であり、ほぼその反応は、生理的嫌悪以外何ものでもない。稲荷信仰についてそもそもそれが何なのか私には不明な部分が多いのである。そこでNoteに遠隔透視・アストラルトラベル、霊視の方法論を述べたのを機会に、今回はその能力を使って稲荷大神を霊視してみることにした。




稲荷大神霊視録


 日曜の朝に、通勤の為に、電車に揺られながら椅子に座る私は、目の前の大学生ぐらいのカップルの話のシャワーを、急な通り雨の如く否応なしに浴びざるを得ないのだった。
 明らかに美人に分類されるであろう若い女が、付き合いたてなのだろう、これも爽やかなイケメンの彼氏にスマートフォンに保存されている昔の自分の写真をみせている。
 二人は誰が見ても認めるであろう美男美女のお似合いのカップルであった。彼らは明らかに周囲に有頂天(バヴァーグラ)における幸福の雰囲気の幾分かを振りまいていた。
 若い女は嬉々として過去の写真を見せながら、当時付き合っていた元カレとのエピソードを彼氏に無邪気に話始める。男は元カレの話に至って、明らかにテンションが下がっているのが分かった。その様子に気づいていないのは、写真と元カレの話に夢中なこの若い女だけのように思われた。
 私は内心で「どうして女性は元カレの話を今の彼氏にしたがるのであろう。楽しそうなデートの最中に、相手のテンションがダダ下りになるのもお構いなしに。元カレの話をしないと死ぬ病気なのだろうか」と訝しく思うのであった。
 私は彼らの話し声を遮断するように、自分の呼吸を数え始め、そしてその呼吸に注意だけを向け、やがてハートの一点にその注意を集中する。身体は固定した状態となり、変性意識に入る。その後、幾つかの過程を経て、第三の目付近にある特殊な方法で、霊界へと続くポータルを形成し、その先にターゲットとしての「稲荷大神」を念ずる。──そして視界が開けた。





鬱蒼とした山の参道


高野山や比叡山のようなイメージ(分析判断)


巫女の格好をした狐や巨大な名状し難い怪物が参道を守っている


彼らを無視して参道を登る


結界ということである(私のガイドのМDの解説)


参道の石段をそのまま登り続けると視界が真っ暗になる


これも結界である(私のガイドのМDの解説)


さらにそうした結界を無視して参道を登ると山頂に巨大な霊体が蟠っている


その霊体が白蛇の巨大な姿になる


どうして稲荷大神なのに白蛇なのだろうか疑問に思う(分析判断)


その霊体が変容して光の存在になる


これが稲荷大神のようである


霊体に何者なのか審神すると地母神ではなく、穀物神との説明である


稲作文化の伝播で来たのか尋ねると、「そうだ」という


エレウシスの密儀の霊視で最近会見したデーメーテール女神の話をすると「そんなものと一緒にするな」と言う


かなり高圧的な感じ(分析判断)


どうして眷属の狐が人に憑くのか尋ねると、「自分の門番の私生活に監視などしない」と言う説明


光が薄くなり、暗くなり、あまり歓迎されて居ない様子なので、立ち去る


彼女は稲作文化に基づく地域神であり穀物神であるということ(私のガイドのМDの解説)



生成AIによるイメージ画像



稲荷大神霊視の分析研究


 私は伏見稲荷に参拝に行ったことがないのだが、伏見稲荷は稲荷山という小さな山の麓に社があり、山頂まで参道が続いているというのを霊視後に初めて知って、この山と参道の霊視自体かなり正確に稲荷山を再現できていることに驚いた。
 また、元々稲荷山は蛇神信仰の中心地であり、山頂で白蛇が出てきたのも古い時代の稲荷山信仰の姿を再現していて、霊視の時は疑問に思ったが、検証により、自己の霊視の正確さに再び驚かされた。
 その後に白蛇は光体に変化し、それが稲荷大神の本体であった。印象としては「わらわは何々ぞ」と云いそうなかなり高圧的な神格という印象であった。
 最近、別に霊視したエレウシスの密儀のデーメーテール女神は地母神であるが、稲荷大神は穀物神であり、言い換えれば、植物神ということになる。幻覚をもたらす南米のペヨーテの精霊や、マヤ文明のとうもろこしの神、インドの植物の精霊であるヤクシャ(夜叉)やヤクシニー(夜叉女)などもその系統に分別できるであろうが、地母神に比べると植物神にはある種独特の性格があり、それは地母神の慈愛のような要素が少ないということに尽きる。
 植物神は無条件に共感するのが難しい存在であり、不可解なのである。稲荷大神にもそういう要素が多分にある。その原因は彼らが動物ではなく植物に由来するということにあると考えられる。


 ネットでさらに調べていたところ、稲荷大神の御絵札の画像があり、そこでは下部に狐がいて、中央に米俵の上に白蛇のようなものがいて、上部に簾が描かれていた。つまりその簾の先の見えない上部に正一位の稲荷大神の臨在が表されているのだと考えられる。そして、私の霊視の展開がこのお札の図柄の通りの展開であるのは、私の霊視が正確なのはおいておくとしても、逆にその御絵札自体が明らかに稲荷大神の霊界における情報(アカシックレコード)を描写したものであるということが推察されるのであった。
 一番知りたかった狐憑きの問題だか、自分の眷属の私生活まで稲荷大神はいちいち見張ったりしないという話であり、稲荷大神の威光を笠に着て、その眷属の狐が悪さをするのだと考えられる。
 稲荷大神は、高圧的で気位が高いので、印象から判断するにいちいち末社の参拝者の願いを聞き届けるようには思われないので、眷属の狐などが、参拝者との取り引きにより、願いを聞き届けるのであって、それ故、面倒なことになりやすいのだと考えられる。恐らく、稲荷神社の末社が粗末にされようが稲荷大神自体は何とも思っていないと思われる。それで怒るのは、これまで供え物にありついていた眷属の狐なのである。稲荷信仰と言っても、結局は願望成就という観点では眷属の狐信仰であり、彼らが参拝者との霊的交感によりエネルギーを得て、時に狐憑きなどをして悪さをするのだとも考えられる。結局のところ、稲荷大神は穀物神なので、人間の願いなどには何の関心もないと言えそうである。
 伏見稲荷は歴史的には朝鮮半島から渡ってきた秦氏の分家の秦伊侶具が稲荷山の麓において創建したものである。ここから霊視によって日本の歴史の闇に繋げていくこともできそうなので、日本の史書に記載されていない太古の闇を今後霊視してみたいと考える次第である。




 稲荷信仰者の方々から見れば、大変不届き不埒な霊視結果であると考えられるが、私はともかく稲荷大神を見神しているので、ぜひ稲荷信仰者の方々は稲荷大神に祈るばかりではなく信仰対象を私のように可能であれば見神することをおすすめする。



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