超感覚的世界への道2──如何にして人は霊界参入者となるのか──(《エレウシスの密儀》霊視録付き)
霊界参入者において、霊界・幽界・神界・冥界、異世界などへの参入能力により、その態度は5種に大別できる。
①鉱物的な態度
②植物的な態度
③動物的な態度
④人的な態度
⑤被免達人的な態度
①鉱物的な態度とは、あちらの世界から干渉を受けても無反応な人のことを言う。つまり零感の全ての人々である。
②植物的な態度は、あちらの世界からの干渉に受動的に反応する態度であり、全ての霊能者、霊媒者、チャネラー、預言者、ヨーガの修行や、事故などによる肉体損傷などにより、意図せず遠隔透視能力の発現した人々などがこれに当てはまる。
③動物的な態度は、あちらの世界に自分の意志で参入できるシャーマン以上の人であり、その探究の方向性が低次元な自分の欲望の実現方向にしか向かず、高い次元へと意識が向かない動物的な欲望に支配された態度のことである。
④人的態度は人間的な余りに人間的な関心に基づき幽界、霊界に向かう態度である。
⑤被免達人的態度は幽界、霊界、神界を自由に闊歩し、あちらの世界の住民達の惑わしに騙されることなく、あらゆる障碍を超えて、あちらの世界を全体として絶対的に知ろうと欲する霊的探求者の態度である。
そして私がこれより述べる方法論は、③より上位の行動を可能にするものである。
とは言え、得難き人身を得た身であっても、霊界に対する盲目性というのは、それ相応に理由があってのものである。
そのような世界に対しての無知は、ある種の決められた生来のシナリオを逸脱しない為の防壁でもあり、1回限りの人生と早々と諦念し、裏設定を知ることなく、精一杯に生きることこそが、平均的な人間の宿命でもあり、そして許された幸福でもある。
またガウタマ・シッダールタ(仏陀)は、毒箭の例えをもって、一切皆苦の、この輪廻するサハー世界において、苦しみを除くことこそが先決であり、世界の隠された構造や、魂の実在や、人はどこから来て、どこに行くのかなどの来歴を哲学的に思索することは、無意味と断じもしたのであった。霊界参入などよりも事上磨錬のカルマの解消や、人格向上、魂の修養こそが人の全うな道と言い得るわけである。
従って、人の知るべきことには制限があり、それを敢えて超えようとすることは、不遜でもあり傲岸でもあると言い得えるだろう。
従って、私は、人身を得た身において必要最低限度とも言うべき瞑想能力を獲得する方法として、初禅から四禅に至る道をなるべく分かりやすく書き記しもしたのだった。一般の人々、ささやかな幸福や堅実な生活を追求する人々にとっては、それで充分過ぎるぐらいであり、クリシュナムルティやエークハルト・トールに匹敵する意識を実現できたならば、不足はないはずである。
と言うわけなので、私は、ささやかな幸福とつつましい生活を追い求める、幸運な防波堤の中で生きる全ての愛すべき方々には、以下の線より先には進まぬことを、三度平伏し、劉備玄徳もかくやとばかりに、三顧の礼を以て、願い奉る次第なのである。
が、それでも敢えてなお人間的な余りに人間的な知覚の限界を越えて、霊界参入を志さんとする頑迷なる方々、無謀なるお歴々、魂の生来の冒険者、断固たる意志を有する勇敢なる古強者の方々のみ、以下より、小銭を握りしめて駄子屋に向かう幼年時代の記憶と共に、鳴り止まぬシンバルの如き、期待を胸にしながらお進みいただければ幸いである。
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