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超感覚的世界への道1──遠隔透視(千里眼・天眼)・アストラルトラベル(シャーマン的天空飛翔・霊界参入)総説──



 人智学の創始者であるルドルフ・シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』を心躍らせつつ、その書を紐解き、そして通読後、超感覚的世界の認識を獲得することもなく、煙に巻かれたような印象と共にその書を閉じた人が、この記事の読者にどのくらいいるかは分からぬのだが、残念ながらシュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』には、実際の超感覚的世界の認識を獲得する方法は、具体的には述べられていない。これは笑えない事実であり、故にその題名は誇大広告の類に過ぎぬと言えよう。シュタイナーの『アーカーシャ年代記より』は、それが実際どの程度真実の歴史に肉薄しているかは度外視しても、その書がシュタイナーの霊視に基づいていることは確かである。そして『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』を読んでも『アーカーシャ年代記』を可能にする霊眼は身につかないと断言してよい。これは霊視の内容はともかくとして、詐欺師の遣り口と言えそうである。つまりいつものパターンであって、自分はできるが、他人にはそれを可能にする方法の要訣は教えないということに尽きる。自己の霊視の専売特許が失われるからである。零感の私は、とあるきっかけから遠隔透視の実在を確信するようになり、そして何人であれ、それを可能にするメソッドが存在すると言う結論に到達して、その前提を元に、自ら遠隔透視(千里眼)とシャーマン的天空飛翔ないし霊界参入の方法論を、五、六年前に確立したのであるが、私の知る限り、私の方法論は、長い霊的修養を必要とせず、万人に開かれたもっとも簡易な方法であり、そして最も確実な方法でもある。そしてその能力実現の方法論の開発者の観点から、今回の記事では、古今東西の遠隔透視(千里眼・天眼)・アストラルトラベル(シャーマン的天空飛翔・霊界参入)についてその大要を概括してみたいと思うのである。

 


零感の私が遠隔透視(千里眼)の実在とその実現方法の確実な存在を確信した経緯



 それは、エモリー大学の政治学の準教授(当時)であったコートニー・ブラウンの『コズミック・ヴォエージ』(南山宏訳、徳間書店)を手に取ったことに始まる。この書は、アメリカが冷戦時代に秘密裡に行なっていた遠隔透視実験、通称「スターゲート計画」の当事者から手解きを受け、単なる一介の政治学者に過ぎなかった著者が、遠隔透視の能力を身につけて、様々な隠されたこの世界の種々相を、縦横無尽に遠隔透視によって、垣間見、そして知ることになる、その過程を描いた知的興奮に満ちた稀代の書である。とは言え、そこにおいてもご多分に漏れず、肝心の遠隔透視の方法論は記載されていない。どうも「スターゲート計画」の当事者達は、実際の遠隔透視のヴィジョン形成の方法論については口を噤む傾向があり、仲間内で暗黙の、ないし明示的な秘密厳守の規定があると推測できるのである。
 ここで米軍が秘密裡に行なっていた遠隔透視実験「スターゲート計画」の沿革を見ていこう。
 そもそもの始まりにおいて、それは冷戦下での米ソの熾烈な軍事競争が原因であった。科学者や政治家など一般の人々は、その科学的、宗教的、唯物論的信条上、超能力については懐疑的であったが、軍隊関係者は目の付け所が違っていた。彼らの目的は敵を出し抜き、冷戦の軍事軍拡競争に勝つことの一点にある点ではブレはなかった。つまり原因や過程が疑わしかろうが、一般的な科学的、宗教的信条に抵触しようが、そうしたことはお構いなしに、結果が上出来なら何でも取り入れようというある種の実利的態度である。勝つ為なら手段を選ばず、如何なる手段を用いようとも敵を破壊し殲滅し破滅させる。これがご存知の通り戦争の信条であり、掟なわけである。
 当時、アメリカのスタンフォード調査研究所(SRI)で物理学者のラッセル・ターグとハロルド・パソフが、生来の霊視能力を有する画家のインゴ・スワンと共に実施した一連の科学的な遠隔透視実験の成果が、1974年に『ネイチャー』誌において発表され、それに軍が注目したのは当然の帰結であった。
 1977年に国防情報局(DIA)が、アルバート・スタブルバイン少将指揮の下、本格的にスタンフォード調査研究所(SRI)と組んで、「スターゲート・プロジェクト(計画)」を始動させたのである。
 このプロジェクト出身の有名人と言えば、『マインドトレック』の著者で、日本では「FBI超能力捜査官」というトンデモ肩書で人口に膾炙するジョセフ・マクモニーグルがいる。
 ちなみにこのスターゲート計画は、DIAの極秘プロジェクトであって、始めCIA(中央情報局)は絡んでいなかった。そもそもDIAとCIAの違いを説明すると、CIAは国家情報長官、直属の諜報機関であり、大統領と内閣に主に情報を提供し、世界的な謀略作戦を行っている。それに対してDIAは、国防総省の諜報機関であり、アメリカ軍に属する。日本で言えば、内閣府に属する諜報機関か、自衛隊に属する諜報機関かの違いのようなものである。最終的に「スターゲート計画」は、CIAに1994年に管轄責任が移管され、1995年に「成果なし」と調査報告がなされ幕引きとなった。
 しかし少しでも物事を考えることのできる人間ならば、アメリカ陸軍が20年近く全く効果のないたわごとに国家予算を使うか否かということに想いを致せば、その秘密プロジェクトの意義が理解できるはずなのである。20年と言ったら生まれた赤ん坊が成人を迎えるまでの期間であり、その間、アメリカ陸軍の情報将校が、有りもしない蜃気楼相手に、誇大妄想的な実験を国家予算を使って繰り返していたということが果たして理性的に有り得ることであろうか。少なくともCIAに業務移管されるまで、それは研究に値し、軍事転用可能と考えられていたのである。従ってそれは原因や過程はともかく結果を残していたのであり、遠隔透視というものは、ヨーガ行者や統合失調症すれすれの霊能者のたわごと以上の何事かであるということがここから推論できるわけである。少なくとも遠隔透視能力は、アメリカ軍が20年に渡り、その予算を使い研究するに値する研究分野であったのは確かであったわけである。



スターゲート計画の公開されているプロトコル



 スターゲート計画において、ハロルド・パソフやラッセル・ターグ、そしてインゴ・スワンが作成した遠隔透視のプロトコルを以下である。

 RV(リモート・ヴューイング)は、ターゲット(目標)に焦点を合わせる。それは場所や建物、出来事、生命体など、知覚可能な全ての対象物を含む。遠隔透視(RV)を実践するのは透視者(ヴューアー)と呼ばれる。遠隔透視の対象となる目標を設定する人は目標プールの作成者と呼ばれ、透視者と同席する人はモニターと呼ばれる。
 次に遠隔透視をした対象を確認するのが屋外移動者であり、遠隔透視者が遠隔透視に成功したかを判定するのがアナリストである。
 初期のSRIの遠隔透視実験では、対象は必ず屋外移動者が確認していたが、軍事利用の為には、当然、敵地に確認に行くわけにはいかないので、インゴ・スワンが開発した地図の座標軸を使う方法がとられるようになった。つまり地図の座標軸の任意の数字から、その場所を透視するという実験である。これでも遠隔透視は成功した。さらに実験は発展し、任意の数字を割り振られた対象物や出来事をその数字から遠隔透視することも可能であるということが理解されるようになってきたのだった。

 かくして遠隔透視は、大雑把に言って以下のタイプに分類される。

①遠隔透視者が、単独で自ら遠隔透視対象を選定し遠隔透視する。

②遠隔透視者が、単独でブラインド(対象を知らされない)状態で、前もって作成されたリストからコンピュータがランダムに選んだものを遠隔透視する。

③遠隔透視者が、単独かつブラインドで目標を外部機関によって選定してもらい透視する。

④モニター同伴で、遠隔透視者はブラインド、モニターは事前に目標を知った状態で遠隔透視する。

⑤モニター同伴で、モニターも遠隔透視者もブラインドで、ランダムに選定された対象を透視する。

⑥モニター同伴で、モニターも遠隔透視も事前に対象を知った状態で遠隔透視する。

 こうした様々な条件の組み合わせによって遠隔透視実験はなされる。その中で遠隔透視者が対象を知らされていない状態、つまりブラインドで遠隔透視する方法が、情報に対して無意識の介入による汚染度のより低いデータと見なされるわけである。
 しかし、繰り返しになるが、「スターゲート計画」の関係者の本のどれにも具体的な遠隔透視のヴィジョン形成の方法論は述べられていないのである。つまり上記の内容は、ヴィジョンをどう取り扱い、評価するかという外的形式であって、遠隔透視者の内面で行われているヴィジョン形成の内的方法は、シュタイナー同様にブラックボックスのままなのである。
 私はこの『コズミック・ヴォェージ』から、「零感の一般人でも何らかのテクニックを用いれば、縦横無尽に遠隔透視が可能になる」という確信を得て、また「スターゲート計画」の二十年の米軍の研究の事実から、「遠隔透視は疑いなく実在する」という確信を得たのであった。そして、この二つの命題を綜合し、「遠隔透視は疑いなく実在し、何人であれ、何らかのテクニックによれば、遠隔透視が実現可能である」という作業仮説の命題を得て、そこからヨーガなどの霊的知識と帰納的推論によって、実際の方法を編み出すまでは、数日であった。そしてそれを私は賢明なる読者諸氏と共有したいと考えているのである。



古今東西の遠隔透視(千里眼)・アストラルトラベル(シャーマン的天空飛翔・霊界参入)の具体例


 

シャーマンの天界飛翔と冥界下降


 シャーマニズムについて比較宗教学者ミルチア・エリアーデの『シャーマニズム』(堀一郎訳、ちくま学芸文庫)を参考に述べる。
 シャーマニズムの語源となったシャーマンは、シベリアと中央アジアの宗教現象であり、その語はロシア語を通して、トゥングース語のšamanに由来するものである。
 そして、エリアーデは、シャーマニズムという文化現象の主体であるシャーマンを、未開社会一般に散見される呪術師(magician)、妖術師(sorcerer)、呪医(medicine man)から区別することを提案する。シャーマニズムのエリアーデの定義は、「エクスタシー技術」である。それはつまり通常の日常意識を超えた変性意識の技術体系に他ならない。そして呪術師などと区別する弁別特性としてシャーマニズム特有の現象として二つの現象を挙げる。内的な「火の統御」と「呪的飛翔」である。エクスタシー技術を用いたこの二つの現象が観察されるならば、彼はシャーマンであり、呪術師、妖術師、呪医とは異なる者と見做される。また様々な形式を有する呪的医療においてもシャーマンは、とりわけシャーマン的エクスタシー能力を用いてそれを行うのである。また未開社会に頻出する「精霊」との関係においても、エリアーデの定義では、イタコのように霊を自らに降ろす憑霊者と区別して、「シャーマンは彼の「精霊」を支配する」と言われる。
 シャーマンは、まず様々な経路によって導かれ、イニシエーションによってその能力を獲得する。自然発生的な精霊や祖霊からの召命、シャーマン家系における世襲、自らの病を治すことから始まる自己発展型、あるいは志願などがその経路である。イニシエーションは、エクスタシー的変性意識の中で「身体の解体」「天界上昇」「冥界下降」を通じて行われる(このようなシャーマンの「身体の解体」「天界上昇」の事例と、宇宙人による誘拐(エイリアン・アブタクションの事例や妖精との邂逅事例との経験構造の共通性から、宇宙人は異次元から到来しているという内容を書いたのが、作家グラハム・ハンコックの『異次元の刻印』である)。
 またシャーマンの能力は、イニシーションの中で精霊や動物霊、シャーマニズムの伝統における神々などを通じて獲得される。エスキモーのシャーマンの一人はこのように自分の祖父であるシャーマンについて語っている。


私もシャーマンですが、祖父のティトクァツァクとはまったく較べものになりません。祖父の生きていたころには、シャーマンは本当に<海豹母神>のところまで降って行くことができ、月へ昇ることもでき、この空間を越えて旅することさえできたのです……。

エリアーデ『シャーマニズム』(堀一郎訳)下巻 p.13 筑摩書房



 こうしてシャーマンはエクスタシー技術を用いて異界を旅し、死にかけた人の魂を黄泉の国から連れ戻したり、病を治療したり、植物や動物からその秘密を聞き出し、千里眼的能力により自己の共同体に属する人々に恩恵を授ける者となるのである。
 シャーマンのエクスタシー技術を用いた天界飛翔や冥界下降は、シャーマンをして、神々と邂逅させ、死者の世界に赴かせ、月へと登り、この空間を越えて旅を可能にするのである。そしてこの内容と同一の異世界探索を、『コズミック・ヴォェージ』のコートニ・ブラウンも同じく行なっているのであり、「スターゲート計画」で研究された現代の遠隔透視法がシャーマニズムの天界飛翔や冥界下降と同一の体験の地平を可能にしているのは興味深いと言えるだろう。


仏教における天眼(千里眼)の獲得方法


 ブッダゴーサの『清浄道論』において、具体的に天眼の獲得方法が述べられている。


而して、斯の如く〔天眼を以て〕見んと欲する初學の善男子は、〔地・水・火・風・青・黄・赤・ 白の八遍の何れかの〕遍を所縁とする神通の基礎禪を〔十四種の心の調練等の〕 一切行相によりて〔天眼智に〕導引するに適せしめ、火遍・白遍・光明遍の三遍の何れかを天眼智に近づかしむべし、即ちその遍を近行禪の境(所縁)となして増大せしめて置くべし。その際、安止[禪]を生起せしむべからずとの意味なり。蓋し、若し 〔安止禪を〕生起せしめなば、〔その遍は〕基礎の依止となりて遍作(準備定)の依止とならざればなり。而して此等三〔遍〕の中にて光明遍のみが最も勝れたり〔而して他の二遍はこれに次ぐ〕。故にそ〔の光明遍〕を又は他〔の二遍の何れかを所縁となし〕、遍の解釋に於て説きたるが如き方法によりて〔四種禪〕を生起せしめ、 〔更 に〕近行地のみに在りて〔遍を〕増大せしむべし。その遍の増大法も遍の解釋に於て説きたるが如しと知るべし。〔而してその〕増大せし處の内のみの色を見るべし。

ブッダゴーサ『清浄道論』水野弘元訳 南伝大蔵経 第63巻 第十三品「神通の解釋」


 『清浄道論』に記された遠隔透視の方法は、前回の記事で述べた地遍の応用とも言うべき、火遍・白遍・光明遍によって、その遍を維持しつつ近行定(ウパチャーラ・サマーディ)に至り、その遍を以て対象(ターゲット)に意図的に向ければ、遠隔透視ができ、梵天界に至るまで透視できるようになるというものである。神々を祭る人々は多いが、この方法によれば、神々に自在に会うことができるようになるわけである。この技法は、後述するが、近代の西洋儀式魔術における、スクライング技法やタットヴァ瞑想のネタ元でもある。とは言え、この方法はできるようになれば確実かつ強力なのだが、本式での瞑想修業が必要であり、現代人には難易度が高いと言えよう。因みに私事で恐縮だが、私は、自己の遠隔透視の技法から発展したシャーマン技法で、インドラ神(帝釈天)の住むアマラーヴァティーを様々な世界に向かうハブとして利用していて、インドラ神には頻繁に会いに行くのだが、最近、それとは別の仙道的な「観落陰」の技法によって自分の守護神に会う方法を試して仙界に向かったところ、黄帝が現れ、自ら雷神を名乗り、どうも知ってる感じだと思っていたら、彼はいつも会っているインドラ神であったということがあった。意識をこちらに戻してからネットで調べると、これまで知らなかったのだが、黄帝は元々は雷神であったということである。つまり中国の黄帝はインドラ神と同根の神であるというのが、シャーマン技法を使った探索から導きだされた私の結論ということになる。そして私の守護神はインドラ神であり、道教で言えば黄帝なのであった。



『ヨーガ・スートラ』における遠隔透視法



pravṛttyālokanyāsātsūkṣmavyavahitaviprakṛṣṭajñānam || 3.25 ||

〔対象に向かって〕働きとしての光明を置くことにより、微細なもの、隠されたもの、遠隔のものの認識がある。(3.25)

パタンジャリ『ヨーガ・スートラ』私訳


 パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』においても『清浄道論』同様にサンヤマ(対象に凝念、禅那、三昧を向けること)による遠隔透視の方法が述べられているが、原理は一緒である。光明遍を知りたい対象へと向けるのである。



バルトリハリの『ヴァーキヤ・パディーヤ』における遠隔透視法


 5世紀のインドの大文法学者であるバルトリハリは、その文法学の書『ヴァーキヤ・パディーヤ(文単語論)』においてこのように時空を超えた遠隔透視について語っている。

āvirbhūtaprakāśānām anupaplutacetasām |
atītānāgatajñānaṃ pratyakṣān na viśiṣyate ||1. 37 ||

明瞭に光明が現れて、圧倒されることのなくなった心を有する者達の、過去と未来の認識は、直接知覚からは区別されない。(37)

atīndriyān asaṃvedyān paśyanty ārṣeṇa cakṣuṣā |
ye bhāvān vacanaṃ teṣāṃ nānumānena bādhyate || 1.38 ||

超感覚的な、知られることのない諸々の事物を、リシ(聖仙)の視力によって見る、彼らの発言は、推論によっては排されない。(38)

バルトリハリ『ヴァーキヤ・パディーヤ』第1巻 私訳

 バルトリハリが語っていることも光明遍による遠隔透視の話であり、このように紀元前5世紀から5世紀までの間のガウタマ・シッダールタや、パタンジャリが著者と目される『ヨーガ・スートラ』の著者、5世紀のバルトリハリやブッダゴーサにおいて、光明遍を使った遠隔透視は、よく知られた技法であった。



ジャイナ教のウマースヴァーミーの『タットヴァールタ・スートラ』における遠隔透視の扱い


matiśrutaavadhimanaḥparyayakevalāni jñānam || 1.9 ||

感覚的・伝聞的・千里眼的・精神感応(テレパシー)的・ケーヴァラ(全体)的なものが、〔五つの〕知である。(1.9)

ウマースヴァーミー『タットヴァールタ・スートラ』私訳



 ジャイナ教において、五つの知が分類されていて、そのうち下から三番目のものが「アヴァディ・ジュニャーナ(千里眼)」である。当たり前のように、ジャイナ教教学において千里眼が知の階層に組み込まれていることがここから分かる。『タットヴァールタ・スートラ』には、千里眼は、カルマの除去によって発現すると書かれているのみで、具体的な方法は書かれていないが、ジャイナ教において、こうした千里眼に基づいてその宇宙観が体系付けられていたと推察されるわけである。



西洋儀式魔術におけるタットヴァ瞑想とスクライング技法


 大英帝国がインドを植民地化することにより、インドのヨーガやオカルト的な知識がイギリス本島に流入し、黄金の夜明け団における瞑想方法として十遍の瞑想がそのままタットヴァ瞑想として移植されることになった。



 タットヴァ瞑想は、通常の十遍の瞑想に近いものから、上記のような象徴的な元素を現す色と図形とその周囲を取巻く補色から構成されるカードを用いるものなどがある。この図を数十秒眺めて、他のところに目を転じるとぼんやりと残像が出現する。そしてその残像を内的に維持しつつ、そこからそのヴィジョンを拡大させ、扉やカーテンに変容させ、その扉やカーテンが「開かれるような」「切り裂いて開かれるような」イメージと共に、視点を進めた先に異界のヴィジョンが開かれるのである。この場合、その扉やカーテンの先に自分の見たいものがあると意識確定させ、カーテンや扉を開くイメージで進むと、任意の対象への遠隔透視やアストラルトラベルが可能となるのである。この方法の弱点は、残像の維持が難しいのと、これまでのインドの方法のように光明遍や白遍や火遍などの閃光的な輝きの要素が低い為に、ヴィジョンに強さが現れない点にある。ヴィジョンが幽界的、幽明的なのである。またこの方法は、タロットカードの中に入る方法や、生命の樹の十のセフィラーと二十二のネティーヴ(小径)に入り、生命の樹の象徴界を体験する方法へと発展可能である。ちなみにアレイスター・クロウリーは、アストラルトラベルを用いた、光体強化法として、光体化した意識をひたすら限界ぎりぎりまでどこまでも上昇させるトレーニングを推奨していた。



幽体離脱(体脱)によるアストラルトラベル


 幽体離脱によるアストラルトラベルの第一人者と言えば、アメリカのロバート・モンローであろう。彼はある時から幽体離脱しやすい体質になり、ガチガチの唯物論者から、最終的には幽体離脱の達人になり、アルトラルトラベルに関する数冊の本を著した。他方で、左右で異なる周波数の音を聴くことにより、変性意識を作りだすヘミシンクという方法を考案した。しかし、ヘミシンクは一部の人に効果があっても全ての人にそれだけで、変性意識を作りだして幽体離脱に導くことができるかとなると体験者の報告から言えば疑わしいと言わざるをえない。
 モンローのアストラルトラベルにおいて、その初期は幽体離脱によるものであったが、幽体離脱の労力の大きさから、その後期には、遠隔透視的な技法の延長的な技法に基づく、アストラルトラベルの方法に切り替えられたようである。幽体離脱でのアストラルトラベルと遠隔透視によるアストラルトラベルは、体験の没入性は、幽体離脱の方が深いが、その自由度は、幽体離脱の方が、遠隔透視によるアストラルトラベルより低いという問題がある。幽体離脱をした場合、体験から言うとより重い幽体離脱(エクトプラズ厶による離脱)だと壁を抜けたりができない。軽い幽体離脱(幽体ないし霊体による幽体離脱)だと壁を抜けたりは自由にできるが、酩酊した状態や夢見の状態のようになり、自由な思考や自由意志が制限される場合が多い。推論に過ぎないが物質化現象、すなわち錬金術的な技法は、この重い幽体離脱(エクトプラズ厶)の媒介が必要であり、霊体的な身体のみで霊界からこちらの世界に何かを持ってこようとしても物質化は起こらない。
 ロバート・モンローの著作(『体外の旅』『魂の体外旅行』『究極の旅』)は現代のシャーマン的な世界を体現していると言ってよく、遠隔透視やシャーマニズム技法の探究者にとっては必読書と言っていいだろう。




ある種の幻覚剤を用いた遠隔透視及び霊視


 これは南米の有名なアヤフアスカやペヨーテ、LSDなどを用いた方法であるが、物質的なものに頼るという点では軟弱な部類に属する。カルロス・カスタネダのドン・ファン・シリーズやティモシー・リアリーのLSDの著作、人類学者のマイケル・ハナーの『シャーマンへの道』(吉福伸逸監修、高岡よし子訳、平河出版社)などにそれは詳しい。とは言え、これらは体験する為には南米に行くか、法の網の目をかいくぐらざるを得ず。全くもっておすすめできない。アーリヤ人のソーマやギリシア人のエレウシスの密儀でのキュケオーンなども、ここに分類できよう。多くのシャーマン技法にはこうした古代からの幻覚剤による日常意識の低下と変性意識の形成によって培われたものとであったと推察される。



遠隔透視とシャーマニズム技法の差異


 遠隔透視(霊視・千里眼・天眼)とシャーマニズム技法(アストラルトラベル)は陸続きの技法であり、その境界線は曖昧である。
 例えば、ある対象を遠隔透視した場合、内的ヴィジョンに当該対象が現れる。そしてそのヴィジョンの視点は任意に移動可能なので、その対象周辺が探索可能となる。そしてそれは物質次元にとどまらず、神界や霊界など任意の地点に向けることもできる。またその内的ヴィジョンの視界で、当該地域のガイドと出会うか、自らの分身とも言うべき『ジョジョの奇妙な冒険』で言うところのスタンド(幽波紋存在)的なものを形成して、そのスタンドに探索させたり、あるいは自己の分身を使い、該当地域の存在とテレパシーで交信し、コミュニケーションを取ったりもできる。これは仏教教学では天耳(遠隔の音や声を聴く)・他心通(遠隔の存在のメッセージを受け取る)の延長にある。こうなると遠隔透視が、幽体離脱によるアストラルトラベルと、その没入度の相違以外、区別がつかなくなる。またこちらの思考や自由意志が薄弱化しないという点では、神界・霊界・幽界を闊歩するのに都合が良い。これに気づいたロバート・モンローは、幽体離脱ではなく、この遠隔透視の延長的な技法で後年はその探索を行ったのであった。



 ここまで遠隔透視やシャーマニズム技法について大雑把な総説を述べたが、呪物コレクターの田中俊行氏が最近、台湾で冥界に行く、道教の観落陰の体験を動画にしているのは大変参考になると思われる。これがまさしく、シャーマニズム的な冥界下降の体験である。これまでの話のイメージの湧きにくい方々は一見をお勧めする。この観落陰のデメリットは台湾に行かなくてはならないこと、道士の誘導が必要であることなどである。また田中俊行氏は成功したが、失敗することもありうる点に問題がある。私の今後述べる方法は台湾に行く必要もなく、道士の誘導も不要であり、その上でゼロ感の人でも誰もが立ちどころに田中俊行氏が体験したのと同じような経験を確実に可能とするものである。
 とは言え、こうした体験は霊性の向上に不可欠とは言い難いので、次回の記事においては、有料での公開とさせていただくことを先にここで陳謝させていただくことにする。





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