霊界参入者としてアラハバキ神を霊視する──《アラハバキ神》霊視録──
夏の朝、目覚めた私は半跏趺坐になり、しばし瞑目する。
私は数年前の夏に宮城県の多賀城跡、塩竈神社、松島を巡ったのであったが、その時に、アラハバキ神社の存在を知り、ついでに参拝したことがあった。それは民家の一画に鎮座する小さな社であり、沢山の履物が奉納されていた。昔読んだ水木しげるの妖怪図鑑等に出てきそうな、独特の雰囲気を持つ、今にも妖怪がひょっこり出てきそうな、そんな社であった。
私はこれからアラハバキ神を霊視しようとしているのだったが、なるべく前情報を入れないように、ネットでアラハバキ神について検索は全然していない。鬼が出るか蛇が出るか、それは私の知らぬところである。
私は夏の暑さを感じながら、自分の呼吸を数え始め、そしてその呼吸に注意を向け、やがてハートの一点にその注意を集中する。身体は固定した状態となり、変性意識に入る。その後、幾つかの過程を経て、第三の目付近にある特殊な方法で、霊界へと続くポータルを形成し、その先にターゲットとしての「アラハバキ神」を念ずる。──そして視界が開けた。
鬱蒼とした原始の森とも山岳地帯とも思われる地域が見える
東北地方のどこかの山、あるいは森のような所、『もののけ姫』の森や縄文の森のような所(分析判断)
山の神とも森の神とも判別のつかぬ実体の曖昧な存在
特別に対象としてこれといったものが見えない
大きな木に長く地面へと向かって伸びる長い存在、ヘビのようでもあるがヘビではない
МDを召喚し、解説を依頼すると、それはこうした原始の森のような所へと分け入ろうとする者の不安が生み出した安全を祈願する対象としての存在であり、特別な実体はないという説明
納得があまりいかないので、さらに視点を対象へと肉薄させる
茅の野とも言うべき、薄(すすき)が腰以上もある所のヴィジョン
それ以上のヴィジョンが現れない
一旦撤退し、アストラルトラベルの中継地点として利用している、我がインドラ神の住むアマラーヴァティーに向かい、インドラ神に質問することにする
インドラ神は、現在ではインド人に信仰されることもない暇な神(デウス・オティオースス)として、自らの修業に勤しむブラーフマナの姿をしている
インドラ神の説明では全ての神に実体があるわけではなく、人の不安や祈りの感情が生んだ名ばかりの神も存在するので、アラハバキは実体のない名ばかりの存在であるという説明
もう一度、アラハバキ神を霊視しようとして、具体的にアラハバキ神社を霊視する
一つ目の山の神のようなものが見える
その場所の精霊や妖怪に近い類で、特別、広範囲なアラハバキの実体を表す神ではなさそうである(分析判断)
再び、ヴィジョンは茅の野に戻る
旅人などが知らない土地を旅する時の不安などの投影したものであり、このヴィジョンは境界を表しているようである(分析判断)
異界とこの世の狭間における道祖神のような存在(分析判断)
ヘルメース神やエロース神などの境界神に近いものだが、実体はほとんどない
МDにアイヌ等の神なのか確認すると、そうではなくヤマトの人々が、東北地方などの、自分達の文化圏と異なる地方に向かう際の旅の不安を対象化させたものであり、自分達の神とは異なる、森や山の精霊に対して自分達に危害や危難を加えることがないようにという願いや、アイヌや蝦夷などの地域の自分達の知らない神々を懐柔しようとして、祈った対象という説明
とりあえず肉体に意識を戻す


アラハバキ神霊視の分析研究
アイヌや蝦夷の信仰する知られざる隠された神が現れるかと思ったが、その結果は甚だ心許ない、残念なものであった。悪魔の証明ではないが、ないものを見ようとし、実体のないものを霊視することほど、困難なことはないと言い得よう。
村落とその外の境界を守る「塞の神」として、道祖神などが知られているが、アラハバキ神は、ヤマト民族の支配地域とその外の地域の境界において、境域外の未知の森や山に住む、ヤマト民族にとって未知の神に対して、あらかじめ自分達に危害を加えることがないようにという願いを込めた祈りの対象となる存在であったというのが今回のアラハバキ神の霊視の結果であった。アラハバキ神は、蝦夷やアイヌの神そのものではなく、ヤマト民族の非支配地域の山神や森の神などを代表させた実質のない存在なのである。
近代の唯物論的な説明において、神々は全て、科学的な合理的思考を有さない哀れな未開の人々が、その原始的な自らの「恐怖」や「喜び」の感情を外界に投影したものであり、それがアニミズムや多神論となり、やがては一神教に発展したと考えられていたわけであるが、「アラハバキ神」はまさしくヤマト民族の非支配地域の山野を跋扈する魍魎達に対するそうした感情の対象化したのものであったわけである。
アラハバキ神は、ヤマト民族の構成員が、異民族の支配地域へ旅立つ時に、その行旅の安全を祈る対象であり、ヤマト民族の支配地域と非支配地域という広域の境界に存在する道祖神のような存在ではあるが、稲荷大神やデーメーテール神、インドラ神のような神格としての実体はないというのが今回の結論である。
アラハバキは、ネット情報を元にした私の推論では、「あら」は「あらたま(荒魂)」の「あら(荒)」であり、「はばき」の、「はは」は「蛇」の古名であり、「き」はそのまま「木」のことであろう。実際に霊視においても、「大きな木に長く地面へと向かって伸びる長い存在、ヘビのようでもあるがヘビではない」というところが「ははき」を霊視したものと考えられる。それは森や山岳地帯という荒魂の存在する地域の、樹木霊や動物霊としての山の神や森の神という意味なのだと考えられる。
また多賀城市のアラハバキ神社の履物の奉納されたものは、「脛巾(はばき)」との語呂合わせということであるが、境界の神として道祖神に類似したその性格から言えば、肯われる奉納物とも言えそうである。
道祖神やヘルメース神、プラトンの「饗宴」で言及されるエロース神など、「塞の神」に関して、私はほとんど関心をこれまで持ってこなかったのであるが、こうした「塞の神」は、この物質界とそれ以外の幽界・霊界・神界などの境域を守護する神であり、ある種、遠隔透視、霊視、アストラルトラベルの境域を守る神であり、都市伝説の「時空のおっさん」を含めて、今後、研究の対象として考察していきたいところである。

