[019] 月下香、インプラントに溺れ、壊れる
鏡の中の自分を見つめる。
トップ女優にも引けを取らないと自負する美貌がそこにはあった。純菫(スミレ)、24歳。スレンダーでありつつ、出るところはそれなりに出ている、完璧なバランスの身体。だが、その完璧な造形とは裏腹に、私には決定的な何かが欠けていた。
「純菫は、自信の無さが負のオーラになって出ている」
16歳で渋谷でスカウトされて、はや8年。マネージャーや社長には、事あるごとにそう言われ続けてきた。
当初はソロだったが、ここ4年ほどは「チューベローズ(月下香)」という5人組ユニットで活動してきた。夜に濃厚な香りを放ち「危険な快楽」という花言葉を持つその花の名は、少し大人びたセクシーないで立ちでありながら、発言は超可愛い路線というギャップを売りにする私たちのコンセプトにぴったりだった。都内のライブハウスでコンサートをやれば常に50名くらいは集客でき、ピーク時には体育館で立ち見が出るほどには有名になった。私たちも色々と話し合って努力を重ねてきたが、しかしそこからの伸びに悩み、最近は客足が徐々に減っているのを、誰もが肌で感じていた。
そして、ついに事務所から非情な通告が下された。
「純菫、ユニットを卒業して、15歳の子と入れ替えることになった。てこ入れだ」
社長の言葉は、事務的で冷たかった。
「自主的な卒業ということにして、話題づくりをした方が、純菫の今後の活動の宣伝にもなる。今後のことは、追って考えておくように」
聞こえはいいが、要はリストラだ。
正直、卒業勧告を受けた瞬間、心のどこかで安堵している自分に気づいた。アイドルという虚像を演じ続けることに、私は疲れ果てていた。
最近も、ネットドラマにわずか1分映るだけの役を得るために、60歳近いプロデューサーの爺相手に枕営業をしたばかりだ。そのプロデューサーは、私を割と気に入ってくれていて番組などで時々使ってくれてはいたが、寧ろ私がそのチャンスをものにできないでいる、というのが実態だった。最近は彼からの指名も減ってきていて、マネージャーからも少し危ないかもという話は聞いていた。だから、せめてあちらの方では尽くさなくてはと、彼が望むままにプライベートなプレイに応じていたが、結果的にはそれも無駄なあがきだったようだ。
(アイドルは、もう潮時かな)
鏡の中の自分に、そう告げた。
アイドル崩れがとれる道は三つ。セルフプロデュースで活動を続けるか、オトナアイドルに転職するか、この道を諦めるかだ。
だが、オトナアイドルに転身することで大逆転で成功したひともいる。美貌とボディの両方を備えた私なら、大逆転も可能なはずだ。
私は8つの事務所の面接を1カ月ほどかけて受け、結果を待った。狙いは、大手の2社と、中堅どころだが特徴ある女優の売り出し方が上手いと定評のあるA社だった。
面接から1週間後、A社から採用したいので、契約内容の相談をしたいと連絡があった。
「契約金は●●●万円で、ビデオは3本作成。契約金とは別で1本あたり▲▲万円。ご了解戴いたプレイは…」
「以上の契約内容にご納得されましたら、こちらにサインをお願いします」
私は迷わずペンを走らせた。
「ご契約戴きありがとうございます。一緒にいいものを作っていきましょう。制作会社への売り込み用の写真撮影からになると思いますが、スケジュールが決まり次第連絡します」
担当者が笑顔で契約書を片付けた。私は立ち上がって帰ろうとしたその時、呼び止められた。
「あの…純菫さん、正式な契約は終わったのですが、それより報酬が良い特別なお仕事があるんですけど、ご興味はありますか?」
報酬が良くって特別? 興味がない筈がない。
「それって契約外の仕事ってことですか?」
「はい、そういうことです。私どもの子会社の方で請け負ってる仕事なんですけど、今回の契約と両立することもできます」
その翌日、指定されたカフェに向かった。先に入っていた、背広姿の中年少し手前の男性が手招きした。
簡単な挨拶を交わした後、男は切り出した。
「ただお客様の相手をするだけで、高額な報酬を手にすることができます」
「愛人契約とか、いわゆるP活ってやつですか?」
「まぁそれにだいぶ近いとは思います。契約の形態は色々ありますが、年契約で4百万円という方もいらっしゃいますね」
枕営業をしてきた私にとって、その程度のことは何と言うこともない。オトナアイドルを目指しつつ、空き時間で高収入が得られるのであればメリットしかない。だが、男は奇妙な条件を提示した。
「ただ、この契約に際してはお客様側の強い希望により、脳内インプラントをして戴くことになります。これが条件です。ただ、多分お聞きになったことあると思いますが、それによって脳の状態を安定に保てるようになりますので、あなた自身にもメリットがある話です。もちろん治療費は全部こちらで持ちますし、手術は都内の大学病院で行いますのでご安心ください」
脳内インプラントは、ここ一番ってときに脳のパフォーマンスを上げるためであったり、疲労感を一時的になくしたり、記憶障害を緩和する治療として既に一般的だ。私にディメリットがあるわけでもない。
「女優業の方には影響はないんですよね?」
「ええ、そこはご本人様次第です。女優業はどうしても人気商売なので商売的には当たる/当たらないの厳しい側面がありますが、こちらは先に顧客があっての安定的なビジネスですので、寧ろ女優業をやめてこちらに専念されるかたの方が多いくらいです」
「分かりました。やります」
私はその場で承諾した。
都内の有名な大学病院に行き、脳内インプラント手術を受けた。一応、全身麻酔での手術ではあったが、術後は特に痛みがあるわけでもなく、そのまま自宅に帰った。後頭部に多少の違和感があるものの、それ以外は普段と何も変わらない。既に脳内インプラントが作動していて痛覚を抑制しているのだという。もし痛みが出てきた場合は、スマホの画面からインプラント制御アプリを立ち上げ、処方されている鎮痛ピルのボタンを押すだけだ。一度押すと所定の時間が経過するまではそのボタンが再びアクティブになることはないので、過剰投与は避けられる。
そうして、売り込み写真用の撮影も終わったころ、裏仕事の連絡がきた。そちらの初仕事は年契約で350万円、月2日年24日と、自由に設定可能な3日のデートとのこと。断る理由がない。
脳内インプラントに影響しないように、私専用に調剤された低用量ピルを受け取るように言われ、薬局に取りに行った。ピルは毎日飲む必要があったが、生理も来なくなり、快適にもなった。
待ち合わせは高級ホテルの和食レストラン。
時間通りに店に入り、予約の名前を伝えると、奥の座敷に通してくれた。
お客の名は松永、55歳の紳士だ。格好よく年をとっていて、スマートだ。簡単に挨拶を交わすが、男性の匂いにゾクゾクする。
匂いが合う人はアッチの相性もいいとか言う。本当かな? と期待しつつ、楽しい会話を楽しみながら食事をする。
「そう言えば、インプラントの特別処方は使ってくれてます?」
言われるまで忘れていたが、お客様の好みに合わせて脳内インプラントを最適化するためのドーピングを事前にするように依頼されていたっけ。お客様の好みの対応が自然とできるようになるものだそうで、少しアルコールが入って気分が良くなる程度で、健康には何にも影響がないという。
「あぁ、忘れていました。今、使用しますね」
そう言って、脳内インプラント制御アプリに出ている『松永様向け特別処方』と書かれたボタンを押し、ドーピングを完了した。
「ありがとうございます。それがあるとないとで雲泥の差なんですよ」
松永は満足げに微笑むと、最後の一口のデザートを口に運んだ。
「この上の部屋を取ってるから、この後、そっちでゆっくりしませんか?」 「はい」
私は、自分でも驚くほど素直に、そして期待に満ちた声で答えていた。
スイートルームのドアが開いた瞬間、私は松永の放つ気配に、圧倒された。和食レストランで感じた微かな匂いは、この閉ざされた空間で、逃げ場のないほど濃厚な、催淫的な体臭へと変貌していた。
(何?この匂い…身体が溶けそう)
インプラントが生成する脳内物質が、嗅覚を異様に研ぎ澄まさせ、理性を麻痺させていく。これまで経験した枕営業では、男性の匂いはむしろ不快なものでしかなかった。なのに、今の私にとって、松永の匂いは、世界で最も甘美で、抗いがたい誘惑だった。
テラスのジャグジーが、東京の夜景を背に、妖しげなブルーの光を放っている。その光景が、私の本能を完全に覚醒させた。
「松永さん……」
私は、自分から松永に縋り付いていた。これまで一度も感じたことのない、獣のような衝動が全身を突き抜ける。彼を、彼のすべてを、私のものにしたい。彼に支配されたい。
「いい子だ、スミレ」
松永は私を抱き寄せると、私のブラウスを引き裂くように脱がせ、露わになった乳房へと顔を埋めた。
彼が私の乳首を、鋭く、強く噛んだ。
(痛っ……!)
瞬間、私は悲鳴を上げそうになった。しかし、その痛みは、後頭部から脳内を駆け巡る電気信号によって、瞬時に熱い、甘やかな快楽へと書き換えられた。 痛みが、快感を増幅させるトリガーになる。もっと、もっと痛くしてほしい。痛ければ痛いほど、私はもっと気持ちよくなれる。彼女は気づいていないが、それは脳内インプラントがもたらす奇跡だった。
「もっと強くぅ…もっと!」
私は痛みを求めて、彼にすがりつく。
松永さんは、私の望みに応えるように、もう一方の乳首にもさらに強く、鋭い刺激を与えた。全身が、快楽の熱に焼かれる。
「早く…早く欲しいの!」
私は理性を完全に失い、本能のままに彼をねだっていた。
松永さんは、私をベッドへと押し倒すと、迷いなく結合した。
その瞬間、彼という存在が、私のすべてを支配した。下半身から突き上げる、暴力的なまでの快感。
「スミレ……!」
松永さんの声が、私の耳元で、甘く、そして支配的に響く。
突然、彼の手が私の喉元に触れた。
(え?)
瞬間、私は恐怖を感じた。しかし、彼の手が、私の首を絞め始めたとき、その恐怖は、これまで経験したことのない、異様な陶酔へと変換された。
呼吸が浅くなり、意識の輪郭が曖昧になる中で、彼の一部である感覚だけが鮮明に、強烈に下半身から突き上げてくる。
死への恐怖が、生の快楽を限界まで高める。苦しい。なのに、この苦しさが、私をさらに深い陶酔へと誘う。
彼が圧迫を緩めた瞬間、飢えた獣のように空気を吸い込んだ。
「はぁっ!」
脳内に一気に酸素が駆け巡り、麻痺していた感覚神経が、かつてない鮮明さで彼を受け入れる。その瞬間、快楽は暴動を起こし、身体の芯から全身へと爆発的に広がった。
「ああああああっ!」
私は、耐えられず、獣のような声を上げながら身体を痙攣させて、絶頂を迎えた。
一度では終わらない。彼の激しい動きに合わせて、私は何度も、何度も絶頂の波に飲み込まれた。
自我が崩壊し、ただのメスとしての本能だけが残る。首を絞められる圧迫感と、酸素がもたらす感覚の波。それは、痛みと快楽、死と生が複雑に絡み合った、悪魔的なまでの快感だった。
私は、松永さんの腕の中で、メスの喜びをすべて体感していた。
これまでのアイドル人生、これまでのすべての枕営業が、この瞬間のための前奏曲に過ぎなかった。
(あぁ…私、このために生まれてきたんだ…)
私は、焦点の合わない瞳で、松永さんを見上げ、心から満足して微笑んだ。
事後、松永さんは優しく私の髪を撫でた。
「スミレ、最高だったよ。インプラントの効果も、完璧だ」
「はい…」
私は夢見心地で答えた。
(こんなに気持ちよくて月に約30万円ももらえる。インプラントのお蔭なのかな? 勇気を出してやってよかったかも)
私は、松永さんに抱きかかえられ、ジャグジーへと運ばれた。 テラスからは、東京の夜景がこれまでよりもずっと美しく、そして残酷に輝いて見えた。 私は自分のすべてが松永さんという存在によって、完全に支配されたことを、深い幸福感とともに受け入れていた。 この道の先に、何が待っているのか。私は、もう何も恐れていなかった。ただ、次の快楽を、渇望するだけだった。
「また…来週にでも会ってくれますか?」
ジャグジーでバックハグしながら優しく私の髪を撫でる松永さんに、私は夢見心地で頷いた。
数日後。A社の事務所では、社長と担当者がモニターを眺めていた。そこには、宣材写真の中の、どこか焦点の合わない瞳で微笑む純菫の姿があった。
「純菫さんは、松永様のお気に召したようですね」
「あぁ、かなり癖の強い方だからね。手当を弾んでもらう分、例のやつをドーピングに加えておいたんだよ」
「え? 痛みが快感に変わるっていう、アレですか? 結構、身体に残るし、長く使用すると神経がぼろぼろになるとか聞きますけど」
担当者が眉をひそめる。
「あぁそうらしいね。そこは本当に神経がやられるまでは、インプラントで生成される脳内麻薬が散らしてくれるって寸法だよ。本人は壊れかかっていることにすら気づかない」
「いつまでもつんですかね? 前の人は、むち打ちであざだらけ、ナイフで傷傷だらけになっても光悦の表情だったのを、迎えに行った奴が見て、ぞっとしたって言ってましたよ。結局、激し過ぎたのか、2年もたなかったじゃないですか」
社長は興味なさそうに煙草を燻らした。
「そんなのは俺たちが知ったことじゃない。超高級品として使えなくなっても、正規の映像作品があればそれだけで高く転売可能だし、それもできないなら底辺の需要ってのも根強くあるからね」
「なんか、あんな可愛いい娘がって思うと、やりきれないですね」
「ん? そんなのイチイチ感情移入してたら、自分の身がもたないよ。結局のところ、みんな自分で選んだ道なんだから」
その頃、純菫は自宅の鏡の前で、自分の首に残った指の跡をうっとりと指でなぞっていた。
痛みはない。ただ、あの時の熱い快感の記憶だけが脳を焼いている。
彼女はスマホを取り出し、次の「処方」が解禁される時間を、渇望するような瞳で見つめていた。その瞳の奥で、彼女の自我が少しずつ、砂のように崩れ落ちていることにも気づかずに。
(次はもっと、激しくしてほしい)
純菫は、自分でも制御できない震える指で、アプリの画面を撫で続けた。
次は、もっとうまく演じられるはずだ。最高の、メスの人形として。
(次回、[020] 共鳴する宝石:銀の箱舟の叛乱|realblackjp)
