【硝子のショコラ】30|通訳【長編恋愛小説】
その夜、私は彼の家で過ごした。
何度かお邪魔したことはあったけれど、
夜を過ごすのは初めてだった。
静かで穏やかな夜だった。
彼は私のために、いろいろなものを
買い揃えておいてくれた。
ふわふわのスリッパに
ふわふわのパジャマ。
彼はただ、私と過ごす時間を
大切に扱ってくれていた。
特別な言葉があるわけじゃない。
同じ空間で、同じ時間を
共有していただけだった。
私たちは、いつしかお互いのことを
話し始めていた。
私は、誰にも話したことのなかった今までのことを
時に涙をこぼしながら、彼に打ち明けた。
彼は私の涙を拭ったり、
ぎゅっと抱きしめたりしながら
じっと黙って話を聞いてくれた。
まさか、私が人前で涙を流すなんて。
自分が信じられなかった。
彼も少しずつ、自分の話をしてくれた。
昔のこと。
誰にも理解されなかった日々。
ショコラを作り始めた頃のこと。
「でも、ショコラのおかげで君と出逢えた」
誰かが私にそんなことを
言ってくれるなんて、
私の人生に起こるはずがなかった。
気づくと私は眠っていた。
なんだか、とてもよく眠れた気がする。
夜になるのも朝が来るのも
ずっと同じだったはずなのに、
何かが、確かに変わっていた。
私は寝室を出て、彼の気配がする
キッチンへ。
「おはよう」
「おはよう、よく眠れた?」
言葉に出さず、私は笑顔で答える。
私の心はとっくに決まっていた。
これ以上迷う理由も見つからない。
コーヒーを淹れていた彼が顔を上げる。
「どうかした?」
私は少しだけ首を振る。
「ううん」
どちらからともなく、
自然に視線が重なる。
「……ねぇ」
私がそう言うと、
彼は静かに微笑んだ。
「うん」
私はゆっくり息を吸う。
「…私も、あなたと一緒にいたい」
その言葉は、思っていたよりずっと静かに落ちた。
彼は一瞬だけ目を細めて、
それから、小さく何度も頷いた。
「もちろん」
彼といると何もかもが自然だった。
彼はカップを置いて、少しだけ距離を縮める。
「じゃあ、ずっと一緒にいよう」
私は小さく頷いた。
