人間の庭 ❘ 霧をまとい歩く
お盆が過ぎ、立秋の末候「蒙霧升降(ふかききりまとう)」に移りました。
霧は、もやもやと、よくわからない状態に似ています。霧の中にいると早く抜けたい気持ちになるものです。
久しぶりにヨガのレッスンへ行きました。 いつもとは違う曜日のクラス。曜日ごとに先生が違うスタジオで、その先生は「目つきが鋭い」印象です。
初めてのレッスン時は、厳しい先生なのかな…と不安を感じましたが、 レッスンの指導は落ち着いていて、丁寧でした。
数カ月ぶりの二回目のレッスンでも、やはり先生の目つきが印象に残りました。
ちょうど、千葉で起きた線状降水帯による被害が話題になりました。 先生の住む地域でも、道路に膝まで雨水がたまるほどだったそうです。それでも先生は、「レッスンを行う責任がある」と、家を出てレッスンへ向かったという。
私は思わず、「責任感がすごい……」とつぶやきました。
その話から、先生の「目つきの鋭さ」は、自分に対してストイックであることから来ているのかも…と、最初に感じた印象とは別の輪郭が見えてきました。
もしかすると私は、人を見るときも、自分が最初に感じたことを、その人の輪郭だと思っていたのかもしれません。
私はもともと感覚人間で、自分が感じたことを、すぐに口にしてしまう傾向があり、学生の頃は友達から「言わないことも大事だよ」と忠告されたことがあります。
うまく言えなくても、伝えなければわかりあえない。そんな焦りからなのか、とにかく感じたことを伝えようとした時代がありました。
けれど、人間経験を積んできた今は、少し変わりました。
感じたことを、すぐに言葉にしなくてもいい。ぼんやり見えてきたものを、意味づけしないまま、置いてみる。
すると、最初には見えなかったものが、少しずつ浮かび上がってくることがあります。
霧は、答えを隠しているのではなく、 答えになる前のものを包んでいるのかもしれません。
すぐに霧を晴らそうとしなくてもいい。
見えないまま、少し歩いてみる。
霧をまとい歩く。
ぼんやり見えてきたものは、何ですか?
🌿 Rebone Garden

問い ❘ 今日、ぼんやり見えてきたことは何ですか?
