見出し画像

47日目:あなたの人生を賭ける目標や、生きる意味って何ですか?

生きている限り、いづれ来る終わり。
残すことになる、家族や子供や友達に。
後世を生きる、貴方の背中を見て大人になる子供たちに。
貴方はどのような在り方を残しますか?

今回も記事をひらいていただきありがとうございます。

蔵書を振り返っていて、余命宣告された人が出てくる作品を見つけたので、辞世の句についてまとめてみました。

辞世の句

日本には辞世の句という文化があり、自分の人生を、その最後の瞬間を、17音の俳句に込める風習がありました。
57577の31音であったり、俳句の形式を外れたものであったり、することもあるようですが、故人の今際の言葉は、日本に限らずとても大切にされています。

まるで、後世の世界中の人に伝わる、その人柄を示す墓標のようでもあります。

ここでは、故人が最後まで何を大切にしたのか、最後に何を思い抱いたのかが垣間見える、特に有名な辞世の句を、いくつか紹介しようと思います。

ただし、辞世の句を載せただけでは意味が分かりづらいと思うので、故人の簡単な説明と辞世の句の簡単な解説を載せておきます。が、気になるものがあればぜひ調べてみてください。


松尾芭蕉

俳句といえばこの人松尾芭蕉。
1644〜1694にかけて生きた方で、奥の細道で有名な、俳句を芸術の域にまで高めたと言われる人です。

生涯をかけて日本中へ足を運び、そこで感じたものを奥の細道を始めとした書物にまとめていたそうです。
そんな旅の最中、大阪にて病床に伏して、詠んだとされているのがこの歌だそうです。

旅に病んで
夢は枯野を
かけ廻る


死の間際でも思いは枯野(まだ見ぬ土地)に馳せている、という自身の生き様をそのままに表した歌でしょうか。

良寛

1758〜1831にかけて生きた僧で、和歌や漢詩で有名な方だそうです。
清貧な生涯を送り、病床で弟子に見送られる最期を迎えた方が、詠んだとされているのがこの歌です。

散る桜
残る桜も
散る桜


桜は人を表すなら、人は死ぬし、生きている人もいづれ死ぬのだと、死が平等に訪れると説いた歌でしょうか。

上杉謙信

1530〜1578に生きた方で、越後の龍と呼ばれた将軍です。
毘沙門天信仰に厚く、歴史に名を残す武将となった上杉謙信が詠ったとされるのがこの歌です。

極楽も
地獄も先は
有明の
月の心に
かかる雲なし


死後が極楽でろうと地獄あろうと、晴天の月の如く心は晴れやかである、といった感じでしょうか。

武田信玄

1521〜1573に生きた方で、騎馬隊を持って武田家を最盛期へと導いた武将です。
最後は病死したそうですが、風林火山でも有名な武田信玄が最後に詠ったとされるのがこの歌です。

大ていは
地に任せて
肌骨好し
紅粉を塗らず
自ら風流


自然に任せ己のままで、飾らぬ自らこそが美しさ(風流と表した望ましい姿)だ、と言った意味でしょうか。

明智光秀

1528〜1582に生きた武将で、本能寺の変で攻め込んだことが最も有名でしょうか。
その後の戦で敗走後、落武者狩りで討死したとされていますが、本能寺の変の前に詠ったとされるのがこの歌です。

心知らぬ
人は何とも
言わば言え
身をも惜しまじ
名をも惜しまじ

今となっては知る由もありませんが、どれだけの思いと覚悟を持って本能寺の変を起こしたのか、僅かなりとも窺い知ることができる、私はそう感じました。

豊臣秀吉

1537〜1598に生きていて、始めて天下統一を成し遂げた将軍です。
晩年は心労多く病死したとされていますが、天下人が最後に詠ったとされるのがこの歌です。

露と落ち
露と消えにし
我が身かな
浪華のことも
夢のまた夢


自分の最期を露と例えて、大阪でのことはもはや夢のまた夢の出来事に追いやられたと、そんな晩年の苦労や疲労が感じ取れる歌に感じます。

千利休

1522〜1591に生きたとされる、茶人にして大商人です。
一説には、商人として成功しすぎた故に、目をつけられ切腹を命じられたとも言われているらしい千利休が、最後に詠ったとされるのがこの歌です。

人生七十 力囲希咄
吾這宝剱 祖仏共殺
堤る我得具足の一太刀
今此時ぞ天に抛

正直私程度では解釈に苦しむのですが、気合いに満ちた70年の人生、私の刃(茶の道)は御仏に通ずる、肌身離さ済み携えた一太刀(茶の道)を持ち、今この瞬間を天に任せる、でしょうか。
自身の生きた道を誇り、最後の様は天に任せる、そんな歌でしょう。

駒姫

1582〜1595に生きた方で、政略結婚で豊臣秀吉に嫁いだが、その瞬間に処刑させる。
しかも、処刑の指示を出した後に説得されて取り下げるも、指示が現場に届いたのは処刑執行後。
そんな戦乱の中で、理不尽に晒されて若干15歳で命を散らした少女が、最後に詠ったのがこの歌です。

罪なき身を 世の曇りに さへられて
共に冥土に赴くは
五常の罪も
はらひなんと思ひて
罪をきる弥陀の劔にかかる身の
なにか五つの障りあるべき

こちらも私程度では窺い知れはしませんが、前半は、罪なきこの身を世の理不尽に晒されて、(一緒に嫁ぐはずだった人達と)共に冥府に赴くことは、五常の罪(生きているだけで生じてしまう原罪)すら、祓われるほどの試練と思って、でしょう。
後半は、断罪の仏の刃にかかるこの身は、5つの障り(女性にあるとされる成仏への障害)レベルの理由があるんだよな?と当てつけの様に感じるのは、私の捉え方が良くないでしょうか?

石田三成

1560〜1600に生きた方で、豊臣政権を担った一人だそうです。
関ヶ原の戦いにて敗走し、斬首にて処刑された人生の最後に詠ったとされるのがこの歌です。

筑摩江や
芦間に灯す
かがり火と
ともに消えゆく

我が身なりけり

筑摩江(地名)の葦に灯されてるかがり火が、消える頃には私も刑に処されらるのだろう。上手く表現できた気がしないですが、あとは処刑されるだけの自分の運命を、篝火に準えた歌でしょうか。

黒田官兵衛

1546〜1604に生きた方で、豊富の参謀をしていたそうです。
隠居し最後は病死したそうですが、最後に詠ったとされるのがこの歌です。

おもひおく
言の葉なくて
つひに行く
道はまよはじ
なるにまかせて


言い残すことはないし、待ち受ける道に迷うことはない、という前を見つめ先を受け入れている様な、そんな印象を感じました。

葛飾北斎

1760〜1849に生きた画狂で、女がタコに襲われる絵から、お寺のお堂の天井一杯に描かれた見事な鳳凰まで、様々な絵を描いた上に、それがヨーロッパにまで伝わり西洋美術に大きな影響を与えた人です。
部屋の片付けが面倒との理由で生涯で93回も引っ越しをしたり、晩年は筆が掴めなくなり娘に咥えさせてもらい絵を描き続け、ペンネームが画狂老人卍やら鉄棒ぬらぬらだったり、なかなかにファンキーな人だった様です。
そんな人が詠ったのがこの歌です。

人魂で
行く気散じや
夏野原

化けて野原に散歩に行ってくる、なんて死ぬ気があるのかないのか。。。
粋というかなんというか、軽い雰囲気の歌の様です。

高杉晋作

1839〜1867に生き、奇兵隊を設立し幕末の動乱を駆け抜けた九州男児です。
わずか27歳で病死したのですが、その前に友に詠ったとされるのがこの歌です。

面白き
こともなき世を
面白く


高杉晋作にとっても面白くない世がどの様なものかは、彼の人生を手繰ると垣間見えるところがあります。
それを変えようとした彼の生き様を詠ったのでしょうか。

土方歳三

1835〜1869に生きた方で、新撰組を統率し、戊辰戦争を最後まで戦い抜いた武人です。
蝦夷(現在の北海道)にて戦死した彼が、彼が詠ったとされるのがこの歌です。

たとひ身は
蝦夷の島辺に
朽ちぬとも
魂は東の
君や守らむ

自らが命を落とすことを受け入れ、それでも成し遂げることがあると言う歌でしょうか。

吉田松陰

1830〜1859に生きた方で、松下村塾で教鞭をとり、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文等を輩出しました。
日本の為を思い討幕の流れを作り、幕府によって処刑された人が詠ったのがこの歌です。

身はたとひ
武蔵の野辺に
朽ちぬとも
留め置かまし
大和魂


これもまた、自身の死を受け入れつつも、自分は大和魂の元に生きたのだと、そんな思いを感じます。

西郷隆盛

1828〜1877に生きた、日本最後の内乱と言われる戦争を起こした人物です。日本の在り方(天皇)を重視する人等と、外国との関係性を重視する人等(幕府)との戦争にて、天皇を尊重した在り方を貫き通して、最後に同志と集団自決した際に残したとされる言葉です。

晋どん、もうここらでよか

最後まで仲間と争って、最期を悟り、自ら幕引きをしようという覚悟があったからこその、静かで重い一言だったのかなと感じます。

乃木希典

1849〜1912に生きた方で、明治天皇の元で日露戦争に従事し、その後は教育にも携わりました。
今でも乃木坂や乃木神社などに名を残し、明治天皇の崩御後に腹を割って自死したとされていますが、そんな方が最後に詠ったとされるのがこの歌です。

うつし世を
神去りましし
大君の
みあとしたひて(御後慕いて)
我はゆくなり


現代の価値観には合わないのかもしれませんが、ただ一人の為にに、ただ一つの想いの為に生きて、最後は共に逝く。
きっと、これだけ全てを捧げる相手がいることは、とても幸せなことで、やり切ったからこそ後を託し逝かれたのかなと感じました。

在原業平

825〜880に生きたと言われているそうですが、六歌仙として名が残っているものの詳細不明な様で、最後も病死と伝わってはいるそうです。この方が詠ったとされるのがこの歌です。

つひに行く
道とはかねて
聞きしかど
昨日今日とは
思はざりしを

死は誰にでも公平に、思いもよらぬ時にたもんだと、そんな普遍的な死というのでしょうか、そんなものを感じます。

西行

1118〜1190に生きた平安の歌人です。
これは辞世の句というより、この様に死にたいと詠った歌で、実際にその通りになったそうです。

願はくは
花の下にて
春死なん
その如月の
望月のころ


実際に桜の元で亡くなったそうで、歌に込めた願望を引き寄せた様です。

岡田以蔵

1838〜1865に生きた土佐勤王党です。
生涯をかけて党に忠誠を尽くすも、最後は裏切られたと感じ、全てを自白し処刑された人でもあります。

君がため
尽くす心は
水の泡
消えにし後は
澄み渡る空

本当に本人が詠んだのか等色々疑問はあるそうですが、生涯を尽くした全てに裏切られたと感じる、最後に何を思ったのか。それを感じられると思っています。

何を感じましたか?

さて、長くなってしまいましたが、色々な方の辞世の句を紹介しました。
辞世の句を持って、どの様な人生を送ったか、何を大切にしていたか、最期の時にどの様なことを感じていたのか、人により多様なことを最後に詠っていたかと思います。

自分はこうありたい、こうはありたくない、と感じ入るものは見つかったでしょうか。

先日読んだ本にて、予祝というものが紹介されていました。
花見などに代表されるもので、将来の成果の達成を、あらかじめ祝っておく。
すでに達成した自分として在ることで、実際にその成果に到達できる、というものだそうです。

辞世の句は、実際は死にそうになる前にあらかじめ作って置く場合も多かったそうです。
自分はこんな最後を迎えるんだ、こんな人生にするんだと決める様な意味合いもあったのかもしれません。

読み返した作品

この記事を書くにあたり、最後の方だけではありますが、読み返した作品が3つあります。

それが、「ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオ」、「夢を叶えるゾウ4」、「君の膵臓をたべたい」。この順番で読みました。

どの作品も、余命宣告された人が出てきて、残りの時間を誰とどう過ごすかという物語です。

しかし最後に、何をどのように言い残したかは、全く違う最後を迎えます。

「頑張って生きた」「まだ死にたくない」「」。

あなたは、最期の時に、何を伝えますか。

どの様に、最期を迎え入れますか。

何を目指す道の中で、最期を迎えますか。

今最期を迎えるとして、ここまでの自分はやり切ったと笑って言えますか。

私は最後にこう言って死ぬんだと決めている、貴方の人生や大切なものを込めた、辞世の句を考えたことはありますか。

結び

私は、仲間や友達と過ごす時に、どれだけ相手の為になることが出来ているか。
徹底しきれなかった悔いや後悔はあれど、そう在ろうと挑戦し続けている今の私の姿勢に、一切の悔いや後悔はありません。

なんかの歌の歌詞にありましたが、悲しくなんてなかった 悲しくなれたから。
後悔するほど本気で挑戦し続けられたなら、その事に後悔はありません。

今際の時に、自分の人生は何に向かって進み続けたのか。
この問いに一切の躊躇いなく、仲間のためと言い切るための人生を、今日も築き上げるために努力し続けます。

なお一番好きな最後の言葉は、ワンピースのDr.ヒルルクです。

最後までご覧頂きありがとうございました٩( 'ω' )و

「小難しいことをわかりやすく面白く」をモットーに、色々な記事をマガジンに分けて投稿しています。
面白そうな記事があれば、フォローして次の記事をお待ちください('ω')
※画像はイメージです

関連記事


いいなと思ったら応援しよう!