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9日目:神道と他の宗教のあり方の違い


記事を開いていただきありがとうございます!
今回は宗教についての本読んでいたら、感じたことがあったのでまとめました!

宗教とは?

そもそも、宗教って何だと思いますか?法的には宗教法人として登録されているものですが、ここでは「空飛ぶスパゲッティモンスター教」のことはかんがえませんw(実在する宗教法人です)。
ここではヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教、ゾロアスター教、キリスト教、イスラム教、等古来から続くものを対象として考えています。これらに明確な定義をするつもりは無いですが、以下の2点は外せないと思っています。1つは原典があること、2つはその内容に殉じた人生を送っている人々がいることです。

原典

教祖と呼ばれる人の教えに従い生き、その教えをキリスト教なら聖書、イスラム教ならコーラン、ゾロアスター教ならアヴェスター、仏教なら三蔵、等の原典と呼ばれる書物にまとめられています。ちなみにここで面白いのは、ほとんどの宗教で原典は教祖以外の手で作られていることです。言い換えれば、教えの仕組み化や組織化は、教祖から離れたところで行われていたのかもしれません。仏教やユダヤ教ゾロアスター教は加筆が多く元の文書が分からなくなっているらしく、キリスト教イスラム教に関しては教祖が亡くなった後に言葉をまとめて作られているそうです。つまり一個人の教えに従い生きようと言う思想を宗教とよべるのではないでしょうか。
これら人生を豊かにする、集団として活動する為の教訓や道徳や知恵に富んでいることは疑いようもないですが、この考えを神道にに当て嵌めて考えたことで日本についてより深く理解することができたように思います。

神道の在り方

始めに断っておきますが、神道の公式の立場としては宗教ではない、とされることが多いです。
先程考えた原典について考えてみると、神道には明文化かれた教えや教義はありません。なんなら発生が不明で、教祖と呼ばれる人も存在しません。ただ、同じ教えや世界観や人生観を持った神社が日本全国にコンビニの1.5倍存在しているだけです。纏まった一つの集団ではなく、同じ価値観を持ったいくつかの系譜の集まりなのです(有名どころだと稲荷神社、八幡宮神社、熊野神社など、結構日本中にあります)。
辿っていくと成立や教えの在り方は宗教らしくないのですが、それでも宗教のように捉えられています。私は、その理由は海外で宗教が担っている役割が、神道(ないし和の精神や武士道などと表される日本人の精神性)と似ているからだと考えています。

あなたはどの世界に根付いているのか

人間のアイデンティティのどこに存在するのでしょうか。これは本や人の話を聞いた想像に過ぎないですが、欧米では以下の様な階層構造のアイデンティティになっているのではと考えていると考えています。

宗教→民族→国家or地域→町や村→一族→個人

欧米では単民族国家が少なく、国家内でも衝突や対立かあることを踏まえると、国家より深いところに民族のアイデンティティがあると考えてられます。そして同じ民族でも宗派が違えば対立したり、同じ宗教の別民族以上に別宗教に攻撃的であることを踏まえると、民族より深いところに宗教のアイデンティティがあるとも考えられます。
こう踏まえると、このような仮説はどうでしょうか。宗教という道徳や人生観がアイデンティティの根底にあるならば、その上に来る民族は恐らく文化や風習、国は法律や生活、などというようにそれぞれのアイデンティティで別のものを大切にしているのではないかと考えています。少なくとも、宗教ありきで出来上がった民族や国家というアイデンティティには、道徳や人生観は(宗教に依存している為)含まれていないというふうに思えます(キリスト教徒だからこのような生き様、はあれどドイツ人だからイギリス人だから、と言うのは宗教に対してかなり薄いのではないでしょうか)。
こう考えると、あなたの宗教は?と聞かれた時に無宗教ですと答えると驚かれる、というのも理解できる気がします。きっと質問した人から見れば、道徳や人生観の基準を持っていない、選べない人であるように映っているのでしょうか。
では、人間は宗教無くして道徳や人生観を持つことは出来ないのでしょうか?それは断じて否で、そもそも宗教は文明の起こりからすれば比較的新しいと言える発明です。例えばメソポタミア文明がBC3,500、エジプト文明がBC3,000に起こったとされています。対してヒンドゥー教はBC2,000、ユダヤ教はBC1,200と言われています。人間は宗教がなくとも文明を起こせるほどの団結をしており、それは共通の道徳や人生観なくして成し得ないことは想像に難しくありません。あくまで欧米に宗教という道徳や人生観を元にアイデンティティを形成する民族や国家が多いだけで、全人類がそうだというわけではないのでしょう(そうでない人達少ないのは欧米人が迫害駆逐したからだという話は置いておきます)。

日本人のアイデンティティ

先ほどの階層構造で日本人のアイデンティティを表すと、恐らくこうなるのではと思います。

民族(=国家)→地域→町や村→一族→宗教→個人

親はクリスチャンとか仏教徒だけど私は違う、という親子で宗教が違う人、親は信仰があるが私はない、と言う人は多いのではないでしょうか。私も祖父母は仏教徒ですが、私は無教徒だと答えています。であれば宗教のアイデンティティはこの辺りで、それを家族内で統一強制したり、学校(町)単位で教育したり、都道府県や市区町村の運営に特定宗教が入り込むことを嫌うのも、この様な階層構造で宗教を捉えているからだと考えています。
逆にこれくらいの軽い(浅い)扱いだからこそ、いいところや楽しいところは遠慮なく民族の言葉や風習に取り入れたのはあるかもしれません。ヨガはヒンドゥー教由来だし、天使や悪魔は日本語に訳されてはいるがユダヤ教キリスト教由来で、因果や煩悩や輪廻は仏教由来、アルコールやアルゴリズムやゼロの概念は元はイスラム圏の言葉です。クリスマスはキリスト教由来、ハロウィンはケルト由来(ただしアメリカ経由で伝わった)、盆休みは仏教、巡礼は特定の宗教ではないですが、聖地巡礼などと言い各宗教の聖地を巡る行為のことです。
では、アイデンティティの深いところに宗教がない日本人は、道徳や人生観を持っていないのでしょうか。これもまた断じて否と、私個人は言い切ります。戦後焼け野原になった東京の復興、世界をリードする産業、世界でも特に安定した治安、世界最古の国となるほど続く団結、これが全てが高い道徳や人生観があるからこそ成し得たことだと私は確信しています。
ではこの道徳や人生観はどこからくるのか。それは古代から脈々と続く日本民族の、日本という名前が付く前から続く大和の民の在り方に起源を持つと信じています。その道徳や人生観が現代でも通用する不変的な価値を持つものであることも、世界でも賞賛される普遍的は価値を持つことも。
この大和の在り方、縄文時代やそれ以前の考え方、日本人の神話である日本書紀にて説かれていることや解釈、これらを書き連ねると膨大な文字数となるので別の機会に纏めることとしますが、日本人は、誰か一人が至った悟りや真理に追従する道徳や人生観でなく、民族全体で紡ぎあげ託され託してきた道徳や人生観を持っているのだと私は信じています。

最後までご覧頂きありがとうございました٩( 'ω' )و

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