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「シャッターの前にあるもの」 #07うまく撮ろうとすると、写真は死ぬ

この言葉は、少し強すぎるかもしれない。
けれど、長く撮っていると、そう言いたくなる瞬間がある。

きれいに撮れている。
構図も崩れていない。
表情も押さえている。
でも、見返したときに、そこにあったはずの何かが戻ってこない。
そういう写真が、ある。

仕事として撮るとき、失敗できない場面がある。

発表会の出番。結婚式の誓い。
二度と取り直しのきかない、一生に一度の場面。

そういうときほど、身体の中に「うまく撮らなければ」という意識が入ってくる。

全体に目を配る。一点に集中するより、何も外さないことが責任になる。
ファインダーを覗きながら、頭の中では次の場面を追っている。
今ここを押さえる。次はあの子を見る。そのあと全体へ戻る。

応えたい。ちゃんと残したい。
その誠実さから、そう思う。

けれど、その気持ちが前に立ちすぎると、写真は少しずつ固くなる。
目の前で起きていることより先に、失敗しないことを見始める。
崩れない構図。外さないタイミング。安全な一枚。

あるとき、自分の子どもの発表会に、仕事ではなく親として行った。

会場には親たちがぎゅうぎゅうに座っていた。
前の人の頭も入る。動ける余地もない。
撮影場所として見れば、悪い条件だった。

それでも私は、舞台の上のわが子だけを狙っていた。

均等に残す必要はない。全体を整える必要もない。

家では甘えている姿を見ている。
でも、舞台の上では違う顔をしていた。
家では見たことのない顔が、あの舞台の上にあった。
集団の中でちゃんとやっている、その姿を逃したくなかった。

仕事で撮った写真は、整っていた。
親として撮ったあの写真は、前の人の頭が入っていても、構図が完璧でなくても、そこには確かにわが子がいた。

仕事には仕事の責任がある。
全員を残すこと。その日をちゃんと伝えること。それは誠実な仕事だ。
でも、あのとき私が持っていたのは、それとは別の何かだった。

正しく撮ることと、生きた写真になることは、同じではない。

うまく撮ろうとした瞬間、目の前のものを見ているようでいて、少しだけ写真の外側を見てしまっている。
どう残るか。失敗していないか。
そう考え始めた瞬間に、目の前にいたはずのものから、ほんの少し離れる。

その、ほんの少しが大きい。

技術も経験も、目の前のものに届くためにある。
けれどそれが、失敗しないためだけに働き始めると、写真に残るものが変わってしまう。

あのとき私は、うまく撮ろうとしていなかった。

ただ、見逃したくなかった。
舞台の上にいるわが子の、あの顔を。

その違いは、思っていたより大きかった。

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