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「シャッターの前にあるもの」 #04撮ることはどこから始まるのか

他人の目。比較。評価。
ここまで、写真を苦しくしてしまうものを見てきた。

そういうものを一度ほどいていったとき、
ひとつ、残る問いがある。

では撮ることは、そもそもどこから始まっているのだろう。

上手く撮りたいからだろうか。
褒められたいからだろうか。
誰かに見せたいからだろうか。

そういう気持ちがまったくないとは言わない。
けれど、それだけではなかった。

もっと手前にあるものが、たしかにあった。

写真はたぶん、評価から始まるのではない。

もっと前だ。

言葉になる前。考えるより前。
心がわずかに動いた、その瞬間。

私の場合、それはいつも
「忘れてしまわないために」
という感覚に近かった。

けれど、最初からそう言葉にできていたわけではない。
撮っているときには、ただ目が止まっている。
ただ、通り過ぎられなくなっている。

美しいから撮る、とも少し違う。
残したいから撮る、とも少し違う。

この瞬間が、消えてしまう前に。

そのまま過ぎていったら、二度と戻ってこない気がして。
だからシャッターを押していた。

何かを説明したかったわけではない。
誰かに見せるためだけでもない。

ただ、目の前にあるものが、このまま流れていってしまうことに、少しだけ抗っていたのかもしれない。

スマホは、定期的に数年前の今日の写真を知らせてくる。

通知を開くと、見覚えのある場面が並んでいる。
家族旅行の写真。子どもたちの顔。
どこかへ行った日の、何でもない景色。

最初に来るのは、温かさだ。

けれど、その温かさの奥に、もうひとつ何かがある。
みんなが変わっている。
子どもたちの顔も、立ち方も、その場の空気も、少しずつ違う。
時間が、たしかに流れていた。

撮った瞬間には、気づいていなかった。
その場を残したくて、ただシャッターを押しただけだった。

けれど写真は、撮ったときには見えていなかった時間まで、あとから静かに連れてくることがある。

撮ったときには、ただの一枚だった。
でも数年後に見返すと、それはもう、ただの一枚ではなくなっている。

あの日の自分が、何を残そうとしていたのか。
それが、少し遅れて見えてくる。

言葉も、きっとそうだ。

書いているときには分からなかったものが、
あとから読み返したときに、静かに戻ってくることがある。

写真も言葉も、今の自分にはまだ分からないものまで、そっと残してしまうのかもしれない。

仕事で撮るときも、同じ感覚が動く瞬間がある。

予定された流れの中で、一瞬だけ目が止まる。
全体を見ていたはずなのに、なぜかそこだけが強く残る。

仕事だから撮る。
必要だから撮る。

もちろん、そういう写真もある。

けれど、その奥で、
このまま流れていってしまう前に、
という感覚が動くことがある。

撮ることの起点は、いつもそこにあったのだと思う。

撮ろうと考える前に、もう見ている。
残したいと決める前に、もう心が動いている。

大きな感動とは限らない。
特別な景色とも限らない。
誰かに説明できる理由があるとも限らない。

ただ、なぜか目がいく。
なぜか足が止まる。
このまま過ぎていってほしくないと、
言葉になる前に感じている。

写真は、その反応の先にあるのかもしれない。

では人は、どんな瞬間にその感覚が動くのだろう。
次はそのことを、もう少し近いところから見ていきたい。

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