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「シャッターの前にあるもの」 #05 シャッターを押したくなる瞬間

下り道は、登りより正直だ。

登っているときは、次の一歩を見ている。
次の曲がり角を見ている。
まだ先があることのほうへ、意識が向いている。

でも下りに入ると、足が重くなってきたことに気づく。
身体が思っていたより頑張っていたことを知る。

娘と山道を歩いていたときのことだ。

木の橋を渡ろうとしたとき、手すりを覆う苔の上に、小さな芽が顔を出していた。

二枚の葉を開いて、細い茎で真っすぐ立っている。

隣で娘が言った。

「カワイイ」

私も、そう思った。

こんなところで芽を出すなんて、と思った。
その姿がかわいくて、同時に、どこか応援したくなった。

手すりの苔の上だから、土はない。
そこは、芽が育つ場所には見えなかった。

それでも、その芽は上を向いていた。

私はその姿を、通り過ぎることができなかった。

大きな景色ではない。
誰かに説明するほどの出来事でもない。

けれど、その一本の芽を見た瞬間、疲れていた身体が少しだけゆるんだ。

カメラを出す前に、もう足が止まっていた。

あの芽は、私が気づく前から、そこにあった。

でも、あのときは目に入った。

娘と歩いた山の空気の中で、身体の力が少し抜けていた。
そのときの私の中に、受け取れるだけの余白があったのだと思う。

シャッターを押したくなる瞬間は、目の前のものだけで決まるわけではないのかもしれない。

小さな芽の前で足が止まることもあれば、まだ太陽の出ていない空の前で、手がカメラへ向かうこともある。

王ヶ頭ホテルに泊まった朝のことだ。

夜明け前に外へ出る。

美ヶ原高原の山頂は、標高二千メートルほどある。
朝の空気は冷たく、息を吸うと肺の奥まで冷える。

宿泊者たちが、厚着をして玄関前やテラスに出てきていた。
みんな、まだ暗さの残る空のほうを見ていた。

急いでいる人はいない。

ただ、待っている。

朝日が出る前から、空はもう動いていた。

稜線の向こうが、少しずつ明るくなる。
オレンジが滲んで、その上の青にはまだ夜の色が残っている。
富士山や八ヶ岳の輪郭が、少しずつ見え方を変えていく。

太陽はまだ出ていない。

でも、その前からもう、手はカメラのほうへ向いていた。

朝日そのものを待っていたのではないのだと思う。

空の色が変わっていく時間。
手に残るコーヒーの温かさ。
近くにいる家族の気配。

そういうものを、身体がひとつずつ受け取っていた。

太陽が稜線から顔を出す瞬間は、思っているほど単純な一瞬ではない。

少しずつ明るくなり、少しずつ形が出て、少しずつ世界の色が変わっていく。

私は写真を撮りながら、途中で動画も撮った。
空の色が変わり、太陽が顔を出してくる感じは、一枚の写真では追いきれなかった。

そこにあったのは、きれいな朝日を残したいという気持ちだけではなかった。

まだ始まりきっていない時間の中にいて、その変化を受け取っている自分がいた。

そのことを、何かの形で残しておきたかった。

シャッターを押したくなる瞬間は、外側にあるものだけで生まれるのではない。

目の前にあるものと、それを受け取っている自分の状態。

その二つが重なったところで、手がカメラへ伸びるのかもしれない。

昨日なら通り過ぎたものに、今日は足が止まることがある。
前なら何とも思わなかった景色に、なぜかカメラを向けたくなることがある。

何に足を止めたのか。
何を見過ごせなかったのか。

そこには、そのときの自分が少し出ている。

では、同じ場所で同じものを見ても、人によって残したくなるものが違うのはなぜだろう。

次はそのことを、視点というものからもう少し近くで見ていきたい。

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