「シャッターの前にあるもの」 #08 写真は、あなたを写している
写真は、目の前のものを写している。
人を撮れば、その人が残る。
風景を撮れば、その場所が残る。
でも、長く撮っていると、
それだけではない気がしてくる。
小さな子の行事を撮っていると、
いい表情に引き寄せられて、
気づくと寄りすぎてしまうことがある。
顔を大きく写したいというより、
その子の中で何かが動いた瞬間を、
逃したくなくなる。
笑った。手を振った。
少し得意そうな顔をした。
そういう小さな変化を見つけると、
もう少し近くで残したくなる。
撮っている最中は、
それが寄りすぎているとは思っていない。
むしろ、その表情に間に合ったことの方が大きい。
あとから写真を見返して、気づく。
これは、何の行事のときだっただろう。
背景が入っていないと、
時間が経つほど分からなくなる。
運動会だったのか、発表会だったのか。
その日の広がりが、どこにも残っていない。
もう少し引いていれば、周りの友達も入った。
その子が誰の隣にいたのかも、
もう少し見えた。
でも撮っているときの私は、
全景より先に、その子の顔に引かれてしまっている。
これは単なる構図の癖なのか。
たぶん、それだけではない。
卒業アルバムの個人写真を撮っていると、
自分がどんな表情に反応しているのかが、
はっきり見えることがある。
順番を待っていた子が、
名前を呼ばれて椅子に座る。
正面からカメラを向けられた途端、
顔が変わる。
肩に力が入る。
口元がかたくなる。
さっきまで友達と笑っていた顔が、
どこかへ行ってしまう。
その感覚は、自分でも分かる。
中学、高校のころ、正面からカメラを向けられるのが苦手だった。
その年頃の男子には、そういう子が多い。
うまく笑わなければいけない空気が、
身体をどこかで固くした。
駆け出しのころは、
「笑って」
「もう少し口角を上げてみて」
そんな声をかけていた。
その頃はまだ、表情を形から作ろうとしていた。
でも、そうして撮れた写真をあとから見ると、
口元は上がっていても、
目が笑っていないことが多かった。
友達と話していたときは、
あんなに自然だったのに。
長く現場で撮っているうちに、
笑顔の形を作るより、
その子の中で何かが動いたときの方が、
表情は変わるのだと感じるようになった。
それからは、シャッターを押す前に、
その子が少し嬉しくなることを聞くようになった。
好きな場所でも、好きな遊びでも、給食のことでも。
撮影中に、それを思い浮かべてもらう。
楽しいことを思い浮かべていると、
顔にも、その感じが出てくる。
思考と表情はつながっている。
私はたぶん、その小さな変化に反応していた。
大きく笑った顔ではなく、力が抜けた顔。
作られた表情ではなく、
その子がその子に戻る瞬間。
私がずっと撮りたかったのは、
笑顔そのものではなかったのかもしれない。
その人がほどける、あの一瞬だったのかもしれない。
そう思ったとき、写真を撮るということの見え方が少し変わった。
写真には、目の前のものが写る。
でも同時に、撮る側がどこに引かれたのかも残ってしまう。
どの表情に足を止めたのか。
何をこのまま過ぎてほしくないと思ったのか。
そのことは、写真の中に残る。
写真に写るのは、被写体だけではないのかもしれない。
それを見ていた側の、引かれ方まで。
では、写真は、
いったい誰のために撮っているのだろう。
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