ぼけているだけで、消えてはいない
カメラは、ひとつの場所をはっきり見ようとするほど、見える範囲が狭くなることがある。
ひとつの場所にピントを合わせると、
そのまわりは大きくぼける。
そこに何もないわけではない。
ただ、目に入らなくなる。
長くカメラを持ってきたから、その感覚を身体で知っている。
ファインダーを覗いていると、いま自分が何を見ていて、何が視界からこぼれているのかに、ふと気づくことがある。
その感覚が、カメラの外でも頭をよぎることがある。
人が追い込まれていくときも、少しそれに似ているのではないかと思う。
もちろん、外から見えるものだけで何かを言えるわけではない。
その人にしか見えなかった苦しさがある。
その人にしかわからなかった暗さがある。
ただ、苦しいときの視野は、ひとつの場所にピントが合いすぎてしまうのかもしれない。
これしかない。
ここで終わりだ。
もう戻れない。
そのひとつの思いが強くなるほど、
まわりにあったはずの景色は、だんだんぼけていく。
本当は、ぼけているだけで、消えてはいないのかもしれないのに。
少し前の私も、別の形で、似たようなところにいた気がする。
目のこともあった。
仕事のこともあった。
この先どうなるのかを考える時間も多かった。
でも、苦しさは不安そのものより、
それしか見えなくなっていくことのほうにあった気がする。
今まで通りに戻れるのか。
前のように働けるのか。
前のように撮れるのか。
そこにばかり気持ちが向かうと、
それ以外の形が見えなくなっていった。
少し立ち止まること。
やり方を変えること。
前と違う形で続けること。
頭ではわかる。言葉としてはわかる。
けれど、ピントが一点に合いすぎているときは、それが道には見えない。
妥協のように見えたり、
負けたように見えたりする。
世界が急になくなるわけではないのに、自分の見える範囲だけが、先に細くなっていく。
ただ、カメラを持っていると、
別のことも見えてくる。
ピントの外にも、景色はちゃんとある。
ぼけているだけで、消えてはいない。
少し引く。
少し離れる。
少し画角を変える。
それだけで、さっきまで見えなかったものが、ふっと画面の中に戻ってくる。
人も、本当はそうなのかもしれない。
すぐには無理でも。苦しい最中には信じられなくても。
見えていないものが、なくなったわけではない。
行ける場所も。
やり直せる形も。
助けを求める道も、まだ残っているのかもしれない。
ただ、いまはぼけているだけかもしれない。
そう思えるだけで、呼吸が少し戻ることがある。
これしかない、と思ったときほど、少し引いてみる。
見えていないだけで、まだ残っているものがあるのではないかと疑ってみる。
そうやって、
助けられてきたことが、
これまで何度もあった。
見えていないだけで、
まだ残っているものがある。
そう疑えるだけで、
少し息ができる気がしている。
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