映画『REAL VOICE』と石川優実『私が私を取り戻すまで~性暴力被害のその後を生きる』から、性売買について考える
1,虐待と性売買 映画『REAL VOICE』のこと
2月11日、いのちとくらしの映画祭にて山本昌子監督『REAL VOICE』を観ました。この映画は家庭内暴力や育児放棄などの虐待を受け、児童養護施設などを経験した子どもたちが、つながり、生きることを訴える映画です。映画を撮った山本監督自身、児童養護施設で育ちました。児童養護施設に過ごすことどもたちには選択権がありません。そして18歳になると突然社会に放り出され、一人で生きていくことを要求されます。山本監督は日本中にいるそんな児童養護施設を離れた人(ケアリーバー)たちをつないぎ、共に生きていける関係を築く活動をしています。
しおんさんというメインになる20歳になる女性の生い立ちを再確認する作業のドキュメントを軸に、あやのさんという女性のインタビュー、そのほか日本中にいるたくさんのケアリーバーたちの叫びを収めたドキュメンタリー映画でした。私は開始5分後から終わりまで、涙が止まりませんでした。この国に暮らすすべての人に観て欲しい映画です。
映画はYou Tubeにもアップされていますので、ぜひとも観てください。
この映画は、しおんさんの日常と生い立ちを描き出すことで、虐待を受けた子どもたち(ケアリーバー)の抱えている問題をありのままに描き出しています。しおんさんの話だけでも1時間くらいできそうですが、今日お話ししたいのはサブ的なポジションでインタビューを受けているあやのさんのことです。
あやのさんは0歳の時に乳児院で保護され、3歳で児童養護施設、6歳で親元に戻りました。最初のころは家庭でうまく言っていたのですが、弟(?)が生まれたころからうまくいかなくなります。子どもたちを育てるために、母親は昼も夜も働くようになり、兄弟の面倒はあやのさんが見るようになりました。母親は子どもを施設に戻さないよう奮闘したらしいのですが、貧困が一家を襲います。電気も水道も頻繁に止まり、食べるご飯もあたえられず、あやのさんは乾燥ワカメを湯で戻して食べたりしたそうです。母親は父親から養育費をもらえないことを自分のせいにして、母親自身児童養護施設出身者なためにこれ以上税金を使うのも申し訳ないと、生活保護に頼ろうともしませんでした。家族は社会から孤立しており、あやのさんがネグレクトに遭っているということは誰も知りませんでした。
あやのさんの成長につれ母親とけんかすることも多くなりました。母親から「あなたなんか産まなければよかった」といった言葉がぶつけられることもありました。あやのさんも自殺未遂やリストカット、家出を繰り返すようになります。中学生の時、ネグレクトのことを部活の顧問に相談したこともあったそうですが、思春期にはよくあることと一言で片付けられました。頼れる大人は誰もいませんでした。
SNSを使って、大人の男性と会うようになりました。母親とうまく言っていなくて家に居場所もなく、一時でも心配してくれる人がいるというのが嬉しかったと、あやのさんは語っています。心を許せるのが、自分のことを知らない男性しかいなかったのです。
あやのさんが中学生の時、夜の仕事をはじめました。あやのさんは行政や児童相談所にSOSを出したのですけれど、誰も助けてくれませんでした。あやのさんはネグレクトされていましたが、物理的な暴力を振るわれていたわけではありません。行政にとって優先順位が高いのは目に見える虐待なのだそうです。そして中学生が働くことができるのは、夜の仕事だけでした。明日のご飯もない、常に栄養が足りていない、生きるか死ぬかの毎日の中で、死ぬよりは生きることを選択した。それが夜の仕事だったのです。
「辛いことも多かったけれど、いま生きているのは夜の仕事のおかげ」……そうあやのさんは言います。そしてこう言葉を続けました。
「普通の人なら男の人と性的な関係を持つのに抵抗があるだろうけれど、児童養護施設のときに上級生から性的虐待を受けていたので、それも当たり前と思っていた。小学生の時にも実の父親から性的虐待を受けた。だから抵抗を感じなかった」
「自分を防衛する本能がなくなっていた」とも。
あやのさんはその後、精神疾患で1年半も入院生活を余儀なくされました。退院してからはまた母親のもとに戻り、けれど高校生になって一人暮らしをはじめ、母親と距離を置くことで精神的安定を取り戻せたといいます。そして同じように虐待を受けてきた人たちと出会うことで、自分は一人ではないのだと実感できるようになったそうです。
あやのさんは、自分の母親のことを「虐待をしたくてしていたわけではない」といいます。
「虐待は他人事じゃなくて身近にあることだと知ってほしい。私が小さかった時に、誰かに気づいて、助けてほしかったから。いまも虐待に苦しんでいる子がいて、だから他人事ではなくて、身近な問題だと考えて欲しい。」
映画を観る人に向けて、そう語りかけています。
2,親が悪いわけじゃない、悪いのは誰?
みなさんはあやのさんの話を聞いてどう思いますか?
この映画のテーマは虐待をうけた子どもたち、子どもが大人になってからも含めて、どう社会で支えていくのか。そういうことが問われた映画でした。ただ私がいまここであやのさんのことを取り上げたのは、もちろん性売買について考えたいからです。
あやのさんが性売買を体験したのは中学生のときです。家ではネグレクトされ、孤独から救われるように男性と会うようになり、そして生きるか死ぬかの状況で性売買を選択したのです。信用できない大人ばかりのなかで性を買う男性のほうが信用できる……という話は外でもよく聴く話です。それは性を買う男性だけが優しかったという話では当然なくて、周囲の大人が全然だめだという話です。社会がダメだ、国家がクソだという話です。
中学生の時に性売買を経験し、精神疾患で1年半入院……そのことを自己責任や親のせいですますことなどできません。あやのさん自身が自分の親のことを「虐待したくてしているわけじゃない」といっているように、このような貧困を許している社会がおかしいし、そういう社会を変えていかなければならないと思います。
日本軍「慰安婦」被害者の証言を読んでいても、幼少期の貧困や虐待が関係していることがとても多いです。
例えば沖縄・渡嘉敷島の慰安所に連れてこられた裴奉奇さん。6歳の時に一家離散しています。家には両親ともおらず、3歳の弟と2人で暮らしていました。17歳で結婚させられますが、これも貧困のためにすぐに破綻。その後、渡嘉敷に連れてこられるまでの約10年間、興南というチッソの工場があった都市にいたという以外、詳細はわかっていません。興南というチッソの企業城下町で裴奉奇さんはどのように暮らしていたのでしょうか。
裴奉奇さんの幼少期の貧困と一家離散は、決して裴奉奇さんの両親が悪いわけではなく、日本による朝鮮植民地支配の結果でした。日本人が朝鮮人の土地を奪い、米を奪い、小作農は土地を失い雇われ百姓に転落していきました。裴奉奇さんの家も、そんな植民地朝鮮に多く見られた家族のひとつだったのです。
あやのさんの家も、想像を絶する貧困です。お湯で戻したワカメを食べたという話を聞くと、本当に心が痛いです。夜を徘徊していた中学生のころ、あやのさんは体重が40キロなかったそうです。
母親はあやのさんに対して産むんじゃなかったという暴力的な言葉をぶつけていますが、このような家庭状況では母親のせいばかりにできません。
だれも生活保護を受けていいと教えてあげられなかったのでしょうか? けれど生活保護の窓口では申請する人を追い返すなんてことをよく聞きますし、そもそも高市首相だって2012年にこのように発言していますよね。
「さもしい顔してもらえるものはもらおうとか弱者のフリして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」
政治家にこんなことを言われたら、そりゃ無理でしょ。そうじゃないですか、高市首相。
3,性売買が心を殺す 石川優実『私が私を取り戻すまで~性暴力被害のその後を生きる』に寄せて
あやのさんの発言の中で気になるのは、「自分を防衛する本能がなくなっていた」と語っていることです。
児童養護施設で、そして自分の父親からレイプされ、だから自己防衛本能がなくなっていたと……本人がそれに気づくのはとても勇気がいることだと思います。
性売買について考えるとき、同じような事例がたくさんあるのではないかと、私は考えます。
たまたまいま読んでいた本にも同じようなことが書かれていました。
石川優実さんの近著『私が私を取り戻すまで~性暴力被害のその後を生きる』(新日本出版社)という本です。この本も、ぜひ多くの人に読んで欲しい本です。当事者にしかわからない感覚がたくさん詰まっている、気づきの本です。
石川優実さんは #KuToo を始めた人です(知らない人はググってください)。また芸能界の性暴力事件についても告発しました。性被害が彼女の体に与えた影響は重く、複雑性PTSDと診断され、この本はその回復の日々を綴っています。この本の中で彼女自身の成育歴についても語られていますが、彼女も早い時期に性売買に従事しています。その話は先述のあやのさんと重複するところが多いのです。
石川優実さんが性被害に遭ったのは16歳の高校生の時。アルバイト先でのことでした。アルバイトでマッサージ店のティッシュ配りをしたところ、「マッサージのほうもしてみる?」といわれ、普通のマッサージ店と思って誘いに応じたところ、お客さんにレイプされたのだそうです。
それだけでも驚きなのですが、注目すべきはその後のことです。その数日後にこの違法マッサージ店が本格的に性売買の店を出すということになり、高校生というのにそのままその店に働きに行ったそうです。彼女はその時のことをこういう言葉で述懐しています。
《なぜなのかは、自分でもわかりませんでした。そこから20代後半まで、性産業から抜け出せませんでした(グラビアの仕事もそのひとつだと思います)。嫌だな、と思いながら、私はそこに行くしか選択肢がありませんでした。そうやって自分の中で、レイプの被害を、被害ではないものにしようとしたのだと今は思います。
そこから私の性売買にかかわる人生が始まります。メンタルもどんどん壊れていくことになります。それからやっと抜け出せたのが、2017年の #MeToo 以降、20代後半になってからです。》
もし #MeToo がなければ、フェミニズムと出会わなければ、彼女は今でも性産業の中をさまよっていたのでしょうか? 自身がうけた性暴力被害を告発することもなく。レイプ被害を上書きして消すように性売買を受け入れ、芸能界でも性を搾取され、けれどもそれが被害だと気づくことなく過ごしていたのでしょうか。そういうことを想像すると、もちろん石川優実さんも含めて #MeToo と声をあげた女性たちがどれほど大切なことを社会にもたらしたのか、実感します。
石川優実さんは、性産業が女性に対して暴力的であるということを、暴力という言葉こそ用いませんが、身をもってわかっているようです。
女性の性が商品として流通することと性暴力被害との関係について、石川優実さんはこのように書いていました。
《なぜ女性が体のみの相手として扱われることが多いかというと、やっぱり「女を金で買える」とか「女性は性的なもの」として見ている社会が影響していると思います。そうやって扱われても、それが当然すぎて素直に傷ついたと思えない、蓋をしてしまうことが、その後被害にあいやすい環境に絡め取られていくこともきっとあると思う。》
そして「自分で選んだ」と思っている女性たちに向けて、このような言葉で語りかけています。
《いつも思うけど、その時、たとえ「自分で選んだ」と思っていても、後から傷ついてもいいんだよ、とは言いたい。無理やりやらされたかどうかとは別の話で、傷つきはあっていいし傷ついたと自分が受け入れられなければ、いつまで経っても傷が癒えない。》
とても大切なことなのですが、傷ついた人が傷ついたと自覚するとは限りません。石川優実さんがそうであったように。傷ついたと気づくことさえ妨げるのが、性を商品として扱う私たちの社会です。
「自分からセックスワークの道を選んだ」「セックスワーカーには職業選択の自由はないのか」……そう主張する人が少なからずいます。けれどそう言う当事者女性たちも、本当は傷ついているのではないか。傷つけられているということに、気づいていないだけではないのか。私はそう思います。
もちろんこれは人の内心に関る問題ですから、他人が判断できることではありません。ただ私は、本当は傷ついているのではないかと、勝手に推測しているだけであり、勝手に推測するなと言う批判は甘んじて受けましょう。
確かAV新法反対の時だと思うのですが、私と全く違う立場でAV新法に反対していたAV女優3人の対談を読んだことがあります。内容的にはここで紹介するほどのものではないのですが、3人とも精神疾患の薬を飲んでいることが語られていました。私はそうだろうなと納得したことを覚えています。
韓国の性売買当事者ネットワーク・ムンチのメンバーも、性売買に携わっている間は、性売買が暴力であると気づくことができず、業者の誘いに従って性売買禁止法反対のデモに動員されたりもしました。それでも性売買が暴力そのものであると気づく女性がいるのです。気づくことができたのは、女性たちに本当の意味で寄り添う運動があったからです。
4,性を買う男性と業者には処罰を、女性には支援を
高市首相、あなたは昨年11月11日の衆議院予算委員会で、性を買う男性を処罰する方向での法改正を検討するよう、法務大臣に指示しましたね。新宿など繁華街の路上で性売買目的の客待ちが社会問題化していることを踏まえてのことでした。
少し丁寧な言い回しが必要と思うのですが、現行の売春防止法では性を売る女性にも買う男性にも処罰規定はありません。処罰されるのは性売買の勧誘やあっせんであり、つまりは性売買の業者を処罰するということです。
ただし現実には、街頭で女性がいわゆる「立ちんぼ」をする場合は自分自身で勧誘をしなければならないために、処罰されることになってしまうのです。わかりやすく言えば、街頭で立っていると処罰されるけれど、店で待機していれば処罰されない、そういう仕組みです。私は街頭に立つ女性たちが逮捕されることについては、売春防止法の拡大解釈ではないかと考えているのですが、そのことはいったん措きます。
大事なのは、性を売る女性は処罰されるのに買う男性は処罰されないということを非対称と認め、高市首相が性を買う男性を処罰する方向性に合意したということです。
私は、性を買う男性を処罰することに賛成です。私は男性だから、特に強調して主張したいです。性を買う男性を、処罰しなければならない。それは性を買うことが、女性に対する人権侵害であり、女性に対して深い心に傷を負わせることになると信じているからです。男女差別がなければ、性売買は成立しえないと思っているからです、金銭で女性を支配することは暴力であり、性売買は本質的に性暴力だと思っているからです。人権を侵害する人は、人権を守るための法律で処罰されて当然です。
それに男性客とは性売買産業における需要そのものです。需要がなければ産業として成り立ちません。そうやって性売買産業を限りなく縮小されることで、被害も限りなく減らすことができると考えます。
しかし高市首相、男性を罰するだけでは駄目なのです。同時に性を売らざるを得ない女性を支援することが何よりも大切です。
冒頭に紹介したケアリーバーのあやのさん。ネグレクトに遭っていた彼女に本当に必要なのは性売買でしたか? 絶対に違いますよね。彼女に必要なのは温かいご飯と安心して眠れるベッドであって、同情するふりをして体を好きにしたいと思っていた男性ではなかったはずです。あやのさんが相談に行ったとき、行政は冷淡だったようですが、そもそもあやのさんのような子どもたちを支援しようとする体制がこの国には全く不十分だし、あやのさんのような家庭を救うための憲法25条で規定される生存権を保障する仕組みが、全く不十分です。長く続いてきた新自由主義の下で、貧困そのものをなくさなければならないという考え方自体が、この国にはもはやありません。
石川優実さんが性売買被害に陥らないためには何が必要だったのでしょうか。それは性を商品化しない社会だと思います。とても小さなことで言えば、水着のグラビアが少年誌の表紙で当然とする、そういうことを変えていかなければならないと思います。石川優実さんは自分の受けた暴力を、暴力と認識することなく生きてきました。その連鎖に終止符を打ち込むためには、暴力を暴力と認識できる社会と教育が必要です。
高市首相! あなたはいま、戦後のどんな政治家よりも大きな権力を手にしています。フリーハンドが与えられたも同然です。ならば買春する男性を処罰する法律を実現してください。当然できますよね。
もちろんそれだけでは駄目なのです。性を売る女性を処罰するのではなく、支援してください。この国にはすでに、困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(以下、女性支援新法)が2年前に施行されています。女性支援新法は「女性の福祉」、「人権の尊重や擁護」、「男女平等」といった視点を明確にし、困難な問題を抱える女性一人一人のニーズに応じて、本人の立場に寄り添って、切れ目のない包括的な支援を行うとしています。この法律に十分や予算を与えて、十全に活用できるようにしてください。Colaboの支援を打ち切るような態度を反省し、条件を付けることなく支援してください。
どんな子どもでもなりたい自分になれるような環境を実現してください。電気や水道が止められるようなことがないように、夜中に街を徘徊しなくても済むように、誰もが性売買に囲い込まれることがないように、あらゆる権限と予算を子どもたちのためにつぎ込んでください。あなたの今の権力なら、それができるはずです。
予算を兵器産業につぎ込んだりしている暇や余裕は、本当はないはずなんです。
最後に、石川優実さんの本の一節を引用して、私からのアピールを終わります。石川優実さんの「気づき」は、性売買の本質であり、それは日本軍「慰安婦」問題にも通じています。
《「セックスワーク」という言葉は確かに、一時的に自分を救いました。あれは仕事だったんだ、恥ずべきことではないんだ、私は汚くなんてないんだ。そう思わせ、自分には価値があると思い直させてくれました。そういう面では悪くない言葉だと思います。しかし同時に、風俗やグラビアの仕事をする中で自分が負った傷を、すっかり覆い隠してしまったとも思います。
高校生のときの私は、バイト先での出来事が暴力だとかそんな認識なく、自分がどんな状況なのか何もわからないまま洗脳のような状態でした。洗脳っていうのは、何も大それたものではなくて、例えば「女性はヒールを履かないといけない」と思い込んでいることとかそういうレベルの、「自分にとって当たり前のこと」を言っているんです。そういうレベルで私は「風俗で働かなければいけない」という認識すら自覚しないまま、当たり前のように自分にそれを課していたのです。そして何も知らないまま性暴力を受けて、暴力を受けたことにも気がつかないままその後の人生を過ごし、そのまま「自分で選んで」風俗で働き始め、「他の仕事と同じように、嫌なことを我慢しながら仕事」をしました。
望まない性的な行為をするしかなかったときの傷を自覚することは、とても難しいです。それに、「仕事だったんだから、傷ついていない」と自分を思わせられれば、そのときをなんとか生きることができます。でも、その傷は治らないまま、自覚されないまま、どんどん大きくなっていき、いつまで経っても謎の苦しみから逃れられません。自覚しないと先に進めません。回復することができません。》
PTSDは完全に癒えることはないと言われています。それでも苦しみを自覚し、斃れるその日まで前に進み続けた日本軍「慰安婦」被害者のハルモニや、ロラ、ダーニャンたちに最大限の敬意をこめて、今日のアピールを終わりたいと思います。もちろん今も渦中の中にいて、もがき苦しんでいる石川優実さんにも、最大限の敬意をこめて。
[2026年2月25日 第205回神戸水曜デモ アピール原稿]
