物事を見抜く自分が実はちょっと好き。
ちょっと前までは
それを「疲れる性質」だと思っていた。
人の表情や声のトーン。
その場に流れている空気。
誰かの言葉の裏側にあるもの。
まだ何も起きていないのに、
「この流れ、たぶんこうなるな」
と、なんとなく見えてしまうことがある。
もちろん、いつだって当たるわけじゃない。
でも、あとになって振り返ると、
「ああ、やっぱりあのとき感じた違和感は、
そういうことだったのか」
と思うこともある。
たぶん私は、みんなが同じように見ているものを、少し違う角度から見ている。
それは、ときどきすごく便利だ。
人がまだ気づいていないことに気づけたり。
場の雰囲気が変わる前に動けたり。
誰かが言葉にする前の気持ちを、なんとなく察することができたり。
先の動きを想像して、
「こうしておいた方がいいかもしれない」
と考えることもできる。
でも、もちろん。
見えすぎることで疲れることもある。
気づかなければ、もっと楽だったのに。
知らなければ、そのまま楽しめたのに。
そんなことも、たくさんある。
だから今までは、
「この鋭さ、なくなったらいいのにな」
と思うこともあった。
でもいつからか、少し違うようもなった。
私は、この鋭さそのものを嫌いなわけじゃない。
むしろ、
「これ、私だから気づけたんだな」
と思える瞬間が、ちょっと好きだったりする。
自分にしか見えていないものがある。
みんなが気づくわけじゃない空気を感じ取れる。
まだ形になっていないものから、何かを想像できる。
それって、悪いことばかりじゃない。
ただ、ひとつだけ大切にしたいことがある。
見抜いたことと、
それが絶対に正しいことは、同じじゃない。
「たぶん、こうだと思う」
そこまでは、自分の感覚として大切にする。
でも、
「絶対にこうだ」
と決めつけなくてもいい。
鋭さを持ったまま、余白も持っていたい。
見えるものは見る。
感じたことは感じておく。
でも、答えを急がない。
それくらいが、私にはちょうどいい。
鋭く物事を見抜いてしまう自分。
そのせいで疲れることもあるけれど、
その鋭さに助けられてきたことも、
きっとたくさんあった。
だからもう、
「気づきすぎる自分」を全部直そうとは思わない。
疲れたら、少し鈍くてもいい。
わからないふりをしてもいい。
でも、ふとした瞬間に、
「ああ、私って、
こういうところはよく見えてるんだな」
と、自分のことを少し好きになれたら。
それでいい気がしている。
自分の鋭さを、敵にしなくてもいい。
それもまた、
私の持っているもののひとつだから。
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