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【讃岐秘話】東かがわ市黒羽の永峰家の先祖: 長塩元親の書状を読み解く。 国宝 東寺百合文書

こんにちは。

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森啓成 (モリヨシナリ)です。

今回は、東かがわ市黒羽(くれは)の旧家である永峰家の先祖: 長塩備前守又四郎元親について東寺百合文書に含まれる直筆の書状を読み解いていきます。





永峰家家系図 (引田町人物史)


永塩因幡守氏継 (東かがわ市黒羽の黒羽城主、黒羽神社を創建。細川勝元の家臣、1467年、応仁の乱で討死した。)

長塩備前守又四郎元親 (細川政元の家臣。摂津国の要職についていた)

・東家 永峰杢左衛門家の家系図





・永塩因幡守氏継→長塩元親→永峰宅本。摂津国守護代を歴任した長塩家の面々





永塩因幡守氏継の壮絶な最期と子孫たち、黒羽城跡地






細川政元の家臣だった長塩元親








細川氏家臣一覧


https://rangaran.jp/history/list-vassal-hosokawa/


・長塩氏は摂津守護代など摂津の要職を務めた。






長塩元親書状





東寺百合文書とは?



「東寺百合文書(とうじひゃくごもんじょ)」は、京都の東寺(教王護国寺)に1000年以上にわたって伝わった、約2万5千通にも及ぶ膨大な古文書群のことです。

長塩元親(中川帯刀左衛門尉元親)の書状がこの中に含まれていることは、長塩家が当時の日本史の表舞台にいたことを示す何よりの証拠です。



東寺百合文書の主な特徴


圧倒的な歴史的価値

奈良時代から江戸時代(8世紀〜18世紀)に至るまでの文書が、まとまった状態で保存されています。

その価値から、国宝に指定されています。



「百合」の名の由来

文書が「イ、ロ、ハ……」と「百」の漢字(一部「廿」などもあり)を振った100個の桐箱(百合)に分けて保管されていたことから、この名がつきました。



当時の社会がリアルにわかる

政治的な命令書だけでなく、長塩元親の書状のような領地争いの調整、寺院の経営、農民の暮らし、さらには当時の「手紙」まで含まれています。



なぜ長塩元親の書状がここにあるのか?


この文書群には、東寺が持っていた全国各地の「荘園(領地)」に関する記録が数多く残っています。


実務官としての長塩氏

当時、東寺の領地を実力で守ったり、逆にその管理を任されたりしていたのが細川政元のような有力武家でした。


交渉の記録

長塩元親は細川氏の重臣として、東寺(寺社側)と領地問題(小松口など)を調整する立場にありました。その際に出した手紙が、東寺側で「重要な証拠書類」として桐箱に大切に保管され、現代まで残っているのです。


画像にある「ヒ函/235/」という番号は、まさにその100個ある箱のうち「ヒ(ひ)」の箱の235番目に納められていることを指しています。

国宝・世界遺産の中に、長塩元親の署名と花押が刻まれた「一次史料」が現存しているというのは、歴史的に見て非常に意味のあることです。

この「ヒ函」にある他の文書も調べれば、元親が当時どのような政治判断を下していたのか、さらに詳しくわかる可能性があります。








京都の東寺に伝わる貴重な古文書群「東寺百合文書」に含まれる長塩元親(中川帯刀左衛門尉元親)の実物書状

この史料に基づき、書状の内容と元親の身分について説明します。



長塩元親書状の内容




この書状は、長塩元親が東寺の年預(実務責任者)に対して出したものです。


事書(要件)
:
「小松口御門跡領所々事」


主な内容
:
京都の「小松口」にあった門跡領(皇族や公家が住職を務める寺院の領地)の管理や諸問題について、東寺側と協議・通達している内容です。


歴史的背景
:
当時、東寺は広大な荘園を持っていましたが、戦国期の混乱の中で武士による侵食を受けていました。細川氏の重臣である長塩元親が、寺社勢力(東寺)と武家政権(細川氏)の間の調整役、あるいは領地の保護・管理を担う立場として関わっていたことが分かります。



長塩元親の身分


資料および歴史的背景から、長塩元親の身分は以下のように定義できます。


官途名:

中川帯刀左衛門尉(なかがわ たてわきさえもんのじょう)

※「中川」を名乗っていますが、文書名が「長塩元親書状」とある通り、長塩氏の一族です。 「帯刀左衛門尉」は、当時としては格式の高い公的な官名です。


所属: 細川政元の内衆(重臣)

室町幕府の管領・細川政元に直接仕える有力家臣であり、政策決定や領国支配に深く関わるトップクラスの武士です。



役割: 寺社奉行・行政官

東寺のような巨大寺院と直接交渉を行い、領地問題を差配していることから、細川政権下で非常に高い行政・裁判権限を持っていたことが伺えます。



小松口の現住所


書状にある「小松口(こまつぐち)」は、京都市上京区の「北野天満宮」から「紙屋川」付近にかけてのエリアを指します。


歴史的場所
:
小松口は、平安京から北西へ向かう「鞍馬街道」や「北野」周辺の入り口にあたる場所です。


現在の住所
:
現代の地名では、京都市上京区紙屋川町上京区北野の周辺に該当します。


小松口御門跡領:
書状にある「小松口御門跡」とは、現在の京都市右京区にある仁和寺(御室御所)に関連する所領と考えられます。

仁和寺は皇族が住職を務める「門跡寺院」であり、小松口周辺にその領地(領所)を持っていました。長塩元親は、その領地に関する実務(所々事)を東寺と調整していたことが、この書状から読み取れます。




以上

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