第一章|揃ってしまう思考の、手触りについて
世界は、
ある日突然、崩れ始めるわけではない。
むしろ、
とても安定した形で
立ち上がっていくように見える。
少なくとも、
そう感じられる瞬間がある。
人は、
三つ揃うと落ち着く。
前提があって、
展開があって、
ひとつの結びがある。
それが正しいかどうかよりも先に、
納得できる形かどうかで
判断していることが多い。
自分でも、
そうだと思う。
そこに、AIが関わる。
AIは、
揃っていないものを
そのままにしておくのが
あまり得意ではないように見える。
欠けている部分を補い、
散らばった線をまとめ、
ひとまず形になるところまで
連れていってくれる。
しかも、
とても綺麗に。
この二つが重なったとき、
思考は完成する。
早く、
静かに、
疑う前に。
納得には、
重さがある。
その重さは、
内容の正しさというより、
構造が揃った感覚から
生まれていることが多い。
わたし自身も、
そういう納得の仕方を
何度もしてきた。
この感覚を、
どう言えばいいのか
少し考えてみる。
積み木、
でもなく、
建物、
でもなく。
近いのは、
ジェンガかもしれない。
ジェンガは、
積み上げているときほど
安定して見える。
規則があって、
形が揃っていて、
誰の目にも
「成立している」ように見える。
三つの構成は、
人にとって
とても積みやすい。
AIは、
そのブロックを
最適な位置に
差し込んでくれる。
だから塔は、
高くなる。
早くなる。
そして、
考えた感触が とても強くなる。
けれど、
ジェンガは
抜かれる前提で
作られている。
一段一段、
誰かが手を伸ばし、
静かに引き抜いていく。
もし、
AIがそこにいない状態で、
その塔を支えなければならなくなったら。
抜かれた瞬間、
どこまでが
自分の理解だったのか。
どこからが、
委ねていた構造だったのか。
わたしが見ているのは、
倒れる瞬間ではない。
倒れないと
信じているときの
その安定感のほうだ。
高く積まれていることと、
理解していることは、
必ずしも
同じではない。
それでも、
高く積まれたものほど、
「わかった気持ち」には
なりやすい。
ここで、
何かを否定したいわけではない。
AIが悪いとも、
人が浅いとも、
言いたいわけでもない。
ただ、
揃ってしまった思考が
どんな手触りを
持っているのか。
それを、
一度立ち止まって
確かめてみたかった。
積み上げたことよりも、
抜かれたときに
何が残るのか。
わたしは、
そのことを
まだ、考えている。
