『 I'm home!/真相 』第2話・ハーブティー
「事故のショックで記憶を失くしてしまったみたいで、何も覚えてないんだよ。その時のこと」
俺がそう話すと、恋子は、今度はさっきとは逆の方に首を傾げて言った。
「よく出来た話だね。綴くん……」
たった今まで、俺の目を覗き込むように思い切り顔を近づけて、頷きながら話を聴いていた恋子が、ふっと顔を離し、『はァッ!』と一つ大きな溜息をつくと、
「流石、綴くん! って褒めてあげたいけど……」
そう言って、遣る瀬なさそうに首を横に振った。
「えっ?! 何? 嘘だと? 作り話だと思ってるのか?!」
今度恋子は、呆れた顔で大きく首を振り、小さく溜息をついて嗤った。「そりゃないよ! あんまりだぜ!」
気がつくと俺は、怒りに任せて立ち上がり、捲し立てていた。
「いくら俺が売れてない作家志望の男だったとしても、そんな三文芝居みたいな話は書かないよ! 本当さ! 確かによく見るテレビドラマみたいな話だけど……。ケド俺だって、自分の身の上にこんなことが起こるなんて思わなかったんだ!」
頭に血が上ったのがいけなかったのか、急にクラっと目眩がして、俺は少しよろめいた。
「ごめん、ごめん! 綴くん、落ち着いて!」
恋子は慌てて俺を宥めると、気遣うようにハーブティーを差し出した。 いつ注ぎ足したのだろう? 紅茶はまたいっぱいになっていた。
「うん……」 俺は急に冷静になると、ソファに腰を下ろし、一口啜ると続けた。
「でも、本当なんだ……。無事だったものの、死ぬ思いをしたんだ……ショックで暫くは動けなかった」
そう口にした途端、突然身体に震えが走り、俺の中に魂の抜け殻みたいになってベッドの上に転がっている自分の姿が浮かんできた。『お前、よく生きてたな!』心の中でそう呟くと、思わず涙が込み上げ、不覚にも少し声が漏れた。
「ごめんね、綴くん、なんにもしてあげられなくて……。その上私、あんな酷い事まで言っちゃって……」
恋子は口元に手をやると、肩を震わせて泣き出した。
「あ、うん。いいよ。いいんだ……。心配も寂しい思いもかけたんだろうし……。無理もない。こっちこそゴメンよ」
俺は涙ぐみながらそう声をかけると、恋子の肩にそっと手をやった。恋子は、頷きながら手の甲で涙を拭うと、促すように言った。
「それから? どうやって記憶を取り戻したの?」
俺は、又ぼうっとしてきた頭と、喉の渇きを落ち着かせるために、紅茶を啜った。
「そこでね、助けてくれたトラックの人の加工工場で、働かせてもらうことになったんだよ、記憶が戻って落ち着くまで。小さな工場の社長さんだったんだ、その人」
俺は、優しい目をした 相馬隆の、気さくな笑顔を思い出して、『出会った相手がよかったな』と、改めて思った。そして又、紅茶を啜って続けた。
「毎日、毎日何も考えず、唯黙々と魚をさばいて機械にかけて、缶詰やパックを作る。そんな風に繰り返される単純な作業が、過去も未来も分からないという不安から、俺を救ってくれたんだ」
そこまで話すと、俺はソファに座り直して、恋子を見つめながら言った。「どうして記憶を取り戻したか、って聞いたね?」
恋子は、労わるような眼差しで頷いた。
「〝えくぼ〟なんだ。その社長の娘さんの」
海辺の町の防波堤の上に腰掛け、潮風に吹かれながら微笑む、相馬爽香の陽に焼けた顔が浮かんだ。潮騒が聞こえた気がした。 ふっ、と我に返ると、俺は続けた。
「可愛い子でね。お父さんにって、毎日お弁当を届けに来るんだけど、ついでだからって、俺の分も作ってくれたりして。優しい子だったよ」
ちょっと用事を片付けてくる、とだけ言って置いてきた爽香を思うと、俺は少し胸が痛んだ。
「その子は片えくぼでね、左側に出来るんだ」
俺は左手の人差し指で左の頬を指して見せた。
「それを見ていて、俺は違和感を感じたんだよ。あれ? 俺の見ていたのはこちら側じゃないぞって。それがいつも助手席に座る、君の片えくぼだった」 恋子は、『ハッ!』としたように、自分の右の頬に手をやった。 その後、何だか、少し悲しそうに笑ったが、俺は気に留めずに続けた。
「そしたら、するすると。本当にするすると戻って来たんだ、記憶がね! まだ全部じゃぁないけど」
俺が嬉しそうにそこまで話すと、恋子は今にもまた、泣き出しそうな顔になった。
「どうしたの? そんな悲しい顔をして?」
恋子は、俺の問いかけに、小さな声で言った。
「あぁ、私と綴くんは、もう違う世界にいるんだなぁ、って。もう一緒には暮らせないんだなぁ! って、そう思うと悲しくて」
恋子はそう言って泣いた。
「えっ? もう暮らせない? 俺と君とは暮らせないって、そう言うのかい?」
急な頭痛とキーンという耳鳴り、目眩が襲ってきたが、俺はそれに争うように顳顬を抑えながら言った。
「どういうこと? 何故だ?! どうしてなんだ?」
喉の渇きが、『マッテマシタ!』とばかりに、再び襲ってきた。
「う! 喉が、喉が痛い!」
恋子は、急いで紅茶を注ぎ足すと、ティーカップ を俺の口元に当てがった。
慌てて受け取って、それを啜る俺に、恋子はぽつりと言った。
「だって綴くん……もう死んでるから」
第2話・終わり
