石川賢漫画作品全体の癖というか共通項っぽいものメモ

配信作品は粗方読んだんだけど、なんかどうもこうじゃないかなあっていう、確信は持てないけどレベルの色々自分用メモ。
割とはっきりしてる部分はこっちにまとめてあります。


言葉の使い分け

多分わざと漢字選んでる単語がいくつかある。

「時」→単に時間だけを指す
「刻」→どうも「時空間」みたいな時間の流れだけではない概念っぽいものを指してる

五右衛門での半蔵と伊賀のものたちの会話、1Pの中で同じ「とき」と言っているにも関わらず、あてられている漢字が違う。
「刻読み」の説明とかも考えれば多分こうだと思う。他作品でも通用しそう。

「さだめ」で「運命」と「定め」とかなんかこういうのはちらほらあるような気はするがサンプル数増やさんとなんともいえん所でもある。その編集したのいつとか。

一人称、「おれ」の作品と「俺」の作品がある。
これはどうも基本は掲載紙で違うっぽく
少年漫画→「おれ」をはじめとして漢字が開かれてる
青年漫画→「俺」とか漢字が多い

んだが、実は「ゲッターロボサーガ」の一部だけこの法則から外れる。
漫画版「真ゲッターロボ」
掲載初出となるアンソロジーなどを確認したところ、最初は「俺」であったし三点リーダも「……」であった。スパロボというゲームのアンソロだし、対象年齢も高めだろう。
総集編雑誌も同じだったのだが、サーガ編集がされた単行本でここに変更が入り、電子書籍版なども「おれ」「…」に変わっている。わざわざ。
ゲッターロボサーガはその始まりとなる「ゲッターロボ」から少年漫画雑誌・学年誌での掲載であった。
このため、無印・G、「少年キャプテン」連載だった號までは「おれ」であるのは理解できるし、漫画版真でもこれにあわせて「おれ」で統一したのではないか。
しかしこれだけでは三点リーダの変更の説明がつかない。
なぜ三点リーダまで変更が入っているのかと言えば、「おれ」も含めて
実はそもそも東映版脚本の書き方が元なのではないか。
(ロマンアルバムなどの脚本一部を見ると完全に一定はしていないようだが「おれ」「…」という書き方が多い)

こうなると、同時に「アーク」がおかしく見えてくる。
あれ「だけ」が一人称「俺」で一貫しているのである。
ついでに冒頭で敷島博士が「リョウ」(原典筋は一貫してこっち)じゃなくて「竜馬」って言ってる。

「ゲッターロボサーガ」「ゲッターロボアーク」内での言葉の選び方の不自然さみたいなのは他にもあって、基本「リョウ」のはずなのにゲッター地獄の聖獣ドラゴンだけは「リョウマ」って言ってるとかもある。
これ原典正規筋とそうでない(派生作品筋、東映版以外の映像化など:確かにこっちでは「リョウ」と作中呼ばれない)ので、一人称や二人称が違うんじゃないのか?

*真の極一部、数個の台詞や同時期に描かれた追加エピソードにはこのブレ?が存在するが意図的であるか単に編集ミスであるかなんなのか不明

主人公のお顔と分化

リョウっぽい、と思いきやなんか性格ややってることは隼人っぽい主人公がたまさかいる。
ゲッターロボより前なら「風魔孤太郎」とか。後なら「天と地と」とか「海皇伝」とか。
もうひとつ気になることには、明らかリョウ顔の「勝海舟」と隼人顔の「沖田総司」で、幼少期のお顔がそっくり。
この「リョウっぽいお顔の少年」も結構該当する子が多い。

もしかしてこれ、
「ベーシック主人公顔」(幼い子はここ)から
「個人重視」→リョウ系
(運命╱枠に抗う、片っ端から髪の毛とか色々跳ねまくるし眉毛太い)
「枠重視」→隼人系(運命╱枠を受け入れその中で最善を尽くす、髪の毛おとなしいストレートで眉細い)
に分化するんじゃないか?

骨格同じだけど、肉のつき方が正反対みたいな。だから後年のリョウと隼人、基本お顔違うだろうにたまにめっちゃ似てたんじゃないか?
んで、こうであるなら「あのお顔の少年」はリョウ系と隼人系の分化前存在(自我や人格の明確な確立、精神的自立前)だし、それって同時にある種の「あの二人の精神的な子供」にもなるんじゃないのか? 魔空の信乃とか五右衛門の新吉辺りとか。

「悪いこと」って結局なんなわけ?

っていうと、石川作品においては多分「なにもしていない他人への加害全般」って考えると筋が通りやすい。
戦場において民間人や非戦闘員を巻き込むとか、戦うつもりや覚悟のない人間を害することへも厳しい。

こうであるから日常風景からしてセクハラや嘲笑に該当するようなものもほぼ無い。あってもきっちり叱責が入り「それは良くない」と示される。

そもそもにして石川主人公、特にリョウ系は「お前はお前、俺は俺。他人に害を与えないなら好きに生きろ、おれもそうする」みたいな節が強く、あれを「怒らせる」っていうの自体が相当不味い。
本来かなり寛容で、ちょっとやそっと煽られたりこづかれても揺るぎもしないようなタイプが「絶対許さん」ってなるんだから、その前には敵の外道下劣所業が先にあるみたいな。

性的な欲求も描かれるが、それを向けるとして合意のある相手が基本なのもそう(なので性に奔放っぽい爆末伝の平九郎すらせっせする相手は商売女で、黄鹿に強姦するぞって脅しかけるのを見た新八が激怒する)だし、なんなら基本は「自分の下の世話くらい隠れて一人でやれ」みたいな節が魔空の道雪とか魔界転生の十兵衛辺りには見える。

そういえば「ゲッターロボサーガ」無印の隼人の校舎導入でリョウが首飛ばした野犬は盛ってメス襲ってるっぽいみたいなフォロワーさんの話も思い出されるし、漫画版真の序盤の方で研究所で飼ってるぽい犬のロボにリョウが腰振られて首は飛ばさないまでもやっぱりお仕置きしてたなあとかも思い出される。
(例え犬でも)「てめえの性欲押し付けんな」ってことだったんだろうか、はて。
どっちも隼人のところへ向かう直前だったな、とかも気にならないでもないが。

罵声罵倒の類いも「馬鹿野郎」が先に出てきがち。
「浅慮である事実」を「馬鹿」と言うならまあそれはそうだろう。実はあんまり直接的な罵倒語にバリエーションがなく、明確な殺意を示したり人格否定レベルの台詞も本当にぶちギレてるとかどっちかが明確に死ぬしかないみたいな時にしか出てこない。
正直私より全然お上品だし、マジで「他人への加害」に取れるようなことへは基準が厳しいっぽい。

「目には目を、歯には歯を」ではあるんだけど、過剰報復も基本一切しない。
殴られたら殴り返して終わり。リセットがかかる。
復讐を動機とする主人公たちはそのリセットをもって、戦う理由が復讐からはなくなり、精神的に自立した状態になって目的が変わる事も多い。
(だから怒りに目が曇ってやり過ぎ気味な子達、魔獣の慎一さんとか虎はまだちょっと幼い)
まあハンムラビ法典から「それ以上してはならない」だしな。

隼人系が隠し持ってる色々

神隼人が地味に一番顕著に持っていて、恐らくそこからイメージ連続してその流れにある人物達が持ちがちなんだろうけど、多分「神の子」「神に愛される子」だし、それ故に「運命のままなら天に召される=死ぬ」

そもそもリョウのモチーフが赤い竜=黙示録の獣=サタン=悪魔であるなら、その対存在はなんだったか。
隼人はモチーフとなった人物たちの多くが本編で一度死亡してもいる。
核となった漫画版不動明、漫画版本郷猛、早乙女門土は死んでないがゲッターロボ後のバイオレンスジャックで死んでるはずだし、他モチーフもコンドルのジョー、2のアームをライダーマンと取ればそれもそう、なんかまだ他にもあった気もする。
生まれる前から死亡フラグ5、6本持ってる状態ではなかったか。

同時に、「神に愛される」のは石川作品では基本ろくでもない事にしかならない感じもとてもする。
確かに王族など高貴な血筋をはじめ、人間的に高い能力や超能力みたいなものも持ちがちだが、その優位性で無双するってんじゃなくて、選ばれたもの故の使命感とか義務感を自分で背負ってえげつない試練に耐えながら万人のために身を粉にするとかそっち。
多分隼人一人だけしかいなくて主人公だと石ノ森ヒーロー系とかに近くなる。

「超存在に愛された特別な存在なんだから好き勝手やっていいだろ」ってそれド悪党でよく聞く理屈じゃねえか、まともな奴ならそうはならんやろって言われればそれはそうでしかない。
だからまあ、あんなめたくそに自分に厳しく基本献身の人であるんだろうなとも思う。


ざっくり石川作品っぽくするには

自分が二次創作書きなんで押さえるかどうかは別として気付いた共通項っぽい点

・何をするにしても真面目に考える
・神とか運命とかゴミ箱にぶちこめ
(目に見えないものとかそういうものを全否定する訳ではなく、あるものはある、が対等なものとして扱うというか。安易に頼らない。押し付けてくるなら地面に叩きつける)
・選ばれた特別ななんとかとかグーパンしろ
(この辺、弥勒とか爆裂とか虚無戦記系主人公中心に「選ばれたもの」系設定持ちはいるが、それで調子こくとかはない)

・基本的に生命╱人類は対等な存在(ダーウィンの進化論だし日本国憲法他色々)である
相手を尊重せず身勝手に自分の我が儘だけ通そうってのは筋が通らねえだろ精神を忘れるな
・自分に都合のいい棚上げとかダブスタとかは悪党にしか許されない
・セクハラとか弱者への暴力とか撲滅
・嘲笑とかいじめっぽいことも撲滅
・悪いものは悪い。目的は手段を正当化しない
・言い訳とかしない

メンタルの健全さは正しい自他分離と自他肯定をもってして培われる。メンタル自立しろ

・精神的に不健全な関係は破綻する、なんだったら自分で修正できなければ死ぬ
・強大な力を持ったものがメンタル不健全だと地獄を作る
・ちょっとくらいいいよねなんて甘さは許されない。
基本的に論理的に突き詰めて極化する傾向が強く、多くの作品は中道・中庸、均衡に極化しているからああなんであって、外れてしまうと最悪纐纈城。
ただこの辺、石川作品だと全体的に自覚があって開き直ってるみたいな妙なドライさがある。
不健全なメンタルであることに自覚がなく、極限まで拗らせて酷いことになるのは永井作品に多い気もする。

・運命に抗うにしろ受け入れるにしろ、そもそも戦うにしろなんにしろ自分で決めて責任をもて、自分の人生を生きろ、他人任せにするな

・理不尽な運命には抗っていいが、問題なく秩序を維持している世界の摂理とかレベルの根本的なシステムは否定すべきではない
万物に訪れる「死」という結末そのものを拒否って不老不死とか望むべきではないみたいな。石川作品世界観でそれは輪廻システムの崩壊であることも多いし
・抵抗する先は見極めろ。無闇に全方位に反発しない

・戦場で自他の命を同等にかけて戦う(自己選択と決定、自己責任でやってる)んだから、その前提として自立してないとおかしいという理屈か、「成長する主人公」が極端に少ない。最初から「メンタル自立して人格も完成している主人公」がほとんど
まあ「成長する主人公」=最初は未熟でポンコツじゃないと成長にはならない。人類とか世界の存亡をメンタルも自立してない(善悪判断とかも未熟ってことになる)子供に任せられる訳無いだろと言われればそれはそうでしかない。

・悪党の所業は外道非道卑怯下劣に振って構わんむしろ振るべき。
基本的に価値観が異なりこちらを対等と見ていないから暴虐をふるい、交渉にならない(躊躇いもせずに初手侵略と虐殺なんてことしてくる相手はそれだからそうしてるんである)。故に悪である
・そこに対してまっとうな怒りで勢いよくバーーンン!!するべし
基本的にはコントラストとか落差とか抑圧からの解放とか、「違い」が出る時に強めにして快を持ってくる

・強いやつは強いんだから弱者を守るべきだろがまっとうなやつ、強いんだから弱者喰っていいだろが悪いやつ
・争わなくていいなら、戦わなくていいならそれに越したことはないし、戦わなくてすむ世界のために戦ってるのを忘れるな
・基本的にまっとうな善性と倫理観や道徳心を前提としてるが、大義名分は使うな。自分が正しいのではない、相手の所業(行為)がダメで一貫しろ。
正義を掲げて殲滅すれば悪と所業は変わらない。お前の言い分どうあれ、それはダメだって言ってんだろ!の方。
・こうであるのでやり過ぎ禁止。過剰報復もしない
民間人とか巻き込まない。戦意を失ったら、無力化したらいたぶらない。必要ではない追撃しない、などなど

そもそも論どんなクソ野郎だろうが人権は基本存在する
だから命を奪われそうになる自己防衛や、あまりに苛烈な暴虐などに対する抵抗の結果としての相手の死であったり、相手が考えを変えず、対立を選択した結果としての敵対と死であったりする。
戦意を失い、戦えなくなれば、殺す必要がなければ殺さないし、逃げようとするなら追い討ちなども基本かけない。

真の愛情とは他人を思うものであり尊重しようとするものである、嫌われたくねえだろ
・同時にそれには性別とか色々関係ないし、性欲、性愛、恋愛などとも別物。家族愛や友愛の延長に近い
・一途健気ピュアピュア純愛で昭和硬派系タフガイやるのがリョウの血筋
・好意感情は重くなるほど「言わせんな恥ずかしい」とばかりに、自分の感情を押し付けたくないとでも言うように、直接的な言葉で出てこなくなる。言動に出る

・人格は外見や設定ではなく言動にこそ生じる
基本的には「人間」の話

既存の価値観や概念に安易に頼るな
「女だから」愛される、男女だから愛し合うのではなく、誰でもなくその個人だから愛するのであって性別など関係無いとか典型的だが。
この辺は「結婚して家庭を持ち子供を持つことが幸せなんて誰が決めた」とばかりに家庭という形態を持たない疑似家族要素が多いこともそう。
「神だから」「運命だから」なんだってんだってのもそうだし。

・欲をはじめ「他人に迷惑をかけない」「合意が取れている」なら多少羽目を外していい。
酒をのみ美味しいものを食べせっせするのもいいだろう、誰にも迷惑かけないならエンジョイして然るべき。人生は楽しむべき。生きるとはこの瞬間をも言う

・説明とか基本最小限にして読み手に判断に任せる
・説教とかも基本しない
・そこで起きていることを一歩引いた俯瞰のカメラで淡々と映している感じに近い
・なので実は割と全体としては落ち着いている。要所だけドカーーーンン!!

なんつーか、こう、実は「現代におけるヒーローもの」のベーシックなんだよな。
「全人類は同様に人権を持ち平等公平である」っていう戦後価値観を徹底したらどうなるかっていう。


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