【後編】「ゲッター線」とはなんだったのか~「対等な存在」としてあるためのゲッター線考察
前回は作中描写から「ゲッター線のイメージ元は核融合反応と太陽エネルギーにあり、伴ってゲッターロボという機体自体が(地上の)太陽のシンボルやメタファー」ではなかっただろうかと提示した。
おそらく制作者側はこれを前提に色々なものを考えたのだろうという土台である。
以下これをイメージ元と「仮定しての」(あくまで個人考察であって公式ではなく真偽不明だが、これが自分の考えるものの中では一番整合性が取れると判断したので結果を一時仮定する)ふしぎぱわーの内訳とか解釈を思い付く限りで。
難しくはない(はずだ)が面倒くさい話になるのでとても長いのは先に言っておく。
また忘れていたのだがこの先頻発する「進化」という言葉の本来の意味、自他分離についてなど根本的な基礎知識は以前ある程度まとめている。これらは記事を読む人にはある程度の理解がある前提で書く。
勘違いしてほしくないので一応先に書くが、「わからないものはわからない」事はこの世界にはいくらでも存在しているし、「わからないがそこにある」もので世界は構成されている。
私がなに言いたいんだかわからん人も多かろうが、「良いも悪いもわかるもわからないも置いといて、それはそういうもの」という感覚、体感とでもいうのか。
この辺少し留め置いて、この話は読んでもらいたい。
そして、あくまでもこれは私がそこに触れ辿り考えたことであって、本当にそうだったかは誰も知らないし、わからないものはわからない。わからなくても「そこにある」のである。
【イメージ元を前提としたゲッター線考察と解釈】
❶.「神の力」の(反転)再構成
=「原子力」=光子力エネルギーとかと本質的に同じ→正直科学的な部分は前回記事に出した以上のことはあんまり考えてなかったと思う。
前回考察に入る前に記載したが、対象年齢のことを考えても本格的SFとして売り出したかったわけでもなかろうし、モチーフがあるとは言っても架空エネルギーなのだし。高度専門知識がないと読み取れない、理解できない話にしているわけでもないだろうと。
より正確に言うなら後年まで通せば尚更に「考えてはいたかもしれないけど、科学的知識は基礎部分以外そんな重要だとは思えない」というか。
モチーフになったものの殆どが「現在の科学技術では答えや結論が存在していない」話であるので、結果的にそれっぽくなったとしても、科学どうこうという話では根本的に難しい、といった方が近いだろうか。
❷.「太陽の力」のメタファー
→石川先生「命」解釈
そもそもにして、ゲッター線が「核融合エネルギー」「太陽エネルギー」をモチーフとするならば、考えていった末に「生命」と辿り着くのも納得はできる話だと思う。
《ざっくりとこの先の考察まとめ》
「光」「光エネルギー」って放射線そのまま言い方変えただけである。
太陽光が人類だけに恵みを与えてくれているなんてあり得ないのは誰だってわかるだろう。根本的にゲッター線がなにかを選んだと言う事実から存在せず、浴びた中で偶然猿の分化が促進されただけにすぎない。
「核融合」を基本とするんだから暴走すれば周辺の「同化」もするだろうし、核融合の後だから化合物や結晶が残される。
「原子力」→原子を発生原因とするエネルギー→原子とは万物(物質)を構成する最小要素(基礎単位)であって、そうであるからには全ての根元とも繋がるだろう。
原子一つ一つが生じてからの記憶と意思を持つなら、この世界に過去から現在まであるし、天国も地獄もあるといえるだろう。原子すべてを俯瞰するような視点(この宇宙全体とか)からであればその動きのすべてもわかりうるかもしれない。
(「原子」「力」→「ゲッター」「線」と考えれば「原子=ゲッター」ともなる)
(ちなみに宇宙には今だ観測されていない仮説だけ存在する未知の「暗黒物質」というのもあって、これと原子で宇宙が構成されているとかなんとか)
「核融合反応」の暴走の末になにが起きるのかは誰も知らないはずだと先述したが、実は生命の起源や発祥についても2024年現在ですらわかんないことだらけである。
その後の現在までの過程に置いて、太陽がめっちゃ大事なのはそれはそうだろうけれども、何をどうやって「無機物(メカも無機物)から生命(有機物)が発生した」のかがまるで謎。
核融合反応とその結果の末に生命が発生したと仮定してもおかしくはないし、そもそも無機物と有機物は地続きの存在でしかないと捉えれば、メカが意思を持ったり(原子単位で意思と記憶を持つなら尚更)生命に進化したところで発想としてはありだろう。
(アークで人造武蔵が言っていた「大いなる意思」はゲッター=原子やこの宇宙を生み出した某かかもしれない。記述からはゲッター線だかゲッターだかは中間管理職みたいな位置にすぎないし。問題は未来人類や人造武蔵はそもそもゲッター線を神と崇める歪んだ進化先であって、「信頼できない語り部」である部分だが)
そしてそもそもがそういった、「融合する力」のために、同化しか知らず、他者を一方的に食うことしか知らない。
意思はあろうが自他分離ができていない。そこには自分しかなく、自分すら存在しない。
そのままであれば、殻の中の胎児のまま、ただただ何もかもを食いつくし飲み込み、やがて死ぬしかない。
ゲッター=原子・宇宙と考えても、原子の発生はビッグバンなど宇宙の発生初期から始まること、「宇宙は膨張している」理論、そして「熱的死と宇宙の終焉」でこの辺は綺麗に纏まるだろう。
アークで未来人類が言っていた事とも素直に繋がるだろう。
そういった事象であるだけでは善悪はない。
この辺勘違いも起きそうなので少々細かく書くが、「自然の結果として変化や変質が起きる」事と、「他者が意図的に、強制的にその在り方を変える」事では話が違う。
単に寿命で死んだり融合反応の結果としてゲッター線に同化・変質することは自然の摂理でしかなく、その善悪は状況判断含めた個人によるだろうが、ゲッター線自らの意思で積極的に他者を食って同化してしまえばそれは明確に加害であり強制であり支配であり悪となる。
この世界におけるゲッター(線)は結果として「意思をもって他者を食ってしまう」。
悪意も害意もなく、ただそうであるから。同じ原子で構成されている他の存在を対等と思えず、意思を尊重できないから。
死の理解がないから自分すらも「生きている」ことを知らず、生命を理解していないから。
それは、「ゲッターロボ」では敵対者の理屈、「絶対悪」にもなろう。
~対談内容から石川先生の部分を一部抜粋~
(記事筆者前略)途中からは「ゲッターは悪だ」というか「絶対悪」のようなイメージを持っていました。(記事筆者中略)その「絶対悪」がどんどん進化していくとどのようになるのか、それを『アーク』では追いかけてみたかったんですよ。『真』で登場した進化の最終形・ゲッターエンペラーは、そのイメージを具現化したものなんです。
実は「ゲッターロボサーガ」内でのゲッター線はこの「意図的に食った╱同化した」場面は多くないし、なによりも「ゲッターロボ號」のラストでは、「ゲッターはゲッターとして進化しない」可能性が描かれている。
ゲッター(線)がロボットに収まることで「ゲッターロボ」≒「人間」としての形を持ち、対等な存在と命がけのやり取りをしたり、内包した人々の心、竜馬や號といった人々の意思によってだろう「心」をわずかにでも知って、少なくとも彼らの意思へ協調しようとしたからだろう、最終的には「隼人や翔を残し」「自分もまた地球から離れる」選択をした=一番合理的だろう「問答無用で全部食ってその場を納める(それだけが目的ならわざわざどっか飛んでく必要もない)」こと以外の解決手段を取っている。
そして、今までの地球における全原子、全生命での融合反応の結果として、「新しい種子」を宇宙に蒔いた。
可能性の新生。これからも続く世界で、ゲッター、ゲッター線すらもが互いを尊重して生きる可能性。そういったものがあそこには描かれてはいなかっただろうか。
「ゲッターロボサーガと言う話はここで綺麗に完結している」と私は納得もできる。
(熱的死の回避方法もこの筋なら私にはある)
融合し生成されたものは、融合前のものとは異なる。
進化とは変化であり、分化である。
今後もこの世界で生命が存続し進化を続けるならば、そこには「同じであり異なる」生命体が生まれてこよう。まったく変わらず同じであり続けることの方が不自然なのである。
未来人類とゲッターエンペラーは、延いてはゲッターロボアークという世界が「変化、分化を否定した(正しい進化ができなかった)」、パラレル世界ではないだろうか。
*そもそも論、どうもあの世界の人類は辞書レベルの誤読を前提にしてねじ曲がった節があり、その末路、「行き止まり」としてのそれっぽいが。なお、あの世界たちを最初に言い出した╱作り出してしまったのは十中八九「石川先生ではない」。
こんな感じだろうか。
……なんというか、実はそんなに難しい話ではないんでは? という感触がとてもある。
前編で提示したモチーフ元さえ目安がつけば殆どの描写に関連があるのは気付けるだろうと感じ「この後編必要か?」としばらく考えた程度に。
(今までの考察とその結論を大幅修正する必要はなさそうで、なんなら裏付けになる部分が多いのが幸いだけど、考える時にはきちんと基礎からやった方がいいなと改めて思いました)
【考察詳細】
重要そうな検証対象とする台詞の書き出しとか内容まとめからそこから推測されることや私の解釈など。
eBooks電子書籍版(おそらく00年代初頭のサーガ編集された双葉社の単行本が底本=色々整理した後の状態と思われる)での情報となる。
如何せんあること無いこと書かれまくっているので、まずは基本情報となるゲッターロボ號での描写を順を追って行う。とても長くなるのは先に言っておく。
また、そもそもここにあるのは一部を抜き出しただけであって全体ではなく、それそのものでもない。
確かにこうして文面を抜き出すことで見えるものもある(視点の変更、客観部分の整理など)が、漫画としての画面や構成、人物の表情や動き、全体像、空気、肌触り、そういったものは完全に抜け落ちている。
私は部分だけで他人に判断してほしくはない事も言っておく。私がそれで何回も恥かいてるから言うけど他人が出した結論や一部知っただけでわかった気になってないできちんと全体読んで自分で考えろください。
《ゲッターロボ號》
・大規模事故15年後の早乙女研究所内で「金属の結晶化と消失」(どうも一部には一切それが見られないなど意図的、選択的)が観測される
・隼人の説明
宇宙から少量ではあるが地球に降り注ぐ光線。
早乙女博士はこの光線を研究し「かつて太古にゲッター光線が降り注いだ時期があり、それが地上を制圧していた恐竜を絶滅させた」「このゲッター線が人類の進化を促してきた」大胆な仮説を立て発表。
未知の謎が多いゲッター線はしかしエネルギーとしてすごい力を発揮、無公害で無限とされたこともありその研究は「急がされた」。
號のQ「無かったら人類は猿のままだった?」隼人のA「そこまではおれにはわからん」「博士もゲッター線に関して全てを理解するに至らなかった」
・15年前、早乙女研究所で事故というよりは異変といった方が正しい出来事が起きた
その内容としては「ゲッター線の大暴走」。
当時研究所で働いていた280名、隼人には家族同然であった人達、全てが消えた。
「生き残ったのは…まさに運なのか──…… 奇跡だったのか……」「それとも」「生き残らされてしまったのか」
原因は「なにもわからない」
(おそらく人だけではなく)「有機体は消失し無機物さえ変化していた」
研究所はゲッター線に汚染され計器類が狂い原因を突き止めることさえできなかった。
*何故か真ゲッター格納庫の空気には異常もなく、金属の結晶化などと同じく局所的に起きている様子
「いったいゲッター線が人類にどのような影響を及ぼすのかさえまだなにもわかっちゃいない」
大体「太陽エネルギー」と「核融合エネルギー」の一種、「放射線」で説明できるだろう。
ゲッター線を使った核融合反応からエネルギーを生成する作業中、連続的に核融合反応を推し進めた結果としてだろうゲッター線が暴走した。
ゲッター線は「融合」をその主軸とするために、暴走の結果、周辺一帯を融合=同化した。
核融合反応の後にはその結果として新たに生成された化合物、結晶などが残される。人体に有害な放射線の残留期間も短いはずだ。
不思議なのは空気の変化にしろ結晶化にしろ「選択的に起きている」事程度だろう。
・太陽光を浴びているのは人間だけではない
ここで言われているのはあくまでも「人類の進化(分化)を促した」だけであるし、前回引用した無印でのゴールの話でも「宇宙線をエネルギーとして進化したのが人類」としか言われていない。
「ゲッター線がなければ猿のままだったか」には「わからん」と返されている。=別にゲッター線がなくても猿からヒトへの進化は起きていた可能性が割とある。
❌人類はゲッター線に選ばれたから進化した
⭕ある日突然全地表に平等に降ってきたゲッター線でめっちゃたまたま猿の分化が促進したっぽい
「ゲッター線が結果出るまでの時間短縮した」程度の話であろうことも念頭に置いていただきたい。
こうであるならダイナミックプロ公式監修の「ゲッターロボ飛焔」の描写とも整合性が取れる。
そもそもゲッター線はあまねく地表に同等に降り注いでいたもの(現実、太陽光が特定種族贔屓してくれるなんて妄言だろう)であり、同じように進化していたのが植物であった。
あの作中の敵は、それを「植物こそが選ばれた以下略」と勘違いした。(この勘違いは恐らくアークでの未来人類と対象変わっただけで同じである)
数股かけてるのだろうかと思っていたが、なんと言うことはない。そもそもにして「ゲッター線がなにかを選んで進化させている」という事実から存在せず、ゲッター線にはすべては平等公平であったというだけではなかろうか。
同時に注意するべきは無印でのゴールの話も今後出てくる作中人物の推測もそうだが「作中人物がそう推測しているにすぎない」部分で、確定事項では実はないこと。
厳密には「誰もなにもわかっていない」の方が正解となる。
このため、この辺の話は参考程度にしかならず、作中実際に起きている事の方が重要となるのだが、これらの発言も「基本的には」確定事項として仮定する。
*話筋としてはここでも隼人が「生き残らされてしまった」と言っていることが重要だろう。
生き残ることは彼の意思ではなかった。では、それは誰の望みだったろうか。
5巻 47頁
「リョウさん信じて!! ゲッターを疑ってはいけません」「信念で操縦しなさい!!」
50~52頁
「私が言ってるのではありません」
「早乙女博士が言ってる」「いや」「ゲッターロボが言ってるんだ!!」
「リョウさん感情をこめてパワーを上げろ」
59頁
「リョウさん落ち着いて…ゆっくりと 感情をこめて操縦してください」「そう」「自分の力でゲッターのパワーを引き出す…」
言ってる内容が號序盤の凱加入時の合体一連過程に似ている。
「疑ってはいけない」=(その存在を)信じろ であろうし、あの時凱が合体に成功できたのはゲッターロボへの愛情があったからだった。機体スペック╱パワーを「引き出す」のは、その存在に寄り添っての人間の感情(意思の力をベースとする)である と書けばさほど不思議でもなくなる。
あくまでも「引き出す」である点も核融合反応でのエネルギー生成に似た部分がある。
そう考えればわからないのは「早乙女博士、ゲッターロボが言っている」くらいではなかろうか。
「同化する!!」という隼人の台詞、「奴はわれわれのエネルギーを吸い取っている」という敵の台詞
なので、行きすぎて同化した。ついでに敵のエネルギーも同化した。
人間の感情(心)とゲッター線で融合反応(結果のエネルギー生成)してるんじゃないかな、というのがこの辺の一連から疑われる。
故にここはゲッター線とゲッターロボだけが原因とは言い切れず、(自我=意思が強すぎて結果そこからの感情もつよつよのつよすぎる)リョウが気合い入れすぎた+そこにいた全員が感情コントロールしきれなかった結果の惨事である可能性が同時浮上する。
*この「配分の大小あれど乗っている全員に責任があった」事が凱の精神崩壊の仕方に繋がる
號と真ゲッターロボかなんかっぽい存在の会話
「なんだこれは」
「これは進化の記憶の…一部だ…」
「誰だ 誰かいるのか!!」
「ゲッター」「お前には意思があるのか!!」
「全ての物質に意思はあるのだよ…」
「生物にも大地にも風にも 水や火にも時間・空間にも意思があり記憶がある!!」
「そして進化にも意思があり それら全てを司る者にも」
「全てを司る者!?」
「ゲッター おまえはいったい…」
「號…時間がない 人類は今破滅の淵にいる」「それは…植物の実が熟し種子をバラまこうとしているのに似ている…」「しかしこのままゆけば 人類は種子を散らす前に全てを滅ぼそうとするだろう」「それは…意思を持つ者たちは許さない」
「號…われわれは新たなる進化の時を迎えたのだ!!」
「許さないだと」「ゲッター おまえに意思があるならよく聞け!!」「おれは 多くの人間を一瞬に殺したおまえをおれは許さない!!」
「號 何も心配はいらない」「全てはもとの空間に戻っただけなのだよ」
「號 進化の時は近い…」
「號 忘れるな進化の時を!!」
ゲッターロボだかゲッター線だかゲッターだかに限らず、ありとあらゆる物質、時間や空間、進化やそれらすべてを司るものに意思があり記憶がある。
=ゲッター線だけが特別意思があるとかいう話ではない
しかも何回も読み返してもわからんのだが、この内のどれがゲッター(線)を指しているのかが不明瞭である。
原子(万物の最小単位)ひとつひとつに意思と記憶が存在する仮定ならこの辺大体話は通るとは思う。人間の身体だってもっと小さな単位となる細胞とかで構成されてて人間の意思とは別個で動いてると言えば想像つきやすいだろうか。
が、ゲッター(線)がどこのどういう位置に来るのかはよくわからない。「すべてを司る者」か? 宇宙全体を人間の全体と仮定したときの人間の意思みたいな?
原子が存在する宇宙全体を人体に限らず「生命」と捉えて、原始単位からの意思あるものでの集合生命体という解釈ではどうだろうか。
ともあれ、すべてに意思があるならばここまでの不明点であった「早乙女研究所での変異が選択的に起きていた」ことは誰かや何かの意思が働いていたのであろうし、「ゲッターロボが言ってる」のもそのままの意味だったのだろう。
「種子を散らす」あたりは一旦保留。
ここで気になるのは多くの人を一瞬で殺したことに號くんは激怒している=「生きること」の重さを前提にそれを理不尽に奪ったことへの怒りを見せているのに、反省はおろか悪いことをしたなどゲッター線だかゲッターロボだかなんだかは一切思っていないことである。しかもナチュラル上から目線。
4巻28頁辺りの「人間として」平等公平に合理の最適解を行う役割の隼人が婚約者を亡くした後の號くんとの会話と比較すれば、そのおかしさもわかりやすいだろうか。
あの時に隼人は「自分は悪とされるべき事をしている」自覚があるから「言い訳は地獄でやるよ」と言っている。
かたやゲッター線だかなんだかはお前が殺したと怒ってる相手に「心配要らない」。は? なに言ってんのお前?
どうもこいつ「同じ空間に戻っただけで、(原子レベルで完全消滅した訳じゃないから)心配しなくていいよ。なんで怒ってんの?」と判断している様子で、生命が「生きていること」や「死ぬこと」の重要さ、「殺す」事の罪、ひいては個の概念とかをまるで理解できてない可能性がこの時点でかなりある。
意思のない自分だけでは動かないただの道具であればまだよかったものが、下手に自我があるために「結果を出すためなら手段を選ばない、命の重さをまるで知らないから罪悪感も一切持たない無差別大量殺人犯(悪いと思ってないから今後も気軽にやるかも☆)」になっていると書けばそのヤバさが伝わるだろうか。
そりゃ、この話を聞いた後に號くんが「こいつは壊さなきゃならんバケモノだ」と思って動くのも道理ではある。
この「生命の尊重」「個の尊重」的な概念を丸っとどこかに置き忘れ、尚且つ感情を持たないような一種のフラット過ぎる気味の悪さは、2号機乗りから心を抜いて合理に極端に振ったに近い言わば「神の論理」とも言えよう。神は人間のことなんぞ意思とかどうでもいい所有物だとでも思ってそうな逸話に事欠かない。
先に「集合生命体」と記述したが、ゲッター線を人間、生命体を細胞と置き換えて、ゲッター線╱人間には生命体╱細胞の死と再生はただの必然であり取るに足らないというに近いかもしれない。
大問題なのはその自分を構成する要素にも自我があることをきちんと理解できておらず、軽視していることにある。
「社会╱国」に置き換えてもいいだろう。個人が集まり社会╱国は構成されるし、その維持のためには時に個人の権利は阻害されるものではあるが、だからって「個人」を軽視しその生存権に至るまで一方的に奪っていいという話にはならない。
2号機乗りとは異なり、生命や個の尊重という概念がない。
そもそもが集合生命体の持つ意識であるなら、恐らくはあらゆる生命が自分の一部か手足でしかなく、そこに他者があるという認識がない=自他分離できていない。
それは高尚なことを言っているだけの、世界に自分とは異なる対等な存在があるという理解のない赤ん坊に近い。
言い方、見方を変えてもいい。
自分しかない=それ以外の全てに対してフラットでなにひとつ思わない、まして生死の概念も失い本能的な部分にも囚われていない何一つにも執着を持たない存在。
「博愛主義者に愛はあるのか」問題の亜種である。
全てに平等であるものは優しいのか、合理だけで何もかもを判断する存在に心はあるのか、執着の一切を所持しないものは愛を持つのか。
少なくともここでは、ゲッター(線)は「(この時点では)愛を知らない」と結論を置くが。
(號の中ではタイール、真ではゴールやブライの亡霊、アークでも未来人類の様子やとある人物にこういった思考の片鱗があり、それらの人物達は全員ゲッター線との繋がりが示唆されている)
ここまでの時点で何故「悪」足りうるのかは見せているのではなかろうか。
・意思があることは人格や感情があることとはならない
新生児や動物にも意思はある。
しかし、「本能╱欲╱最初にインプットされたプログラム」に従うことしか知らない状態とは言えないか。
現実的に考えても、複雑な思考の結果として生じる「人格」を所持しているとは必ずしもならないだろう。
また、赤ん坊や動物にも本能的な欲求を基礎とする感情は存在するが、複雑な感情は発生しない(しにくい)。
*この辺、今はわかりやすいように分かれてるような言い方取ってるだけで、基本的にすべてはグラデーションであり、二分できるものではないみたいな考え方が最初にあるのは注意願いたい
これは何故かと言えば、そもそも複雑な感情というものは複雑な思考の結果として生じるからであろう。
同時に、強い感情(心)というものは強い意思、自己をベースにして発生すると考えられはしないだろうか。
「人格」は自他を分離して形成されるものである。
自他分離の曖昧な存在ほど自己の確立はできておらず、故に複雑な、強い感情は所持しえないとするなら、ゲッター線が意思を持ちながら感情を持たない(持ってたら人間に頼る必要ないだろ案件)事にも綺麗に整合性は取れないだろうか。
號は精神力が強かったために大丈夫だったのだろうという会話。
渓が「仮死状態」「脳死状態」「まず助かる見込みは…」(ゲッターの中で胎児に戻っていくと取れる描写があった)
凱が「心身不安を訴えている」「話しかけてもダメです 自分のカラに閉じこもってしまっています」(「いやだ 出してくれ……ここは地獄だ……」と頭を抱えている「多くの人間が死んだ… …… おれたちが…おれたちが殺したんだ〰️」)
ここまでの時点でゲッター線の主軸のひとつは核融合にあり、故に周囲を同化するのだろうと書いたが、もちろんそれはパイロットに関しても同様であった。
ゲッター線に同化されることなく自己を保ち得たのは強固な自我、意思を持つ三人と化身であるために例外だったタイール。
他の二人はゲッター線と感情→意思、精神の融合=同化、侵食に耐えきれなかった。
渓はそのまま取り込まれ(自他分離して人格形成をするので、その逆となる自己の他者への同一化は一種の退行現象と言える)、凱は「自分のカラに閉じ籠る」=外部拒絶状態となった。
渓は隼人の悲しみに自分のもののように共感し涙を流すなど、基本的な自他分離はできていたが共感性(他者に同調する力)が他者より高かった。そのため強烈な同化で自分と他人の境界が曖昧になって溶けてしまったのだろう。
凱の状態は精神の自己防衛反応や思春期の反抗期とかエヴァのATフィールドが類似する。
他者や外界を受容するだけの余裕、寛容さを持てず、同化されること(自己喪失)への恐怖から1か0かで拒絶する。
(「何処へ行こうが変わろうがなにしようが自分は自分であるし他人は他人である」という正しい自他肯定・自己受容ができているとこれは起こりにくい)
ここに重ねて、「自分達が殺した」という罪悪感が重なった。その現実の受容、責任の所持もしきれず、恐怖の対象となったゲッター線╱ゲッターロボに責任転嫁、憎悪を向け、現状認識も正しくしないまま「ゲッターロボを悪魔と規定し、これさえ壊せばすべてが終わると、自分が正しいと極端な方向に走った」=今までの敵の所業亜種。
あの時に悪魔だったのは、本当は凱の方であった。
*現状認識については5巻116頁の號とリョウの会話がそれで、「根本的にその使用に反対でも現状打破のために使用するしかない状況にある」と竜馬は主張している。ここでの二人の会話は(譲歩に至る前段階の)意見の対立、衝突である。
その後のタイールの「感情を殺しなさい」「見えるものまで見えなくなってくる…」もこの延長であって、號は怒りに目が曇り現状認識が正しくできていないという指摘から、実際にその極端な例である凱の行動を見せる流れになっている
「號さん 私たちはゲッターを選んで乗っていたんじゃないんだ」「ゲッターロボに選ばれた人間なんですよ!!」
ゲッター線に選ばれたなんちゃらとかいうのはここくらいしか根拠にならないので一応。
「私たち」なので特定個人ではないのは明確だが、正直それ以上は私には何とも判断しがたい。
ただ、少なくとも喜べるような話ではないとは強く感じる。
「ゲッターロボに選ばれる」とは、私にはこの物語全体を通して召集令状に近い。
全世界を守るためにゲッターロボから出された赤紙。操縦には一定能力を必要とする時点で機械の方が乗る人間を選んでいるとも言えるだろう。ただし選ばれたと言っても戦うかどうかの決定権は受け取った人間に存在し強制ではない。
前後関係まで含めるなら「私たちは全人類の存亡がかかる戦いに選ばれたのだから、その責任持ってきちんと客観的な判断しないとダメです」みたいなお叱りっぽくも思える。
色々と取りざたされやすい凱がゲッターに取り込まれながらの號との会話だが、今までの前提にあれば生物以前の元の形(原子)に戻るだけとか、やがて皆が「生命の光エネルギー」(太陽エネルギーだし核融合エネルギー)の中に入っていくとか、みんなここにいる辺りはそう不思議でもあるまい。
また大半がなんかよくわからん話になっても仕方のないこととも感じる。
原子をも総括する宇宙規模の超マクロ視点に自己が解体されながら移りあれらの言葉があるのだろうが、それに至ったことがなく想像もつかない私に言えるのはそこまでである。
4巻での隼人と號の会話(真ゲッターロボを操縦する人間について)にあったように、この局面において「真ゲッターロボに乗る」とは「死ぬ」とほぼ同義である。世界は守られるかもしれないが自分は死ぬ。
漫画版真ではここが逆転していて「リョウと隼人にとっての世界(研究所)は滅び、乗った人間だけが生き延びた」が。
・「ゲッターに還る」とかは「生命としての死」である
ゲッター線に取り込まれるとか、還るとは少なくとも「肉体を失う」=「生命としての死」である。
ではなぜそこに個人の意識っぽいものが残っているのか、というと、この辺は作中描写からは推定が非常にしにくい。
一番無難なのは「エネルギー」と別で「魂」のようなものがあることかとは思えど、ゲッター線による原子レベルが持つ記憶の再現にすぎないとか、その人物を構成していた原子単位で集まったりした時に未完成のパズルやモザイクのようになんとなし輪郭が見えるとかも解釈としてはありだろう。
また、「魂がある」と仮定しても、凱や渓や博士や「真ゲッターロボ」でのゴールやブライの様子にわかるが、どうも個としての思考の枠組みを半ば強制的に解体されてしまう(魂となった時点で肉体由来の欲や本能、生死の概念からも解放されてしまうためにゲッター線に近い思考になってしまう可能性も多大にある)らしく、肉体がないことも含め厳密に言えばそれはすでにその人物ではない。
つよつよな自我を持ち自己受容バキバキにできる人物であれば、自己の変質を認めながら「まあそうなるもんはなるんだから仕方ねえしそれはそれ」として自らの生命としての死を含めナチュラルに受け入れられるかもしれないが、そんなことできる人間はリョウや號くらいだろう。そうじゃなければ悟りを開いた坊さんとかそういう。
「おれは このゲッターがおれたちに何を求めているのか」「凱たちがどこに行ったのか知るためにゆく!!」
だからここで、號は隼人に選ばれたからでもゲッターロボに選ばれたからでもなく、自分の目的があって自己決定で行くと決めた。自分の生死の所在を自分で背負った。
そして、隼人についてはタイールが「自分は2号機に乗るために来た」、リョウは「あいつ(隼人)はおれたちと違ってこの後必要な人間だ」と話している。
もしかすると、リョウが望んでいたのは、(漫画版真での内容を含めれば尚更に)「本来ならば死ぬ隼人を、運命に逆らい生き残らせること」であり、タイールはゲッター(線)がその願いを汲んで使わした存在であったかもしれない。
誰かを犠牲にしなければならないのは変わらない(し、死の概念や生命の尊重を理解したわけでもないだろう)が、戦場で共にあったリョウや同化した早乙女研究所の人たちなどのその願いには譲歩する、というゲッター側からの妥協、譲歩、協調の一部。
それはそれとしてタイールが僧職をイメージさせる割には死者への哀悼等を一切示さないなど、ゲッター線の特徴に似た気味の悪さや不信を感じさせるものを持ち合わせているのも事実であるが。
「全ての物質は同じ光より発生したエネルギー体 同じ所にみんな還るのです」
何も恐れることはない
われわれは宇宙が滅びぬかぎり… 生命の滅びることはない…
全てのエネルギーは同じ所から発生したものだから!!
「死、滅び」はやがて万物に訪れる必然である。
しかし、原子やエネルギーの単位から見れば、生命のそれは循環を繰り返しているにすぎない。
宇宙の全ては …… ここにある……
そして…宇宙の全ては…ここから始まる
時間も… 空間も… 命も
同じエネルギーでバランスを保つパラドックス
いくつものエネルギーが …… 宇宙を飛ぶ…
それはあたかも植物の種子が次なる大地を求め風に舞うがごとく
全ては同じエネルギーから発生しているのだよ
そして みんな同じ次元に存在する
みんなここにいる
生物も物質も 天国も地獄も ここにある
そして……進化が始まる
旅立ちの時だ 何も恐れることはない
種子が次なる大地を求めてゆくのだ
ゲッターはこの旅立ちのため 宇宙の原理にそって生まれたのだ
全てはこの世界で生まれ消え行く。エネルギーとか原子とかのレベルでの存在の有無で言えば、生命として終わろうがそこにはみんなもすべてもあるだろう。
発生からのその過程で、多用に分岐╱分化して、多様性というものが存在している。この世界は基本的にはカオスであり、混沌であって、宇宙であり卵であり、天国でも地獄でもある。
進化とは変化であり分化である。
それは生命の誕生や、子の親からの自立に似て、元あるものとの離別であり新たな世界への旅立ちだろう。
正直「宇宙の原理」とはなにかがさっぱりわからないのだが、この世界のものは発生し生きて変化するという過程を通り、やがて次代になにかを残して滅びる、一種の輪廻に近い原理とは言えるかもしれないとは思う。わからんものはわからん。
ゲッターとは?
ゲッターエネルギーとは
そうか これが ゲッター…エネルギー…
ああ…
命…
「今の現象はいったい… どう見ますか」
「わからない」「今は何もわからない!!」
「だが…もし」「かりに」
「松の実は山火事などの際」「そのカサを開き 種を風に乗せて飛ばす それは新しい大地でまた新しい芽を出し森を作る」
「もし生命というものがそういうひとつの共同生命体だとしたら その機能が働いたのかもしれない!!」
「だが そんなものは仮説にしかすぎない」
「答えが出るとしても 永劫の時を待たねばならん」
「むしろそれは人類の英智のおよばぬものかもしれん」
ここに推測されるように「命」すべてによる共同生命体が滅びの縁に立った時に、次代へ繋ごうとする機能であったのかもしれないし、十二分にエネルギーを増幅した上で機が熟しての開花と種子の散布であったのかもしれないし、ゲッター(線)からすらも協調(妥協、譲歩)を引き出した竜馬や號をはじめとする人々の「愛情」の結晶(融合反応の結果)かもしれない。
*隼人のこともそうだが、翔なども意図的に残されているし、人類の手の届かない火星に飛び立ったのもそもそも使っていい力ではないというリョウや號や渓の主張を受けてのものとも考えられる→ゲッター側からの譲歩や妥協=協調
・全部は「持っていかなかった」真ゲッターロボ
正しく「三つの心」(時として反発する人間心理、自我╱超自我╱イド・本能とかの解釈も可能だろう)を乗せたゲッターロボ=「人間」という解釈をすると
→そもそも自他分離の根底は自分の肉体を持って身体感覚を得て、「自分の体は自分の意思で動くが他人の体は自分の意思では動かない」とかそういうレベルからの話
→ゲッター線という「個を持たない」総体から、ロボットの器(肉体)と自他の違いを得て個を確立しかけていた=正しい意味での自我を持とうとしていたのではないか
という解釈もできるのかな、と思う。「ゲッターロボ」それ自体もまた、意思を持つというなら。
そしてその自我形成の結果として、リョウや號の思いに協調を垣間見せたのかな、と。
ともあれ、融合反応の結果(変化、分化したもの╱ゲッターでありゲッターではないもの)は宇宙に飛び散り、この世界は彼らの愛した人たちを残して守られた。
いずれやがて全ては同じ場所に還るという、その結果だけを見るならその必要はなかったのに、なぜ愛したものは残されたのかといえば、結果だけがすべてではないからだろう。
「生きること」は死への過程である。
永劫と無(死)の狭間に生があり、神と悪魔の間に人があり、肉体と魂の間に個があり、本能と理性の間に心(感情)がある。
そう捉え、「すべては変化するものである」とするなら、その混沌の中のグラデーションの一瞬に慈しむ目を向けるような、そんな感覚もある。
ゲッターがどうあるのかは誰も知らず、しかし今を生きる私たちにできるのは今ここにある存在と出来る限りの協調をなしながら生きることにあるし、それしかない。
やがて、いつか、ゲッターが、生命が、互いを尊重し協調しながら歩むことができるかもしれない。
と、いう美しい終わり方をしたのが「ゲッターロボサーガ」であった。そう私は思っている。
ここまでで、「本来の」ゲッター線、並びにゲッター線と人類の関係性の考察はほとんど終わりとなる。
「真ゲッターロボ」での描写もこれらを前提にすれば、追加される情報を含め概ね整合性は取れるだろう。
では、何故、「アーク」はああなってしまっているのか。
「真ゲッターロボ」での描写から順に続けて書こうと思っていたが、この時点でも随分と長くなってしまったし、「パラレルワールド」というここまでには出てこなかった概念やそれに伴った「上書きされない╱される世界」の話、「真ゲッターロボ」という作品が描かれることになった経緯を含め「ゲッターロボサーガ」という作品を取り巻いていた周辺環境についても少々触れなければならないっぽく記事をまた分けようと思う。
*ねじ曲がってしまった鏡の世界「ゲッターロボアーク」における「絶対悪としてのゲッター線」についてだけなら過去の考察記事に記載している
ひとまずの終わりに
つらつらとまとめて来たわけだが、これらを読んで何をどう考えるのかは読んだ人次第である。
私個人は、神や未知の存在はあると思っているし、人間にはどうもならない部分があるとも思っているが、それはそれ以上でも以下でもない。
未知は視界の彼方にあって隔絶され見えないのではなく、私の隣にあるけど触れてないだけ。わからないものはわからないし、知らないものは知らない。
だからそれは「隣にいる誰か」や「そこにあるなにか」と大きく変わりもしない。
石川作品に触れてから数年たつが、現状の私には特にこの「ゲッターロボサーガ」という作品は「中庸・均衡からの共存を求める」物語のように思えている。
神と悪魔の間に人があり、理性と本能の間に愛(心)があり、永劫と無(死)の狭間に生が存在する。
すべては分け隔たれているのではなくグラデーションの地続きにあって、変わりゆくその一部だけを見て分割されていると思うのはただの錯覚にすぎなかったのではないかと、自分の思慮の浅さに気付かされもした。
私は事実としてエスパーでもなんでもない無知蒙昧な愚者にすぎず、多くを知らない。私は私のことすら知らない。
ぶっちゃけた話、私にはゲッター線なんぞ心底どうでもよく、あれはあれでしかない。お前の存在は認めている、好きだとは言ってない。むしろめんどくs正直こんなことしたくなk
でも、そんな人間なりに、その輪郭を辿ろうとした跡くらいはどこかに残したかったからこれを書いた。
だって、ひとりはきっと、寂しいじゃないか。
