「ダイノゲッター」の元ネタとか解説みたいなものまとめ
何故かジーグの特典となったダイノゲッターだが処々あって掲載されていた全話を読むことができた。(書籍版も入手したよ。タイトル画像左が裏表紙。右はWeb掲載時の扉絵)
以前検索した時にこれもまたピントがずれてる感想が目に付いたし、原点2作品の要素をおそらくこう変換したのだろうということを中心にメモ。
〖 前提情報 〗
14年からダイナミックプロ公式サイトにおもちゃとの連動企画で掲載されたWEB漫画。全八話(紙書籍ではエピソードが追加されている)。
作者もダイナミックプロ所属の星和弥氏、編集に無印やGから関連書籍などで関わりのある不知火プロがクレジットされている。
ゲッターロボという作品の原案を作成した(正確にはさらに東映側スタッフも含むが)ダイナミックプロが直接関わっている珍しい漫画で、2025年3月現在までに刊行されているゲッターロボ派生漫画では一番本家の血脈にあたる。
なおダイナミックプロ監修の表記は飛焔(恐らくダイノゲッターと同格かそれ以上に本家血筋なのはこれ)とダークネス、ダイナミックヒーローズの表紙にもあるが、デヴォと牌の表紙には無い。
監修クレジットの有無は重要で、品質や成分が公式によって確認されてるかとかに近い。それを公式見解として責任が持てるかとか。
作者の手を離れてのアニメ化や実写化を思い出せばわかりやすいかもしれないが、許諾を得て名前を使うこととその内容を汲むことは別の話である
私の過去記事を読んでいる人間にはしつこかろうが、この記事だけに辿り着いた方向けに記載すると、OVA新ゲッターロボはざっくり言うとアンチゲッターロボ作品に相当し、その派生解釈にあたるZ以降のスパロボや派生漫画のデヴォゲなどは本家筋からはかけ離れた内容であるという事は念頭に置いて頂きたい。(根拠となる「ゲッターロボ」の核である「三つの心」については下記記事参照)
【 話の核部分 】
原典の主軸となる『種の存亡を掛けた生存闘争』を表向き『弱肉強食の喰らい合い』と表現しつつ、サルとか獣と蔑視して踏み躙られる事に対して怒りを持って抗う話。
(ただし、主人公側は弱者を踏みにじられることへの怒りを開始12P時点で表明している。その原理に乗っ取って自分が強者になることでもなく、原理そのものから脱却しようという道筋を辿る)
「弱肉強食」=「弱いから食われる」に対する
「強いからって奪って良い訳じゃねえだろ」メンタルは石川作品の基本でもある。
本能のみに生きるケダモノは石川作品世界では善たり得ない
そもそもの話だが、原典において「猿」とか「ケダモノ」という言葉は紛うことなき蔑称である。
「猿」や「ケダモノ」という言葉は主に敵からは「下等な存在」を、主人公側からは「理性や知性を失ったもの」を指して使われる。(例外的な使用は元来理性が薄かったムサシの「猿」、號の戦うために訓練された生き物的ニュアンスだろう「闘犬」の記号程度)
人を人足らしめるものは理性であり、心あるからこそ生きる権利すらも踏みにじろうとする敵の理不尽に怒りを燃やし立ち向かう。
この辺は無印リョウ記憶喪失時の隼人の台詞などがわかりやすい。
「あいつの目は野獣だった」「理性のねえケダモノの目だった あんなのがリョウのはずがねえ」
また、この記憶喪失時のリョウは敵の指示に従っていたらしく「自分で考える力を失っていた」と読めるが、ゲッターロボの前作・先輩格にあたる漫画版マジンガーZにおいてのパイロットは頭脳であり「自分で考える力」であった。1巻鉄仮面のエピソードで「自分で考えないのは楽だ」という言葉に対して兜甲児は「そんなのは人間じゃない」と叫んでいる。
この文脈からしてもやはり「自分で考える力=理性の無いものはケダモノ」である。
(このあとの描写も非常に生々しい人間心理を描いているので1巻だけでも自分で確かめていただきたい。
なお、この考え方は人類にも関わらず理性の有無で人権の有無を決めていると判断するならば現代人権思想においては差別的ではある。石川作品では基本的に人権は悪人にも平等に存在し、対等な存在という認識はあるとは補記しておく。「人間社会で生きるには向いてない」みたいな感じというか
これらはダイノゲッターにおいても共通している。
(トモエの二つ名「大猿」はそう蔑まれ踏み躙られてきた事の意趣返しが含まれていそうだし、ムサシの大雪山エピソードからの記号としての「猿」であって蔑称では無いだろうが)
なお、本能のみに生きるケダモノは石川作品世界では善たり得ない事は、
全書のインタビューで石川先生が「ゲッター線の絶対悪のイメージがエンペラーである」という旨を話されていること+(元情報の出所と真偽は不明だが)アニアク円盤2巻特典ブックレットの「エンペラーは竜馬の強い意思が歪んだ超進化を遂げたもの」+漫画版アークでの人造武蔵の台詞
からも複合的にではあるが察せられる。
彼らは自分のためだけに戦ってなどいない
巷では原典にしろダイノゲッターにしろ彼らは自分のためだけに戦っているという評価も見受けられるがそれは明確な誤りである。
東映版や漫画版の何処にそんな台詞があったのか。彼等は「俺が俺が」なんて精神性とは程遠い。
「三人でなければ真の力は発揮できない」という協調性とチームワークを必要とする根本設定に、自己中心的な利己主義(というよりは自己愛╱ナルシシズムかもしれない)を入れるほど原案者含む制作陣は理屈が考えられないとでも言いたいのだろうか。
ダイノゲッターにおいてもナガレは無惨に殺された家族や友人の復讐からはじまり、ジンは愛する人を奪われ、トモエは親を殺されジンと共に抵抗する為のレジスタンスであった。
彼らは「自分達のため」に戦っているかもしれないが、決して「自分のため」だけに戦ってはいない。
彼らは背負うものがあり(ダイノゲッターでは最終話の会話の中で明文化された)、守るべきものがあり、戦わなければ皆殺される、引く事はできないという崖っぷちにいたからこそ必死に生き足掻いている。
真っ当な人間性があるからこそ、彼らは生きる権利も認めず人を人と扱わない一方的所業に怒りを燃やす。
「踏み躙られたもの達の怒りの代弁者」
これは原典二作品とも共通するゲッターロボという作品……というよりダイナミック系ヒーローの基礎部分のひとつではないだろうか。
この部分はダイノゲッターでは最後のサオトメの「怒れ」という台詞に集約されている。
ロボットはパイロットを含めてひとつのキャラクター≒人間
原案者の共通する(ゲッターの原案は団龍彦=菊地忠昭氏や永井豪先生のご兄弟も関わられており、大全Gには氏による移行初期案も掲載されている)マジンガーZの次に考え出されたゲッターロボにおいて、パイロットは何だったのかといえば、それは時として一人格の中で反発し合う「心」の戯画だったのではないだろうか。
マジンガーZやゲッターロボではロボットはパイロットを含めてひとつのキャラクター≒人間を表しているのだと思われる。
ダイノの機体と全員の状態が連動するのもこの点からではなかろうかと個人的には考えている。
*漫画版真における聖獣ドラゴンの話の中のリョウと真ゲッターからという可能性もあるが、あれは「絶望的な未来」「好ましくない形」であったろう
なお、身体連動型のシステムや鎧というとダイナミック作品では83年の「サイコアーマー ゴーバリアン」が思い出される。
ダイナミックに限らなければ78年ダイモス等が存在し、ダイナミックの血が濃い89年トップや94年Gガンでも使用されている。更にその前の76年にはダイアポロンという操縦者がロボットに変身するに近いものもあったらしい。
「戦争」や「正義」へのスタンス
また、何故「正義」という言葉がダイノゲッターのみならず、原典のゲッターロボでも本編中使われなかった(記憶違いでなければ東映版ですら本編中には使われていない)のかも少し触れる。
答えは簡単で「戦争」に「正義」は無いからであろう。
*相対的な見方の場合。この相対的正義や後述する協調性と同調性の違い、ダーウィンの進化論についてなどは以下の記事にまとめてある。
なお原典のゲッターロボは根底に「戦争」があると考えた方が様々な描写や設定に辻褄が合う作品である。
どのような理由があろうと戦争では敵味方問わず命が失われる。例えそこに侵略と蹂躙が先にあり専守防衛や正当な権利回復のためであろうと。
ふるっているのは暴力で、力に力で対抗しているのは変わりがない。「正義」という言葉はそれを正当化してはいないか、とは私が90年代以降よく見た図式である。
それをまだ戦火の記憶が残る70年代に「正義」という言葉を使わない事で表現し、戦争を肯定はすまいとしていたのがゲッターロボではなかろうか。
漫画版やダイノゲッターにおいて「正義の名の元に暴力を正当化し楽しんでいる」なんてどこ読んでそう言ってんだか私にはまるで理解できない感想も見たがそれとは正反対である。
あの作品には確かに「正義」とは明言されない。しかしそれは描いているものが「正義」といって無条件に肯定してはいけないものだからではないか。
*なお東映版OPには「正義」って使ってるだろという意見もありそうなので調べると、
歌詞付き挿入歌やOPなど14曲中「正義」と使っているのはOP、EDの二曲を含め4曲。
「平和」が5曲。
曲タイトルに「平和」は使われるが「正義」は無い。
これらを踏まえても少なくとも東映版ゲッターロボの比重としては「平和」の方が重かったのではなかろうか。私はどちらの言葉も使っていない「戦いははてしなく」の歌詞が好きです→ https://animesongz.com/lyric/741/4162)
(おそらくはこのような理由で明文化される事は少なかったのだろうが、彼等には字義通り「正しい義」があった事も確かである。自由と尊厳を維持するために、それらを蹂躙しようとする侵略に対し防衛はなされなければならない。自衛権や生存権は否定されてはならないだろう)
ダイノゲッターに置いてもこれらは踏襲され、漫画版アークで示唆されていた「殲滅されるからと言って(限度なく)し返しては悪ではないのか」(過剰な復讐の肯定、復讐の連鎖)とでもいうのか、そういう二面性をも持っているために「正義」とは語られないのであろう。
*原典においてはここも非常に注意深く描かれている
(この辺りの「(行為に対する)善悪の二面性」は「魔王ダンテ」「デビルマン」から連面と描き続けられているダイナミック作品の筋でもある)
【 ナガレについて 】
外見→幼少期はわからないが、成長してからのお顔の基本筋は漫画版無印Gっぽい。マントは実はリョウが着用していたことはない。
ゲッター以外の石川作品では魔空八犬伝などに見られるが、さらにそれの元は永井作品「ガクエン退屈男」の早乙女門土や「デビルマン」の飛鳥了かもしれない
死んだ仲間の首を抱えてのシーン→ 念の為に記載するが単なるバイオレンス描写では無い。
石川作品には度々見られるシチュエーション。石川先生は時代物、忍者物が好きだったというインタビューがそこかしこにあるため、敵のものであれ大切な仲間のものであれ「首印」が示す物は想像に容易い
不当な目にあった家族の復讐から始まる→漫画版リョウ登場エピ
サオトメが擬似的な父親→特に東映版において早乙女家とゲッターチームは擬似家族だった。
漫画版にもそこから汲んだのだろう台詞が漫画版號などでの隼人やリョウ関連に見られる。
生き延びるための過酷な生活→漫画版リョウが父から受けた修行。
生きる為とは言い難いが東映版でもリョウの価値観を作ったスパルタ教育があった事が回想に見られる/G31話
涙が流れた跡が幾何学的な模様になる→三人共通で目の下にこの模様がある時は涙が流れたと考えていいだろう。
涙=感情の発露であり、ゲッター線は感情で増幅されると漫画版號でタイールが言及している。模様も真ゲッターロボ搭乗時のあれそれからOVA通っての感じでは。
本来、「ダーウィンの進化論」とは分化、変化を前提に多様性があっての結果論である。その為、進化系統図は後代になるほど分岐する。
瞳(感情、心)を出発点にしてのそれ、という解釈もできるかもしれない。
*OVAなどは逆で、周辺から瞳に向かう=単一先鋭化のトーナメント方式と考えれば、これはダーウィン以前の進化論、進化を進歩と捉えた場合の図式となる。未監修派生作品群は進化論をはじめ様々な用語から単に辞書すら引いてない誤読のような誤解釈が多く、根本的な物語の原理原則や理論筋から反対になっているものが多い
10年前がナガレ幼少期内容となるため、恐らく年齢も漫画版や東映版と大差ないであろう。
ただどうもリョウの血筋にしては割りと最後辺りまで理性が薄い。最初は弱肉強食の理屈で食われることから食うことになっているだけで、ジンとナーガの話に顕著だが他人のために怒ることもできていない。
これに関しては後述するが三号機乗りと「本質が入れ替わっている」かもしれない。
【 ジンについて 】
元となった神隼人は過積載にも程がある設定盛りキャラクターであり、一部は三号機乗りトモエに回されている。原典とはかなり違うみたいな評価を見たが、とても要素を汲んでいる。
ジンは漫画版隼人とは全然違うという感想や評価は、そもそも東映版が漫画版とは全然違うと思い込んでるから出てくるのだろうが、血筋的にも書いてる事的にも漫画版に一番近いのは東映版である
髪型→東映版? 耳が隠れているのはそれっぽい。
3年前は髪が長かったようで、漫画版隼人が辿った短髪から長髪の逆になっている可能性がある
パイロットスーツ→一人だけ原典二作品に近い
大切に思う女性との悲劇→東映版、漫画版ともにある要素
敵側との関わり→やはり東映版、漫画版共にある要素
東映版では敵に改造されてしまったサオリという少女がハヤトに恋心を持ち死に別れる無印39話を筆頭に、G6話では隼人の先輩であり姉の婚約者である坂崎、G26話では幼馴染みイサムが敵になってしまうなど悲劇的なエピソードが多い。
漫画版G魔王鬼では従兄弟であり学生運動の仲間であった竜二が敵となってしまう。
號では婚約者を戦いの中で失っている。
(この際、號が「冷たい人間だ」と罵っているが、渓が泣きながら反論し、號も考えを改めたような態度をとっている)
アークでは爬虫人類と人類のハーフであるカムイを部下に持ち、かつての敵である恐竜帝国との和平にも動いた。
ナーガの人物像→恐竜の王女でありながら争いを厭い悲劇に散ったミユキ/ゴーラ(東映版無印22話「悲劇のゲッターQ」)を思い出さなくもない。
*ただこのエピでミユキと関係していたのはハヤトでは無くミチルとリョウ
ドラゴ→ふと頭を掠めたので一応。漫画版隼人はその運命の転機に「竜」の名を持つ二人の人物、リョウと竜二が関わる。
戦闘中に「竜巻の中みてぇだ!!」というどことなし魔王鬼を思わせる台詞(竜巻のように渦を巻いて高速回転するのがあの話の終盤)もあり、ナーガを隼人に、ジンをゲッターに置き換えれば途中までのドラゴの心理状態は竜二に似てもいる。
一人だけなんか酷い目にあわされた→東映版は負傷流血役だった節があるから?
何故か隼人の遺伝子持ちは派生作品では特に酷い目にあいがちで原典二作品からのイメージがそうなのか、酷い事したくなる人物像なのかもしれない。
*実は服こそ剥かれなかったし野性動物に食われもしなかったがあの体勢で「地面」に磔にされたことがある人物は存在していて、東映版リョウが該当する。また「トカゲ」に群がられるのは漫画版達人。
女性に対しての対応や知的な振る舞い、一人だけ文字が理解出来る→漫画版での知能が高い設定、東映版の大会社の御曹司である設定。
漫画版もその知能の高さや体操選手であった事、学校の様子などから子供の教育に一定以上のリソースが割ける家庭の息子と想像できる。これに関してはそもそも隼人のイメージソースのひとつが「仮面ライダー」であり、本郷猛などの影響も疑われる。
レジスタンスと目耳鼻→言わずもがな漫画版。
特に目耳鼻は石川先生が「隼人の要素を暗示する」ために他作品でも使用していたと思われる
ナガレさんよ→東映版の「リョウさんよ」って言い方は印象に残るよね
黒い偽ゲッターロボ→チェンゲのブラゲと思いきや、東映版没シナリオ部分(GDVDBOXシナリオ解題16話)の「敵が作った偽の黒いゲッターロボ」の方が共通点が多いためこちらかもしれない
(チェンゲやゲーム大決戦のブラゲも元は同じかもしれないが資料に手が回っていないため不明)
ピクノドン→劇場版「空中大激突」の光波獣ピクドロン?
漫画版で初めて三体での合体変形と2がお披露目されたのは隼人登場のエピソードであり、その際の搭乗パイロットはリョウ隼人博士であったし、博士はスピードに耐えきれずに吐血する。
また、ナーガの最期についての余談だが、ゲッターロボに限らず石川作品に共通する価値観として、現象としては同じ「同化」であるが
相手の許しなく一方的に存在ごと奪い尽くす=絶対悪(様々な作品での敵。主体性は食ったものだけにあり、食われたものの自我や自由意思は消失する)
相手の許可があり、双方の同意の上であなたに私の全てを捧げるという献身の結果=愛情表現の極地(魔獣戦線など。この場合、基本的に人格などが保持される「共存」となる)
であった節がある。
パッと見では魔獣戦線のラストなどを思い出すかもしれないが、ここでは前者の意味であろう。
ところでナガレとジンはゲッターの声が聞こえてるのにトモエは聞こえなかったのだろうか?
【 トモエについて 】
先に書いたが本来神隼人にあった設定を移植/共有して補強したと思われる。
原典で3号機乗りに存在した1号機乗りとの繋がりが無いのはナガレを漫画版リョウと同じ孤独からのスタートにしたかったためだろうか?
レジスタンスのリーダー→漫画版隼人。幼馴染兼仲間がジンだったとする事での共有
「大猿」→漫画版ムサシの大雪山エピソード、リョウとムサシとの会話のなかでムサシに「猿にそっくり」と言っている場面がある
ロボットが好きじゃない→東映版ムサシは爬虫類がダメだった(ハヤトが荒療治に乗り出す話がある)
本名(トモエ)は女みたい→もしかしたらダイナミックプロ監修派生漫画のダークネスオマージュ(3号機乗りが少女)
背負うもの→元来原典から三人ともそうではあろうが、おそらく元ネタとしては漫画版隼人(號や真に犠牲を背負って戦う旨の台詞がある)から。全員そうだとすることでの共有
なんかトモエの外見とかナガレ幼少期の友人のゴウキの名前(飛焔の3号機乗り?)とかOVAか派生漫画に見たことがあるような気がするんだよなぁ、とは思えど、そちらは疎いのもありわからずにいる。なんだったかなぁ。
中身はナガレが3で、トモエが1疑惑
また、違和感があって後から疑い始めたのだが、この話では表面上こそナガレ=リョウ、トモエ=ムサシだが、
リョウの本質(最初から理性・他者を思う心を持ち理不尽に抗う存在、隼人╱ジンを戦いに招いたもの)はトモエ
ムサシの本質(最初は理性が薄く徐々に獲得していく)はナガレ
に入れ替わっているように思う。
もしそうであるならムサシはゲッターを愛したのにトモエは「ゲッターを拒んでいる」という台詞があるのも、「元々親友で共にあったが道を違えて別れ、その親友を切っ掛けにゲッターに乗る」流れもリョウに通じるし、あの巨体も禍や五右衛門といった石川他作品の流竜馬血筋のイメージがあったかもしれない。
「愚か」と言われて真っ先に「誰が愚かだコノヤロー!!」と反発しているのも喧嘩っ早いリョウっぽくもある。
(リョウとその血筋は自分を蔑まれる事には寛容だが、他者を蔑まれると途端にカチンと来る傾向が強い。人類とか種族全体でも他者が含まれるので同じ)
ナガレ幼少期=元来の話し方は「オイラ」「父ちゃん」「母ちゃん」であるがこれもリョウには使用されたことがなく、ムサシの口調であったことや、なにかを「食べる」描写はムサシやベンケイに多かったことも気になる。
ダイタン→ウザーラとかチェンゲ真ドラゴンが元か?
*永井豪先生の「ガルラ」という作品に同名の敵ロボットが存在するらしい。主人公の名前が「鳳隼人」なのもあり拾った可能性があるかもしれない
ここでの最後の「発射口には壁が立てられない→口に突っ込む」という流れは東映版無印最終回で無敵戦艦ダイにムサシが行ったことでもある(あちらは事故感が強い演出になっていたが)。
これを言い出したのはナガレだと台詞から読み取れるのも前述したように1と3の中身が入れ替わっていないかという推測に繋がる。
同時に実はこの話、「三つの心」が少なくとも最終章付近まで揃っていない。
「三つの心がひとつになる」とは「お前たちとなら共に地獄を見て共に死のう」という対等な三人での命がけの信頼で、そうなるためには「死地を前に恐怖心などを捩じ伏せ、他者に自分の命を預ける程の信頼を持つ」までの確固たる「理性」を必要とする。
そのため、明確な理性を獲得していない(自立していない)存在では三つの心は揃えることはできない。
石川漫画版ではムサシが死を目前にして始めて揃った概念であったが、ダイノゲッターではナガレが理性を獲得してはじめて揃うはずである。
「ゲッターロボ」の核は「三つの心」であるために、あくまでも「ゲッターロボ」という名前ではなく「ダイノゲッター」というタイトルにしたのかもしれない。
そうであるなら作中通して「ゲッター」としか使われず「ゲッターロボ」という言葉は最終章での黒幕が言う「あれは正しくゲッターロボ」という台詞だけであるのも意図的で、「彼らは犠牲を背負っている」台詞なども含めると最終章までの数年間の間にナガレは理性を獲得し、あそこでは揃っていたと考えることができるのではないだろうか。
【 世界観背景とサオトメ 】
サオトメは作中非常に謎の多い人物。翔龍城を「城内は儂の庭だ」と言っていたらしいとか。
グールの背後にあるもの(サオトメの顔だけが複数連なってるような異形)とも面識があり、「裏切り者」と称される。「全ての元凶」とも。
外見は漫画版の早乙女博士をベースにしているし、物語の始まりに関わる人物である事は共通しているが、それ以外はあまり元ネタとか思い付かなかった人物でもある。
恐らくダイノゲッターは漫画版アーク(「ゲッターロボサーガ」のパラレル世界)の更に未来、地球人類が宇宙に進出する事を踏まえての話だったのではなかろうか。
宇宙に進出した人類は新天地を求めダイノゲッターの舞台となる惑星へたどり着く。しかし、この星は人類の体には適さず、苦慮の末に現住生物の爬虫類(それに近しい生物)か人類自身の遺伝子を組み替えるか何かの「おぞましい愚行」に手を染め始める。
(アークで未来人類はその宇宙進出の初期から他星を植民地としていた事も記載があり、理性╱他者を思う心を失ってしまっていた可能性もある)
グールが「再び貴様等の世などにさせるモノか」と言っているため、過去一度は(どのような形であるかはわからないが)人類(かそれに類するもの)が支配/優勢だったのであろう。その後、爬虫人類に「元凶」が知恵や武器を与えた結果、叛逆、立場は逆転し、それら元凶のいる全ての始まりの場所はグールの城となった。
元凶全体がクローン体っぽく、どうも「星を支配するもの」にしか興味が無い(種族とか割とどうでもいいみたいに読める)し、実の所の黒幕らしいのだが、サオトメは自我╱意思を持つ個体だったのか、なんらかの理由で裏切り逃亡。
過去からの呪縛を断ち切り、新たな明日を手にするための「(元凶曰くの)新たな種」を求めて開始に至るみたいな形?
元凶は人類自体ではなくそのクローンであって、星を管理するために作られた存在かもしれないなとかは思う。
「元凶」の進化の末に誕生するであろう「新たな種」には執着があるが、どの種族がそうなるのかもその過程も興味がなく、その結果だけがあればいいと言うような姿には漫画版真やアークにおけるゲッター線を思い出すものが私にはあった。
漫画版アークの人造人間武蔵も思い出せば、元凶はあれと同じようにして作られた早乙女博士の記憶を元にした人造人間で、サオトメはその中から偶発的に生まれた意思を持つ「人間」だったのかもしれないとも思うが憶測の域を出ない。
彼らが望んだ世界について~他者を尊重できない悪への抵抗
私の過去記事で何回となく言及していることだが「ゲッター線に選ばれた╱愛された流竜馬」などというなんか巷の解釈だと選民思想バリバリの事実は漫画版には存在しない。
厳密に言えば「ゲッター線が結果として人類の進化を促進した」以上でも以下でもない。
そもそも「誰か一人が特別」という概念は「三人が対等だから成立する」三つの心とは整合性が取れない。
ダイノゲッターでも恐龍帝国側の言い分に「優生種たる恐龍と下等な猿」という優生思想と選民思想が明確に見てとれる。
原典となる二作品での百鬼帝国などはその主張も含めモチーフがナチスであることを否定する人間はいないだろう。
能力や出自、血筋などを「事実としてのただの個性」とせずに「特別だから、優秀だから、尊重され優先されるべき」と他者と差をつける部分が選民思想や優生思想が差別たる所以である。
*そして、これらの思想はそれを根拠として他者を「排除しようとする」傾向が強く現実の歴史上でも問題を引き起こし続けている
勘違いする人も多いが「比較」とはその違いを見ることであって、優劣による差をつける事ではない。
例えば男女で身体構造が違うことを「比較」するのは事実検証にすぎないが、そこになんらかの基準による優劣を持ち出し、片方の優位性を唱えるだとか、逆に主体性や権利や尊厳を否定すると「差別」となる。
一義的な価値観だけでものを見るとこうなる。価値観にも多様性があり多視点で見ることが前提にあれば短絡的にそういった話にはならないはずでもある。
ダイノゲッターでは確かにゲッターは彼らを選んだ、しかしナガレ達にはだからどうという訳ではない。
ただ踏みにじられたもの達の怒りを体現するための、生きる権利を勝ち取るための、明日を切り開くための力を寄越せと彼らは言う。
選ばれたという事はただの事実にすぎず、それをもってして自分達の優位を主張してなどいない。また作品内でもそれを理由に優遇はされていない。
ダイノゲッターは選民思想によって排斥された種族が、ゲッター線に選ばれたという選民思想をもって無制限に排斥し返す(これが漫画版アークにおいて未来人類が悪となった一因の可能性もあるだろう)、というそれこそ過去の呪縛を繰り返すような話ではない。
ジンはナーガとの交流とその悲劇的な別れをもってして「お前達のような蜥蜴を殲滅し争いのない世界を作る」と言ったが、多様性を成立させるためには、多様性を否定する思想を抑制、抵抗し続けなければ成立しないのである。
人類が、そして他者と同等に生きようとする全ての生命が、そのままに生きることができる世界を彼らは望んだのではないだろうか。
(この話全体に微妙な不穏感があるのはそうではあって、過剰防衛や過剰報復からの未来人類と似た道を歩んでしまう可能性はこの先も残ったままになっている。結局は生きるもの達の意思による部分が大きいのかもしれない)
また、「ゲッターロボサーガ」(アークは除く)は「理性ある世界」であり、協調性は保てている前提にあるために「世界と社会の維持、独裁支配の侵略への抵抗」だが、
ダイノゲッター世界は「理性が失われた世界」=同調性によって独裁支配された世界となっており「世界と社会への革命、独裁支配構造への反逆」となっている。
これはどちらも「他者を尊重できない悪への抵抗、全ての生命が対等に生きる事ができる世界のための戦い」ではあるが、それを成すための文脈としては反対にもなっている。
引っ掛かっていることに「地下深くにゲッターロボがある」事があり、「パイロットに共感(同調)し、他者への譲歩を見せた」と取れる機体はどれだったろうかと思うと、リョウや號と共に火星に眠った真ゲッターロボの進化(変化、分化)体という解釈もできるだろうかなどと思わなくはない。
もしくは、なんとなれば一周して地球に戻ってきた、実はあれは地球でダイノゲッターは真ドラゴンではないもうひとつのドラゴンの進化体である、とか。
個人的にはダイノゲッターの機体色が真ゲッターロボ基準であることから真ゲッターロボの進化╱分化体説を押したい。
これらを踏まえると「漫画版アークの続き」で理性が失われた世界から理性を取り戻す話、ダイナミックプロが提示したある種の救いかもしれないとも思うが確証は持てない。
(同じく理性が失われた世界・OVAなどの未監修派生筋の可能性もあるとは思うんだが、あっちはデヴォゲとアニアクがこの後に出てしまっているからな……)
総じて原典からの要素、特に核部分の文脈や軸を尊重する意思を読み取る事ができ、「ゲッターロボ」の再構成として個人的に評価が高い。
単体作品として見た時にも私は好きだが、詰め込みすぎであったり描写が少なかったりする点があるのは否めない。三人でわちゃわちゃしたり絆を深める描写がもっと見たかったなぁ。
ジーグの特典という形ではあれど、書籍化してくれた事は非常に嬉しい事だが、できれば単体での発刊か電子書籍化などもして欲しい……。
書籍版追加エピソードについて【23.06.25追記】
色々あって入手したところ、とんでもなく大事な話が追加されていて叫びました。なにそれ私読んでない。
(もしかしたら「作中示唆などはあったが描写されたのは後年になった重要部分」漫画真のオマージュみたいな感じかも?)
最終章のひとつ前。第3章「希望の旗」というのが該当エピソードとなる。
恐らくだが、やはり「ナガレはリョウではない」。
ナガレが「これ以上、他者の死を見たくはない」という感情から、「仲間など要らない」「自分は一人でやっていける」と単身敵基地に殴り込む話なのだが
ナガレの本質、持っている文脈が流竜馬であるならこの話はあり得ない。
流竜馬は漫画版では出会ったその日に隼人を見込んで引きずり込み、隼人と、後にはムサシを含めた三人で共に死ぬことを覚悟して戦い続けた人物である。
最初から他者を思う「理性」を明確に所持していたから、弱者の生きる権利を奪い蹂躙することに激昂し、「怒りの代弁者」としての性質を強く持っていた人物である。
このナガレの行動は流竜馬であるなら「本編の前」に存在するべき話ではないだろうか。
そして気になってはいたのだが、ナガレとトモエの二人、上着を脱いだ下の格好が同じである。
裏表紙のカラーを見ても同じ赤で統一されている。(タイトル画像左。腕に巻いた包帯っぽいものが二人とも赤い)
石川作品と同じ示唆の方法で意図的にそうしているなら、ナガレ≒トモエのニュアンスのはずである。
*石川先生は配色やデザインも示唆によく使われていた╱漫画版ゲッターロボ號における翔に顕著だが、作中の髪型や色すら一定しないのはおそらくこのため。
ジンとトモエの二人はこの話におけるナガレの心境や葛藤をすでに乗り越えている描写があること等も含めれば、やはりこの話ではリョウとムサシの本質、文脈が入れ替わっていたのではないか、と思う。
もし本当にこうであるなら、石川作品で外見、本質ともにナガレに一番近い人物像は「記憶喪失時のリョウ」をベースにしたであろう、文脈がムサシと同じになる「魔獣戦線の慎一」とか「5000光年の虎の虎」かもしれない。精神はより幼いが。
もしかしたら。いや、これは結構な私の「願望」にすぎない話なのだが。
「ムサシ」と同じ文脈「最初は理性╱他者への愛が薄い」「三号機乗りと同じ記号を持つ」、マントを着た、ナガレという名前を持つ人物と書くと、石川先生が描かれた作品のなかに、一人、該当する。
流拓馬。
流竜馬の息子と言われながら、「怒ることができなかった」少年。
もし彼の要素、魂も幾分か入っていたのなら、あの三人は「きょうだい」であり、「親子」であり、サオトメが祖父とも言えるのだろうか。
アークでは救われず、真に愛されてもいなかっただろう彼が、ここでその欠片だけでも誰かに肯定され、愛を知ることができていたなら良いと、身勝手にも私は願い、夢見てしまう。
ダイナミックプロが直接関わったダイノゲッターは最後に三つの心が揃う変則ではあるけど、とても大事な事を言っているのでもう少し知られていい……。
— ムメイ (@mumei_774) April 27, 2026
入手困難だろう書籍版追加分から。
「ダイノゲッター」漫画:星和弥 2021年 pic.twitter.com/rGRfNsw3H0
この話から読み取れることは幾つかある。
「ゲッターとは弱者が踏みにじられる絶望的状況下で、皆が生きたいと望み、『生きるために戦う』ために欲している存在である」
そのため、ゲッターとは誰か一人のためのものではない。
また、最初の「ひとりだけでやっていける」と言ってナガレが単身生身で敵基地を落とそうとする部分には「ひとりだけでやっていけるというなら、ゲッターを使うべきではない」「仲間など要らないとはそういうことだ」という制作者の意図も垣間見える。
この話は「個人の喧嘩」ではない。
「誰か一人でどうにかなる」話でもない。
生きようとする人々の思いを背負い、自ら血を流し、数多の犠牲をも背負ってそこに立ち、抗い戦うのがゲッターだと。
弱者を蹂躙する強者への抵抗、すべての人々による生きるための闘争、それがゲッターロボだと言っているように私には感じられた。
……どうにも新ゲッターとその派生へのカウンター的な雰囲気も全体に感じなくもないが。
ジーグの方も面白かったし、本当に単体で普通に売ってほしい……電子書籍でいいから……買うから……フィギュア会社のオンラインサイト専売物理書籍とかでもいっそいいから……ダイノなんてこれコミックス一巻分あるじゃないですか200ページくらいでしょ……。
