ここが変だよ川越ゲッター(とかデヴォゲとか資料解説とかとか)~論理筋ツッコミまとめメモ
どうしてこんなに掘り返してしまったかって騙されて腹が立ったのと同時に原作版の二次創作書きたかったからその論理構造と主張の終点を確かめたかったんである。
二次書く時いつもやることなんだけど、そこさえ理解していれば、明らかに原作と異なったおかしな事にはならんだろうと。物語の論理構築にも必要であるし。
(正直に言うんだがスパロボ含むダイナミックプロ未監修派生作品群を先に見ていたのだがその時点でははまらず漫画読むまで忍殺に戻る気満々だった。こういう前提だったので元々はプロット構造とベース作品の話まで掘り返す気はなかったし、それらもチェンゲ考察もダイナミック作品気に入って耽読しながら丁寧に追っていたら勝手に繋がって見えたからまとめたというだけ)
で、だ。
自分なりに考察の結果を得て、終着点をどこに起きたかったのか人物の核はなんだったのか把握したら原作筋の漫画版、東映版、そこに戻そうとしたアイサガ、ダイノゲッター、ゲッターロボの論理筋を持つ五右衛門や爆末伝、Reハニーなんかも書けた。私は過去デモンベインの二次創作も書いていてそちらの方もそれを踏まえて読み直すことができた。
ところが自分でも吃驚するほど川越ゲッター筋(OVA、アニアクなどだが2Z以降のスパロボなどもこちらの文脈にある)が書けなくて、考えるほどツッコミどころが無限沸きしてキリがなく、つっこんだ端から忘れそうになってきたので根本的な論理筋でおかしいと思う大きな部分だけでもメモっておこうと思って。
(原作筋に戻そうとした時に直すべき箇所でもあるし。因みに私はいわゆる腐女子だがブロマンスとかシスターフッドみたいな感情や関係性に惹かれて自分が納得できる読みたいものを書いてるだけの自給自足タイプ。知名度や権威が欲しいならどれもこれも人が少ないジャンルでばかり書いてないです)
以下に記すのは辞書レベルの単語の意味の話とか、現代国際的人権思想(全人類に人権はあり平等=対等である)前提に純論理的思考で考えた時におかしいっていう物の話に限定する。
【全体のまとめ】
長くなるんで結論から言うけど、多分そもそも川越ゲッターやデヴォゲは客観的、科学的な論理筋や整合性ぶん投げてる。
(どうも資料解説等もこの筋が強いしダイナミック公式監修入らないと全部これかと思いきや、ノベライズは違ったりするっぽいのでますますわからん。牌は未読)
「社会進化論(というか、進化を進歩と捉える誤解釈=ダーウィン以前の進化論。自種族こそが進歩的存在である→選民思想や優生思想、植民地支配や人種主義の根拠ともされた。現在では科学ではないとされているイデオロギー)」と「同調性」をベースに『超存在に選ばれ、弱肉強食の単一先鋭化の先に君臨した種族は千年王国を作り、(自らより強い種族に出会わない限り)永劫滅びない』というまったく主観的な思想(これに信仰が伴えば宗教)が基本となっている。
とても簡単に言えばゲッター線一神教。
他罰的、攻撃的、他者を排除する傾向も強く、信仰者から自立精神を剥奪する(子供のままでいさせる)方向性。正直メンタル不健全に陥りやすいやつだと思う。
すべての理由を大義名分(本能や「そうあるべき」で決め打ちするのも同じ)や神にぶん投げて自己責任も自己決定もろくにしてない。自分がやりたくてやってるんじゃないって逃避だし言い訳。
なお私は20年以上前から人間台風一神教原理主義者なので宗教であること自体はどうでもいい。
聖書だってどこの神話だって信仰が伴わなければどっかの誰かが書いたフィクションにすぎない。
大問題なのが「この論理を前提に川越ゲッターなどで言っている事は元来のゲッターロボでは悪の理屈であり、基本筋滅亡する」という部分にあって、あのタイトルを使用する限り、いずれ絶対悪(未来人類とエンペラー)になり滅亡する未来を先伸ばしにして誤魔化しているだけという点にある。
色々考えたが、これを本来のゲッターロボの理屈で言うなら「ゲッター線を神として全宇宙の独裁支配を狙う未来人類のプロパガンダ映像」って考えるのが一番しっくり来ると思う。
割りと言ってることが反社会的なテロリストの思想(しかもそれをきちんと否定しない)で、フィクションとして「これは言ってることが反社のヤカラかテロ屋の理屈」って理解して楽しむのは全然いい。
日本は基本的人権が保証された法治国家で思想や表現の自由があるので、いくらフィクションの人殺しなど楽しもうが反社会的思想を支持しようがそれを言おうがなにしようが、現実で法を侵さない限りは問題ない。
だけど、その辺わからずにこれを鵜呑みにして疑問に持たないとか、この主張を正しいとかは……個人的にはちょっとどうかと思う。
実際包み隠さず正直に言えば、私は恐らく川越ゲッターやスパロボからのファンに多いのだろうあの手の主張に引いて、絶対苦手な奴だなと思って読まずにいた。カルト宗教とか忌避感あるので。
私は表現の自由とかを多少は気にするので別に誰がどんな危険思想を言おうが好もうが実害出さないなら好きにすれば良いが、あんな支配的、高圧的集団(やたら攻撃的で作品下げろ圧力や村八分にされたとかも聞くしやられたし二年見てるだけで問題複数起きてた)はこちらから願い下げである。
なお原作はそんな話ではない上に根本的に人間の話であって、ロボットもゲッター線も控えめに言って重要度は低く、二度吃驚したというか何回驚いても終わらんというか。
どれくらい違うってパッとあげられるのだけでこれくらい違う
*原作はどうも「アーク」だけは川越ゲッターとか未監修派生の筋にある。「アーク」だけは大体右側になる。
《原作↔川越ゲッター》
協調性↔同調性
ダーウィンの進化論↔ダーウィン以前の進化論
個人主義↔全体主義(自己中拗らせの独裁もこうなる)
三つの心 揃ってる↔揃ってない
本質的に 戦争↔個人の喧嘩
ゲッター線 太陽エネルギー(赤か白)↔どっか違うっぽい?(緑╱東映版では敵側のビームとかの色)
科学的(客観的、論理的)↔宗教的(主観的、感情的)
ゲッター線は人類を選んだとか 言ってない(公平平等)↔そう取れる~言ってる(選民思想)
三つの心についてとか、ゲッター線に関してモチーフ元から考察したのがこれ。ここだけでも言ってることが全然違う。
*更に後から気付いたんだけど、本来の「ゲッターロボ」の筋のまま悪党に振ったらこういう大義名分とか盾にして責任逃れに走るのはおかしい。
「個」を重視したゲッターロボの筋で悪党に走るなら
「悪は悪と理解して自分の選択と責任でやっている。悪行がしたいことは自分の意思であって他人に責任擦り付けて『やらされてる』なんて言い訳とかしない」
極道兵器の岩鬼とかSKLのキバとかガランとかデモベ西博士とかの理屈になるはずで、こういう危険性を持ってるのは「枠」を重視する協調性筋=石川作品なら「虚無戦記」とかダイナミック全体なら永井先生の「マジンガー筋」のはず。
なんで悪党理屈にしたって「入れ替わってるの?」
なあ、これ本当に本気でゲッターロボだと思って言ってんの?
本気で言ってるならあまりにもあんまりすぎるから製作者はわざと「ゲッターロボではない」ものを作ってるとでもしなきゃおかしい気がするんだけど。
日本語の単語意味レベルのそもそも論
多分この辺の単語とか全部履き違えたり誤解釈している。
念のために言うが、辞書レベルの話である。なんなら義務教育レベルの話すら混じっている。
もしこれらの言葉をすべて正しく理解してその通りに作っていたならば、川越ゲッターなどはあんな内容に「なるはずがない」。
本気でやってるならまずプロの仕事ではない。
*どうにも、これらの単語を正しい意味で使った評価やまとめ、あらすじを見て、それらすべて誤った意味の方で受け取り、その言ってしまえば根本的な誤読である間違った思い込みのまま製作したような歪さを感じる
川越ゲッター(デヴォゲもだが)は「そもそも協調性の話になっていない」とは原作を知らなければ色々と調べ直しもなにもしていない初見から思っていた。
「OVA新ゲッターロボが原作に一番近い」とか言う真っ赤な嘘を嘘と知らなかったから、てっきり原作もそうなのだろう(設定との整合性すら放棄して自分さえ良ければ良いとか言ってる子供だましだろう。それはそれで嫌いじゃないが)し、名作とか言ってもたかが知れてんだろうと。
結果的に全然違ったどころか、作中できっちり明言もされんのになんだこれ、あれ作った人間もあれが原作に近いとか言ってる自称ファンも揃って日本語読めてないのか? と心底驚き、単純に界隈の読解能力が不安になった。
(勿論全員がそうではなく、以前の私のように騙されている人間もいようが、複数回指摘したにも関わらず明らかな誤情報や誤読を平気で流して是正、自浄の気配もないのはいかがなものか)
ついでにそんな適当な話ならそんな傷にもならんだろうという心を残したまま読んでムサシの最後を三ヶ月引きずった。
逆にきちんと理解してまっとうに「協調性」をテーマのひとつとする作品にしていたらどうなるかって、私が見たものでわかりやすいのをあげるならGガン(これはベースにダイナミックプロ作品強いとも思う)とか近年ならグリッドマンシリーズとかになる。
「ゲッターロボ」は「協調性が大事」と東映も漫画も作中きちんと言われている作品なので、本来ならばああいう事言ってないと根本的におかしい。
正直、まさかそんな辞書レベルで用語を片端から間違えてるなんて到底思ってなくて、言ってることから逆算して根っこの理屈がこうでないとこうならないという手順を踏んだ。えらく手間だった、先に言え。
元来のゲッターロボは「多様性」を前提に「協調性」をコンセプトに置いてだろう、驚くほどに細部までそのイメージに繋がるもので統一されていた。
主だった設定だけでも
「色の三原色+黒白(號では光の三原色+黒)」=全ての色が作れる
「全員バラバラな服装」=個性は皆異なる
「組み合わせを変えて複数の形態を持つ、3人ともがメインパイロットになるロボット」=対等な三人での協調性の結果としての変化と更なる多様性
など細かな設定や要素の部分から話筋に至るまで高レベルの統一感があった。自然に概念を理解できるような形であったし、その完成度が本当に高かった。
なのに、川越ゲッターやデヴォゲなどはその「協調性」のためにあった設定はほぼそのままで「同調性」の話に持っていこうとしてるんだから、なにもかも噛み合わないしイメージからバラバラでとっちらかるのは当然といえばそうである。
「お前はなにがやりてえんだよ、言いたいこと統一しろ」という感想は至極当然といえばそうで、今風に言えばナラティブがみじん切りに寸断されて、話も人物も感覚的に把握ができなくなっている。
正反対の事言いたいんだったらオリジナルで一から組み直すべきであった(それを実際にやったのが旧エヴァ)し、ゲッターロボやりたいんだったらおとなしく協調性の話にすれば良かったのにどっち付かずになって単純に完成度だだ下がってるだけになっている。
川越ゲッターの理屈で同調性の話にするなら
「最初から選ばれた特別な一人がメインパイロット固定で合体したら形態はひとつしかなく、分離したらただ弱くなるだけ」
とかにするだろう。そうして神話や古典レベルの
「神に選ばれた特別なただ一人の英雄譚(善なる独裁を前提に支配者の正当性確保であったり権威付けのためである事も多い。別にそれはそういう話というだけであって良い悪いとかではない)」
をやればいいだけなのに何をわざわざこんな正反対のもの使ってやってるのかがわからない。非合理的。そもそもこのタイトル使う必要がない。正直マジンガー筋の方がまだ親和性があるだろう。
論理的整合性の取れてなさ
以下は現代的な倫理観と論理的整合性を基準とする。
具体的に言えば「万人は平等公平、対等である」っていう憲法にもある「基本的人権の尊重」。「個人の尊重」とか「自由の尊重」レベルの一般的な戦後価値観である。
ゆえに事前情報無しに見たら人によっては盛大にツッコみたくなる可能性が大きい部分。実際我が家ではツッこまれたものも多い。
実は石川作品は全般的に倫理観や道徳の規範が今見てもめちゃ高い。ついでにダブスタとかの「筋が通らない」事は敵の所業として潰して回る傾向が強い。
また、原作には機能があったのに削除するとか有人機としておかしいだろとか、原因もわかんないで変えるって無理だろとかの物語筋の基本的整合性に直接関わっていない細々したツッコミは基本していない。
・本能や狂気などは持て囃すに値するものか
石川漫画版作中、敵に対してひどく重く深刻に「狂ってる……」とか言及している話が複数回存在してるんだから「狂気」が主人公側のデフォルトな訳があるか。無印リョウ記憶喪失時の隼人の台詞「理性のない目をしているのはリョウじゃない」(大意)を丸っと無視するんじゃない。日本語をきちんと読め。
というのはまず前提として。
資料解説にしろ巷の言説でも口を開けば軽々しく「狂気」だの「本能」だの言って持て囃すが、もしその「狂気」が「理性を失った状態」を指し、「本能のままにあるのが正解だ」と言いたいのであれば解答はシンプルである。
それなら動物でいい。
「人間」である必要性が根本的にない。
それは感情も思考も信頼も絆もなにもかも「ヒト種」の中でも一定年齢以上に達し、人格を確立して複雑な思考によって様々な感情を獲得した「人間」のあらゆる活動すべてが無意味であると言っているのとほぼ同じである。
本能=飯食って寝てトイレ行くことだけ持て囃すようなもんである。赤ちゃんか?
そんなの野性動物ドキュメンタリーで良くない?
大体にしてだな、そういうこと言いたいんだったら、とてもじゃないけど「本能」だけで成立してるはずなんかない「社会」を前提にするお金も権威も権力も必要無いですよね?
自分は色んなものにタダ乗りしながら周囲には「そんなものは要らない」といったところで説得力皆無です。本気ならまず全部捨てて身一つで言ってください。
ゲッターロボという物語(ひいては石川漫画作品)であるなら尚更で、ステゴロでそれ言うならまだ理解できるが、よりにもよってそうした人間の理性の範疇にある知識の蓄積である科学技術の塊、ロボットをはじめとする兵器や武装をふんだんに利用しておきながら言うことではないでしょう。
ゲッター線に選ばれた? それを利用する物を作ってるのはそいつじゃなくて、ゲッター線自体もロボットも何から何まで他人の力でしょ。
それはゲッター線という権威や先人の理性にタダ乗りしてイキってるだけで、何一つ自分の力ではないと思います。
とはまず最初に言っておいて。(この時点ですでにまともに受け取ったとしてダサくねっていうのも置いておいて)
「本能=生物に最初から決められたプログラム」と考えればそれに従うことが運命(=神とかいう他人に定められた道)ともなる。
故に、「本能に任せる=運命に任せる」でもある。
最初から決まりきった道筋の話を一直線するだけでは?
「運命に抗う」とか言うならまず生物的に仕掛けられた自らの本能に抗ってから言うべきだ。そうでなければ口ばかりでしかない
*とは言っても、石川作品は動物も本能だけで生きている訳ではなく、ノーブルサバージュとかに該当する素朴な理性や心、思いやりは基本持ち合わせるっぽいのでそれすら完全に失ってると動物ですらないのかもしれない。
そもそも本能自体は特別なものでなく、全生物が等しく生来的に持っているならむしろ没個性的であるとすら言えるし、善悪もなにもない。
それだけになればみんな同じことするし違いなんて無くなる。そうならないとおかしい。
故に、石川作品ではそれはあるものと肯定しつつも制御、抑制する理性が問われている。
そう考えるならば、「真の人間の狂気」というのものはまっとうな思考能力、「理性」があってこそ発揮される(多様性とは思考の結果である)のに、思考を放棄した本能任せの狂気なんて存在するんだろうか。
野性動物がヒト襲ったってそれは狂ってるとは言わんだろう。「同族殺しするのはヒト種だけ」とかもただの勘違いだし。
「理性なんて要らない、本能で生きろ」とはそういうことだし、それはただの必然であって狂気ではないのでは?
私は以前から「川越ゲッターの狂気は薄っぺらだ」と言ってるが、その理由のひとつである。
ヘルシングの少佐だってボダランの登場人物だって彼らなりに筋はあって大真面目に言ってるから最高に狂ってるんじゃないか。ただ暴れてるだけなら動物と変わらんのである。ボダランだと通常サイコみたいな存在では?
それはそれで「こいつらはどうなってもいい存在です、気軽に死んだり殺したりするのをお楽しみください」話ならある種の利点だが。
「人間というのは思考する生き物、理性ある存在であるからそれを放棄し、本能任せに生きることこそが狂気である」と仮定してみるとその理屈は理解できるんだが、それを有り難がる意味はやっぱりよくわからない。
人間社会に紛れ込んでる人狼を有り難がって自分から食われにいくんだろうか。そういうこととしか思えないんだが。
大体、それが個性になるとでも思ってるなら、周囲は理性があるの前提に「自分だけ好き勝手やっていいだろ、これは個性なんだから」とかって言い訳であって自分に駄々甘なだけじゃないのか。
「ヒトは野生に返るべきだ!」というのは容易いが、できる人間なんてろくにいるはずがないだろ。
12月から4月まで雪が降り、外で寝れば秋からすでに凍死し、日々野生動物に襲われる危険性のわずかにもある土地を知らんから言えるとしか思えない。
コンクリートジャングルを前提に、水も電気も屋根もあって凍死もせず動物にも襲われないとかそれは既に野生なんかではない。生まれてこのかたスイッチひとつで明かりも水も炎も得られる環境にいるために甘く見ているのかもしれないが、大自然舐めるのもいい加減にしていただきたい。
野生動物すら生きるために知恵を絞るのが自然界だぞ。考えない奴から死ぬんだよ。私には甘ったれの戯れ言にしか聞こえない。なんのために人類は文明築いてると思ってるんだ。
(余談だが元々道民であった私は道理でホームレスという存在が成立するはずだと関東圏に住むようになってようやく納得した。外で寝るとか自殺行為でしかないと思っていたからである)
「だからこそ本能任せに生きることが可能な強い人間がすごい!」というのは勝手だが、どうして自分はできない側にいると思わないんですか。
それは弱肉強食の理論である。弱いものは死ねって話である。そして大多数の人間は完全自然環境下では脆弱で死ぬ側にある。そんなに食われたいか?
ナチュラルに「自分は強者側にいて覆らない」とか信じ込んでないとそんな理屈頷けるはずなくない?
そもそもにして、「本能任せに生きる」ことは「強く生きる」ことではないだろう。真の強さとは単に物理の話ではない。
漫画版も東映版もやられきってないだけで、本来なら負けていたとかそういう描写は入ってるので物理的に無敵ですごい!なんて話でないのはわからないだろうか。
特にリョウなんかはわかりやすく、どんだけべこべこにされても折れないめげないへこたれない不屈の精神にこそ強さがあるんだろ、あの話。
極限状態において見せる闘争心も「生存本能にすら逆らって死に立ち向かう」、言わば武士とかの方に近いんであって。
そういえば「闘争本能」とかいう実際にあるんだかどうだかすらわからない言葉で正当化しようとする人間が多いみたいだから書いておくけど
無駄な戦闘など避けるべきであって、やたらに他個体に攻撃的であるとは、むしろそちらの方が色々ぶっ壊れていると思います。それが「本能」だというならとっくの昔に生命なんぞ滅んでるんでは? 防衛反射とかはあるけど「防衛」だし、生きるための食料確保の狩りなんか必要以上にはしないでしょ。
人類に顕著だけど、切実な目的もないのに攻撃しようとするのはそれこそ「思考」からの「娯楽」の範疇であることが多く、「娯楽」は「本能」ではありません。これは本能なんだからとかって自分の攻撃性に言い訳しないでください。
自分は本当は社会(他人)に生かされているという理解のないチンピラがそうイキりながら当然の自滅をする話ならまあわかるが。
ところで最近自称左派リベラルの多数派を指したものとして「社会福祉だけはあってほしいアナキスト」という言葉を聞きましたが、なんだかそれによく似ている気がします。
「日本やアメリカは何を言っても自分達を弾圧しないと高をくくってる反体制派」とか「インフラはあるものと信じてる新自由主義者」とか。
・過剰な報復の肯定
言うまでもない負の連鎖。
ネオゲの冒頭、號くんが完全に無抵抗な相手を笑いながら殴り続けるのや新ゲもこれであったが、突き詰めて考えたら自滅するしかないだろ。
自滅前提じゃないならきちんと止めて叱れ。
漫画版の未来人類をこの理屈で擁護しようとする言説も見かけるが、「正当防衛」とは「頬殴られたら相手を殺していいという話ではない」ことから説明が必要か?
自分は報復で相手を殲滅していいが相手は自分を殲滅してはいけないとかただのダブスタでもある。
「銃を撃っていいやつは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」って皆好きでしょ? これの話する時だけ忘れるの都合よすぎない?
まあ、どうも川越ゲッターの登場人物は全体的にこの覚悟から足りてないんだけど。
(前述した本能を優先してると「生存本能が優先されるから自分の命は懸けられない」で筋は通っているが。追い詰められてビビりきり闇雲に突っ込む場合もある)
これではないとするために原作は「やられてからやり返す」「敵側から主人公側への、生存権を認めない前提での容赦のない虐殺が先にある」として「防衛」の論理となっているし、同時に必要以上の追い討ちや戦闘に関わらない敵対勢力(民間人とか)を殲滅する行動は取らない。
基本的に「線を踏み越えて殴ってきたら叩き返す、それ以上はしない」というのが「防衛」である。
現実世界でもこの泥沼自滅の回避のために例えばハンムラビ法典なら「目には目を、歯には歯を」の後の「しかしそれ以上はしてはいけない」に重点があるし、戦争犯罪を規定する国際法なども存在しているのである。江戸時代の敵討ち法の成立過程にも広範囲に渡ってしまった報復の範囲を法で規定して抑制する意図があったはずでもある。
法治国家とはそういうものであって、感情よりもそうした規定(法律というのは原則こういった個人の権利を最低限保証し、軋轢が起きたときに対処するための最小限の規定である)を優先するものである。
お気持ちが何より優先する(情治主義)というのは法治国家を壊す考え方である。
本来、そういった抑止の規定を守ることができない、感情の制御ができない人間は戦場においては処罰対象であるし、そんな人間に強大な力を渡すとか自滅前提でもないと論理的に筋が通らない。
正直川越ゲッターの人類はこの時点で基本的に死にたがりのポンコツにしか見えない。
(ネオゲに関しては號くんは漫画の號くんではなく極道兵器の岩鬼に近く、赤尾がそうだったように隼人も色々わかってた上での博打であった解釈は可能だろうが。思い返せば確か首相の名前に岩鬼が使われてるとか世界全体がとち狂ってるとも読める演出はあった)
そうでなければ自分達だけ棚上げして甘く見ながら他人には厳しいダブスタ思考である。
・利己主義(というよりも厳密にはナルシズム)の肯定
お前の乗っているそのロボットはお前が設計してお前が全部組み立ててお前だけで動かしてるんか。
そもそも人間が現代社会で生きるのには他人が前提にあるのにガン無視して「俺が」とかダサいとは思わんのか。
インフラは自然環境下で整ってる訳じゃないのも知らんのか。
この辺はダイノゲッターの追加エピソードのナガレが「一人でやれる」と言って本当にゲッターも使わず生身の一人で乗り込んでいる描写とか、ダイナミックプロ公式監修作品ではきっちり筋を通そうとしていたこともある。
・選ばれた特別な一人だけに優位性があるとする選民思想
「ならお前一人だけでやれ」というのは割りとナチュラルなツッコミではなかろうか。
この手の主人公を持つ物語構造というのは「選ばれたただ一人の英雄(とそのお供か手下か子分)のお話」である。
その人物がより強いというなら他の面子より目立ってしんどい目を引き受け、相応の責任もまた引き受けるべきだろう。
どうして他の面子と同じだけしか働く気がないんですか。相応の働きもせずに権威だけ欲しいんですか。
子分を守って戦えない親分に親分の資格なんか無いです。
子分や縄張りを自分の所有物扱いするヤクザすらそこは筋通す(所有物なので自分の面子に関わる)んだぞ。まあ気に入らなかったら殴るんだけど。新ゲッターの新竜馬なんかは半端にこれだったが。
本来上下関係ではなく役職の区分である上司でも、なんかあった時に責任をきちんと負えないのはダメです。職責放棄です。
そういう主張をするならあれらの話のなかで起きた様々な問題の責任はまずその選ばれた特別な人間が背負うのが筋というものです。
そういう時だけ都合良く他人の責任にして擦り付けるんじゃありません。
「新ゲッターの最後で新竜馬は守ろうとした」というのは自由だが、最後の最後で「弱いから食われるんだ」と堂々叫んでる時点で難しい話である。
それは「弱いやつは食われていろ」という弱肉強食の肯定にしかならず、他の面子も世界も弱者であってどうでもいいから切り捨てて一人だけで突っ込んだと言う方が筋が通るだろう。
本当に弱者を守る気があるなら「強いからって好き勝手やっていい訳じゃねえ!」と弱肉強食を否定して叫ぶべきであるし、実際石川作品の主人公はそう叫ぶのである。
さらに言うと「3人ともがメインパイロット」になる機体で一人だけ特別とかその時点で噛み合っていない。
協調性の前提となる多様性とは「万人が平等である」=「全員が主人公である」が先にあるはずだろう。素直に考えたら対等にするはずだろうに。
実際に東映資料では「三人ともが主人公である(からこそ脚本の上原さんが興味を持った)」と読み取れるものがある。
一人だけを主人公にした時点で「ゲッターロボではない」といえばそうなる。
ましてや、そうして他の人物を子分か奴隷の扱いとした上で、しかしいなければ満足に動かせないともなればその選ばれた人物は「ただ威張り散らかしてるだけのチンピラ」にしかならない。
・弱肉強食を肯定するとどうなるか
単純に考えれば、最後の一人になってその一人も強いやつに食われて終わるか、不滅の生命など存在するはずないので孤独に死んで全滅する。
漫画版デビルマンのラストである。
主人公だからそうならないなんて自分に都合のいい棚上げは通用しない。ダイナミック作品においては明確に幻想である。(言っておくがいわゆる主人公補正も一種の選民思想の表れと言える)
*一応で書いとくが、そもそも弱肉強食とか言ってられるの「健康な成人男性」にのみ限定されるだろうし、大概それを言う奴は自分の数十年後とか老いて弱者になることなど頭に無いから言えるんだろとしか私には思えない。
この世界に絶対的な強者など存在しない。いずれ皆老いて死ぬことは摂理である。本能がどうの運命がどうの自然の摂理がどうたりとかいいながらそれを宣うなら最低限老いる前に腹かっさばくなり敗けは素直に認めて大人しく食われるなりして筋を通したらどうなんだ。できないならただの口だけだろ。ダブスタ多すぎなんだよ。
・選民思想と弱肉強食の理論
これの組み合わせというのは要するに「俺は力のある神なんだから弱者は黙って言う事聞いてろ」ということだが、「どうしててめえのいうこと聞いてやる義理がある」というのは極当然な話であろう。
力があるからなんだって? それを言い出したら山にほっぽりだされたらあっさり死ねる人類は最弱の部類に入ると思うがよくまあ言えたものである。一度北の方の人がいない山にでも行ってヒグマと言わねえからエゾシカとタイマンステゴロ勝負して勝ってから言え。
その理論なら人類は野生動物様の餌になって食われて貢ぎ物する世界でないとおかしいだろ。
日本国民内でそれ言うとか「万人が対等である」「基本的人権の尊重」って義務教育すら覚束無かった奴にしかならんだろ。
「神をはじめとするなにかひとつの絶対的な価値観や目標(強者)のためにそれ以外(弱者)はその道具か奴隷であれ」と言い換えることもできるだろう。こうすれば独裁支配からの全体主義でもある。
この論理は唯一神を持つ宗教的な「最初からその存在が上位である事が決定付けられて覆らない」前提になければ成立しない。
力があっても頭が悪ければ? 神だからなに? どうしてお前が全能で正しいと思ってられる訳? そもそも強いからなんだって?
本当に個人主義者やアナキストであるならばこういった言い分こそ鼻につくものである。本来の石川作品は典型的にそれであり、絶望的に相性が悪い。「てめえが特別だと思って他人が頭下げるのが当然とか調子くれてんじゃねえぞ」の方である。
宗教とは思想である。
そこに根拠や整合性などは必要としない。
しかし同時にその思想の枠外にいる者にとっては全く無価値であるし、なに言ってんだこいつ状態で意味はわからないし支持する必要性も義理もなにも存在しない。
あくまでもそれはその集団内のみの価値観と信仰であって普遍的なものではない。
川越ゲッターなどの言い分はそういった意味では正しく宗教であってそこに客観的な整合性や論理は存在していない。
・皆が同じであることが良いはずだという欺瞞
三つの心を単なる意見の一致か「同調性」としてるからだろうけど、デヴォゲの最後とかがわかりやすくそうで、「意見の一致のために個人の性被害は許すべき」って、原作は個人の権利や尊厳や意思は目的のためには軽視して良いって話じゃないでしょ。それが良いことだっていうのは現代倫理観的にもおかしくない?
こういう事書くと隼人はって言われそうだけど、隼人の役割は「人類の生存のために合理的思考で時に冷徹な選択すら行う」のは確かだけど、特に漫画版では今ここにある危機を回避するために必要だった犠牲を出す、社会や世界の維持のために誰かがしなければいけない選択と責任を一手に引き受けてきたスタンスであって、個人の権利や尊厳を軽視とかしてないしああいった極端な全体主義の肯定もしてない。
選民思想と弱肉強食の理屈での集団は全体主義にもなるって前述したけど、全体主義の何が怖いって目的のためには個人を道具か奴隷の扱いにするのが怖いんよ。
決定権とかが各人ではなくひとつの価値観や目標、それを決定する場所にしかないから構成部位には尊厳とか権利とか存在しなくなる。剥奪される。
そもそも、「個」である限り、すべて生命は「同じ」になることは不可能で、「対立」から逃れることはできない。
「協調性」というのは、皆が違う個性=多様性を持つ存在であるという大前提があるから「双方に主体性を持ちつつ、譲れる場所は譲り合いましょう」という話であって、故に譲り合いの前段階として大なり小なりの対立が生じるのは必然である。
(対立自体が悪いことだと勘違いしてる人も多かろうけど、自他理解とかに必要なプロセスだったりもして、尽く排除しようとするのはよろしくない)
対立の後に協調に至れる事が次善策であり、現実的には最善策でもある。最初から「正解」を決めて、一方的に「お前が合わせろ」「合わせないお前が悪い」とかいう同調圧力の話ではない。
確かにみんな争うこともなく同じ意見でもって協調しあえたら良いことなんだけど、各々が個性=多様性を持っている前提なら大きな集団になるほどそんな訳あるはずないのだわ。
そして「寛容のパラドックス」という考えがあるように、多様性を維持するためには多様性を否定する思想は否定しなければならない。恐竜帝国や百鬼帝国が人間社会の侵略を実行する限り否定されなければならなかった理由でもある。
多様性を尊重し、個人の権利や尊厳を尊重する気があるなら、「他者に同調するために自分の尊厳や意思=個は捨てろ」なんて読める描写入るはずないだろ。
ゲッターロボ號における竜馬の台詞「すばらしいことだよ」の元ネタはアーサー・C・クラークの「宇宙の旅シリーズ」だろう。(「2010年宇宙の旅」。漫画版號の91年までには「2061年宇宙の旅」までが執筆、刊行されている)
この中にモノリスというゲッター線のモチーフでもあるだろう存在があるが、クラーク氏は後年これに否定的であった。
宇宙の旅シリーズのモノリスに似た存在はそれ以前に執筆された「幼年期の終わり」にも存在する。
このあらすじなどは大いなる意思╱オーバーマインドとゲッター線╱オーバーロードと人類を想起させはしないだろうか。そして、この話は石川先生が描いた未来人類にも似た「意識が統一されてしまった人類というバッドエンド展開」でもあった。
デヴォゲはこれをまるで『三つの心を一つに』の派生強化系であるかのように押し出すようでナンセンスではないかとも思う。知らないなんてそんなはずないでしょう?
(個である限り対立から逃れられないのだから)「みんな同じであるべき」として画一化を図るのは「個の剥奪」だし「同調╱同化の強制」となる。
*「人類平等」を「結果の平等」と勘違いしててもこれは起こる。5時間働こうが8時間働こうが、もしくはテストで赤点だろうが100点だろうが「同じ」として扱えばそちらの方が不平等だろう。「公平、公正であること」の方が厳密には近いと思う。
大体いつも思うのだが、そういう考えってなぜか「自分の思想が中心で一体化される」「自分の自我は残ると思っている」前提が殆どだからその時点で都合がよすぎるとも度々思う。それを是とする人間の意思と自我からガン無視されるのが道理ってもんだろ?
なお私はそんなこと気持ち悪いので真っ平ごめんです。なんでお前の理想のために私を捨てる=「死んで」やらなきゃなんないのさ。やりたい奴だけでやってれば良いだろそんなこと。
っていう人間がいる限り最初から無理ということが頭にないだろ。
ゲッターロボに関しては特に肉体という個を規定する軛、枷、境界がなくなることで「自我が融解、消失する」描写が凱を始め多々みられる。飲み物に角砂糖溶かしたら二度と元の角砂糖には戻らない。魂が存在してもそれはすでにその人物ではなく集団思考の枝葉、個性を削ぎ落とされ画一化された存在(號のラストは希望持たせるために相当マイルドにしてる印象)ってそういう系統の描写であって。
これを極端に見せた例が「市民、幸福ですか?」のパラノイアだったりする訳で。
結果どうなるって異物は排除・抹殺して平和とのたまう詭弁のディストピアの爆誕である。
ゲッター線=エンペラーと未来人類って典型的なこれだよね。
これが良いことだって? 少なくとも私にはそうは思えないし、石川作品は一貫して敵が枠変えただけの選民思想と弱肉強食と全体主義の組み合わせだったじゃないか。
極左とか極右なら両手あげて歓迎する思想かもしれないし、それは勝手にしろだけど、石川作品の理屈ではないでしょ。
・進化を進歩と考えることのおかしさ
最初に言うがその考え方がすでに科学的根拠がない思想である。
例えば、進化というのは遺伝子変異で起きる場合があるというのは結構多くの人が何となく把握していると思う。
遺伝子変異=異常って聞いてどうしていいことしか起きないと思えるんだね。
進化というのは決まった一方向に進むものではない。
一度獲得した形質を失うことだってある(深海生物とか)し、一見デメリットしかないような遺伝配列がある環境下ではメリットとなって残ることだってある。
この時点で科学的に進化を進歩とするには論理がおかしいだろう。
この辺は社会進化論がどのようにフルボッコにされて、現在では学問ではなく思想、イデオロギーと理解されていることなんかがわかりやすいだろう。
同じ存在のまま他者を食って形状を変えるってそれ進化じゃなくて強化だろとも思う。生物学的用語なら「変態」とか。
進化ならその種ではないものに新しく変化しなければならないのに、種は保ったままとか違うじゃん。そもそも進化してないじゃん。
未来人類とかわかりやすいけど、むしろ思想的には明確に「退化」してるのに「自分達は進化╱進歩した特別な存在」とか、本来の進化論であるなら退化も進化に入るが、お前らダーウィン以前の進化論、社会進化論とか進歩主義取ってるならそこのダブスタくらい気付いたらどうなんだ。人権思想とかぶん投げて第二次世界大戦どころか中世欧州十字軍くらいまで価値観とか巻き戻ってるくせにそれは通用せんだろ。
進化してると言い張ってるが、内実退化してるってのはデヴォゲとかもそうだが。理屈としてどっち使ってんだかはっきりしろ。
正直に言えば人類が自分達こそが進化した特別な存在だと思い込んでいた時代の思い上がりの傲慢な思想であると私は思う。
フィクションで言うのも信じるのも勝手だが、石川作品では毎度ボコボコにされてる考え方でもある。
だから筋を通せって言ってんだろ。
〖総じて〗
どうも川越ゲッターなどの根底理論は
『超存在に選ばれ、弱肉強食の単一先鋭化の先に君臨した種族は千年王国を作り、(自らより強い種族に出会わない限り)永劫滅びない』
(弱者には権利とか尊厳とか無いから、強者の道具か養分になってろも内包してる)
とでもしなければ成立しないとは新ゲッターの考察でも指摘したが、真面目に言ってんのかと聞きたくなる。なんですかその一神教。
やたらめったら片っ端からダブスタになってもいるが、これは何故起きているかと言えば至極単純で「俺はいいけどお前はダメ」という思考は根本的に他人と自分とを同等の存在、公平で対等な存在と見なしていないためである。
基本的人権の尊重とかへの理解が浅すぎる。
石川作品は全体的に「筋を通す」「ダブスタをさせない」傾向が非常に強いが、これは「本質的にすべての意思ある存在は対等で公平である」という思考が根底にあるからだろう。
ましてこの理屈をもって過剰報復での侵略の肯定とかどうして今イスラエルっていうかシオニストとかロシアが全世界的に批難されてるかわかってる?って聞きたい。(念のために言うけど私がここで言ってるのはあくまでそういった主張での過剰報復、戦争犯罪への批難であって、ハマスとかが悪くないって話ではない)
川越ゲッター自体は製作時期がそれ以前になるが、持ち上げてる信者にはまんまとこれに乗っかって「選ばれた特別な竜馬╱人類はそれゆえ他者を支配して他種族を殲滅しても許される」みたいな選民思想でキャッキャしてるの端から見てると特に現状では言ってることがかなり被ってて色々とどうかって発想無いのかとも聞きたい。国際情勢とか興味ないのか。
(そういえばシオニストはガンダムのジオンの名前の元ネタではって話もあったっけ)
この論理筋を基本にした未監修作品、どうにも「自分に都合の悪いことをことごとく棚上げしてる甘ちゃんお花畑思考」だしその内容が「強い俺は世界の中心で回りは全部奴隷であるべき」みたいな感じがある。
「自分は選ばれた存在だから他人を支配していい(自分がやりたくてやってるんじゃないみたいな逃避、もしくは責任を選んだ存在に擦り付けての正当化)」「俺がお前を殺しても、お前たちが殴ってきたのが悪い」「俺たちを受け入れなかったお前たちが悪い」「運命だから」「本能だから」など、ことごとく他人に責任おっかぶせて自分で責任一切取る気がないみたいな思考になっている。
特に川越ゲッターの主人公特徴のひとつだが、無責任野郎に成り下がっている。
新ゲは先の「○○だから」を高確率で誰かしらどれか明確に発症してて否定されないし変わらない。あげく最後の最後に「弱いから喰われる」とかなに弱肉強食肯定してんだお前。
チェンゲもミサイル阻止できなかった事に肝心なところで呆けた竜馬の責任が無いはずは無かろうに、隼人に全部投げて自分も背負おうという台詞のひとつもないし、ゴウはゴウで自分で責任を持つ事の前段階となる自我の確立から微妙すぎるまま。
ネオゲ竜馬も善性はあるっぽいがムサシが死んだのお前のせいあるだろうにそこに蹴りもつけずに出てったんか、漫画も東映もそんな豆腐メンタルなら生きてねえわ、まして5年隼人に丸投げしてなんか言うこと無いんかと聞きたくなる感じにやっぱり隼人に色々投げられている。號くんはポスト岩鬼状態で最後の最後ですら「俺が」になるくらい自分の事しか考えてない。
こっちの二作は一番まっとうな主人公ムーブをしてるのが1号機乗りではなく隼人だとも思う。そりゃ我が家の家人から竜馬に対して「なんでこいつなにもしてないのに主人公面してんだよ」とか「ただのチンピラじゃねえか」とかツッコミも入る。
昨今のツイフェミかトランスかなんかみたいな「自分達は 女╱主人公╱ゲッター線に選ばれた 特権があるんだから免罪されるし責任なんて背負わない、ちやほやして利権だけ寄越せ」みたいに取れるの私は好きじゃない。
特に男らしいとかをアイデンティティにするなら、養われて世話されて庇って貰って当然じゃなくて取るべき責任は取れ。
石川漫画作品の女性観の根にあるだろう70年代フェミニズムとかでも、女性ですら男性と能力は対等になれるんだから、主体性を前提に自己決定に責任を持ち、社会貢献するから対等に扱えって武闘派主張なんだぞ、基本。当時の女性以下か、メンタルくらい自立しろ。
思うのも言うのも勝手だけど、自己選択と自己責任が伴わない自由なんてありません。それは自由のふりした傍若無人とか我儘ってだけです。
自分達は赤ちゃんなのでなにもかも責任取れません、よしよしだけしてくださいって言ってるのと同じです。
もしくは超存在とか敵対する存在に原因も理由も全て押し付けて自分の責任逃れながらその道具か部品やってるだけです。
好き勝手やってるつもりで神だか運命だかゲッター線だかの手のひらの上で転がされてキャンキャン尻尾振ってる図ですよ。
この手の話、読み手が独裁者に感情移入する(自分は強者の側にあって覆らない)のを前提で書いてるんだろうけども、ある程度俯瞰して見てると「なんで自分がずっと独裁者でいられると無根拠に思ってるわけ? どうせ同じ繰り返しするんだから潔く腹を切るべきでは? そもそも自分が奴隷になる立場は考えてないよね?」なども思ってしまってキリがない。ゲッターロボの名前がついてなければそういうものとして割りきって見れるのに。
個人の感想:ぐだぐだ言い訳してる話より、潔く腹切ってる話とか全滅する話の方が好きです。具体的に言うとルルーシュとかが近い。
しかも、実は根底にこの理屈がなければ成立しないのだが、同時にその考え方を確定させる根拠が作中どこにもない。
根拠とできるものが存在せず、「主人公だからいい人間のはずだ」「人類に味方してるんだからゲッター線は悪いものではないはず」みたいな見てる側の勝手な思い込みでしかその理屈が通用しないので、そういった固定観念の薄い人間ほどそんな宗教にはついていけず「は????」となりやすいという。
まあ、実際我が家がそれで、尽くクライマックスで水ぶっかけられて「最後の最後になっても協調性すら学ばないとかここまで全部無意味か?」と盛り下がったんだが。
これが「ゲッターロボ」でなければまあその選民思想での宗教を前提にしてもよかったんだが、いかんせんその名前をつけてしまったばかりにとんでもない皮肉になってもいる。
本来であるならそういったものは完膚なきまでべこべこにしておめーの国に引っ込んでろ(協調性前提なら他者へ加害をしなければどのような思想でも尊重されるべきなので、住み分けはここで重要となる)とやるべき原作であるために、完全に悪側の動きになってしまっている。
「ゲッター線を神として全宇宙の独裁支配を狙う未来人類のプロパガンダ映像」って言われた方がまだ納得する。
戦中の戦意高揚映画の昔から現在に至るまで思想の流布に娯楽作品が使われるのはお約束でもあり。ブラックサンは許してないです。
って書いて思い出したんだけど、「機動戦艦ナデシコ(96年)」の劇中劇「ゲキガンガー3(とても原作ゲッターを理解してる再構成をしていた)」ってマジでこの使い方(都合良い切り取りなどで本来のメッセージ性とは異なる曲解をされて木星連合の経典扱い)されてなかったっけ……?
最初にも言ったが別に宗教であることはどうでもいいんだが、その理屈でもってよりによって原作を書き換える=侵略するなんて鬼畜生な行いかなとも思う。
こういう事言うのも支持するのも別に構わないけど、正反対の事言ってた原作に偽装して出すのは結構悪質な詐欺だし、愚弄ではとか。
それに引っ掛かれば自分達は竜馬のつもりで、内実はアークの未来人類だしナデシコの木星連合だしガクエン退屈男のタツマである。なんとも皮肉であるとしか言えない。
好きなのはなんら構わないんだが脳天にブーメランぶっ刺しながら自滅の行進してるとか見てらんないので、せめてこの話は根本的になに言ってるのかくらいは理解して欲しい。っていうか好きだって自称するならそれくらい考えないか?
私が先に攻撃したとか言ってる奴もいるようだが、お前らが好き勝手言って原典侵略して私を完全に騙したのが先にあるんだし、私が言ってるのはほとんど日本語レベルの話だぞ。
誰かの上っ面だけ借りて自分の言いたいこと言い散らかすなんて虎の威を借る狐よりひどいし、自分の言葉や作品(オリジナル)で語ってほしいもんです。
川越ゲッターとその派生(デヴォゲとか2Z以降?のスパロボとか)を真に受けるほどきちんとした協調性等の理解からは遠ざかるし、正直得することがあまりない。
言ってることが反社会的なヤクザかテロリストの理屈(弱肉強食=弱者の無救済を始め、過剰な報復に伴う自己の正当化、これを根にしてだろう正当防衛の否定と双方が悪いとする論=俺だけが悪い訳じゃないという責任転嫁、武力による現状変更の肯定、暴力的アナキズムなどなど)なのくらいは理解しておいた方がいいだろうとも思う。
フィクションで礼賛するのは勝手だ(我が国には思想や信教、表現の自由があって、実際に害を与えない限りには保証されてもいる)が、そういった思想セットを丸飲みしてる人間がどう見られるのかも自己責任である。
だからせめて所業が明確にクズな奴ら(新ゲ連中とか。ネオゲ號も終始自己中な山猿だが)はクズだと認めて愛せといっている。
「悪いものは悪いとわかっていてフィクションとして楽しむ」ならそこは理解できてなきゃおかしい。無理な正当化なんてするだけやばみが増すだけだとは言いたい。
クズの悪党だから好き!って言えばいいだけです。ただし原作と一緒にすんな。
余談:未監修派生作品筋全体が「リベラル(自由主義)」を乗っ取り詐称する「(新)左翼」の戯画と末路である疑惑
ここまでにもちょいちょい織り混ぜていたが、個人的にこういった主張になんだかとても見覚えがある。主張が単語すげ替えただけで被って見えて仕方がない。
学生運動崩れ左派=新左翼╱ニセ左翼(極左)に媚でも売ってるんです? 70年代暴れまわって「ガクエン退屈男」で痛烈に批判されましたのに?
90~00年代くらいにダイナミック作品を狂気だの言って持ち上げてたサブカル層って基本左派でしたよね。なんか最近ネトウヨだと歴史ねじ曲げたがっているっぽいけど。
全体にある反知性主義っぽい感じ(しかしやはりなにか勘違いしていて、自分達が反知性的であることの理解がなくむしろ知性的だとでも思ってるみたいなこっちの本の主張とかに近いやつ)とか。
そもそも「社会進化論」(進歩史観、特に唯物史観)と同調性って共産主義思想(調べれば一神教と構造が似ているという指摘もある)の根っこにあるとか。
「多様性を前提にした協調性と見せかけて、実質は自分達の思想を中心とした同調性を押し付ける」って昨今問題になってる環境団体やらポリコレやらなんやらに似てるなとか。
「スピリチュアル量子力学」なんてエセ科学がゲッター線の誤読解釈に似すぎてないか(こちらの記事参照)とか、やっぱりこれも「ニューエイジ思想」(新左翼と縁深い。ここからオカルトやスピリチュアルに繋がる)が発祥とか。
川越監督の担当作品の並びもなんかすごくあれだし。
色々細々引っ掛かるところが多すぎて我慢できない量蓄積してきたので記載しますけど。
新ゲッター自体が偽史運動=意図的に偽造された歴史っぽいなとは思っていた。
オカルトやスピリチュアルは先述したように関わりが深く、ヤマギシ会(新ゲ弁慶の主だった外見、アークの獏の苗字元ネタ疑惑でもある)も新左翼に繋がるところがある。
新ゲッターの「新」は何を指すのか意味不明と思ってたが、あれの内実が「ガクエン退屈男」(バイオレンスジャック版)ならば尚更に、そこから「ニセ」ゲッターを指していたなら意味も合う。
なんなら「ネオ」ゲッターロボってどこからよって不思議だったのも「ネオ・リベラリズム(新自由主義と訳されるもの複数のうちのひとつ。90年代以降に悪い意味での自由放任主義や実質は利己主義というより拗らせたナルシズムみたいな使われ方を良くしていた言葉╱本来の意味は違う)」じゃねって気もしないではない。
調べてたら「1920年代のアメリカで、社会自由主義、共産主義がリベラルという言葉を詐称してる」みたいな指摘が既にあったとも出てきた。
Wikipedia「古典的自由主義」~自由主義の転換
原作から
原典二作品のゲッターロボ「元来の意味でのリベラリズム」(古典的?自由主義と個人主義からの協調性)
→OVAチェンゲ(ターニングポイント疑惑。あのラストを「主観にすぎない思想を持って人間とそうでないものを選別抹消した=万人の人権を否定した」と解釈は可能で、以降その筋である同調性に入れ替わった可能性がある)
→OVAネオゲ「ネオ・リベラリズム」(新自由主義╱この時点で完全に同調性にすげ変わってる)
→OVA新ゲ「新左翼」
って見ようによっては「退化してる」なら
「ゲッターロボ デヴォリューション」って「共産主義思想」のカリカチュアでは?
先述したが一神教による千年帝国思想、ユダヤキリスト教との類似性も指摘されるのが共産思想(全体主義)である。
階級闘争=暴力革命の肯定→奪われる側から奪う側に回るって似てません?
アニメ含めたアーク(サーガではなく未監修派生筋だろう)は未来人類が明確に「植民地主義」ですけど、「血統主義」と「一神教構造」って「帝国主義」とかに似てません?
「鎌を掲げる」強大な武力を持った「赤い」「龍」を、神格化して大日本帝国に回帰した存在が未来人類と違いまして?
そういえばここ数年「赤」と関係深いお国は強いんだから逆らうなって一部界隈が(大日本帝国のイメージから一歩も動けないまま)騒がしいですわね?
ファシズムがどうのいう癖に、現状様々なところで自分等の言動の方がそれに近いとも気付いていないようですけど。
極左と極右の思想ってその構造が「自分達が規定した何らかの絶対的基準をもって世界を統制しようとする全体主義」に着地するんで、挙動がそっくりになりがちなのでは。
(そういう思考ロジックである以上、そもそも全人類に等しく基本的人権があるという、近代的人権思想が腹落ちできてないだろうとは指摘しておく)
お隣さん(複数)なんかマジでそうでしょ、左翼思想やろうとした結果の極右じゃない。
そういえばお名前が姓1名2文字とか、空手(≒カンフー)とかから恣意的に取り上げて、まさかこの話は某国擬人化主人公が覇権を取る話だ!(だから日本≒隼人は悪で貶していいし奴隷でいい)とか何一つ書いてない思い込み前提で物言ってます? 最近「華夷思想」というものも目にしましたけれど、まあ主張がよく似ていらっしゃいますことね? この辺反転ネタ元のデビルマンの最終決戦がユーラシアイメージの永井先生インタとか当時から不動明(隼人の反転ネタ元)は若い日本兵イメージっぽい話も引っ掛かるし、なにより様子おかしくなったあれこれにあちらさんに随分お優しい同じ会社が関わってる気もしますけど。
一個や二個ならただの偶然と思えるけど、どこから来たんだかもわからない事実無根な妄言の数々にすら辻褄が合いすぎるの気味が悪いんですわよ。
最低限でも「論理構造が違うもの、完全に正反対になっている」のは覆しようもない。
なあ、これ、「一体何が原作を乗っ取ってる」んだよ。
……これは結構本気でいうのだけど、ブラックサンもそうだったけど、これや遡れば90年代から始まっていただろうダイナミックプロ作品のねじ曲がった解釈での流布も含め、それらが意図的であれどうであれ、本当はそういった歪んだ像を振り撒いた左派やサブカル好きである程きちんと批判しなければならなかった。
少数派だから、弱者だから、自分達は正義なんだから何をやっても許されるべきだ。だから他人の権利や尊厳を踏みにじり、主張を切り取りねじ曲げても自分達に都合良く使う。
先述部分に気付いてしまえば、端から見ればそういう図にしかならないでしょ。
目的は手段を正当化しません。
これをきちんと批判できないというなら身内に駄々甘く馴れ合ってるだけ、アナキストを気取り他者を盾にしながらの、知識人やメディアという肩書きを持つ権威の犬ってダサい姿です。
私はその当の00年前後、サブカルとオタクの浅瀬にいた人間でした。色々わからないながらに親しみがありました。
でもそんなダサいものを愛好した訳じゃないです。私が好きだったロックやアナキズムの精神性は私にはそんなものじゃなかった。
故に私は「あの頃サブカルと言われたものに好感すら持っていたひとりの人間」である私の意思と判断でもってこれを批判します。
更に言うが、もしこれらはすべて制作者が意図的にそうしていたというなら左派による左派(新左翼やネオリベ╱なぜ現在の左派がリベラルを自称するのかにも繋がる話だが)批判であった可能性はないだろうか。永井先生の「ガクエン退屈男」をその根幹に含んでいるなら尚更。
明言がない以上はそういう読み方もできるという話止まりではあるが、誰も指摘せず表面だけ鵜呑みにして持ち上げるだけとか作品の事も監督の事も原作の事もなにひとつきちんと見ていないじゃないか。それはあまりに可哀想な話だと思う。
本当に好きだというなら、身勝手に自分の主張ばかり押し付けていないできちんと向き合うべきではないの。それは他者への愛情なんかではなく自己愛じゃないか。
単なる依存や執着、盲信と支配欲。自分で考えることを捨てた人を狂信者っていうんだよ。
ともあれ。
川越監督は色々わかってるんだよすごい!と主張したいなら、あれはわざとゲッターロボと反対の理屈で作ってるって言った方が正解である。
真面目に作ってあれで、真面目にあれがゲッターロボだと思ってるってんなら日本語読解力とか論理的思考レベルから相当にヤバイと言う話でしかなくなってしまう。
(私は指摘するだけまだ優しいとすら言われた。しかも複数人から。話通じないから言うだけ無駄と見切って冷たい目線送ってる人間が私のそんな広くない交際範囲だけでも片手の指埋まる程度はいる)
言ってしまえば幼稚な話であってもまあそういうものとして面白いとこは面白いし別に嫌いじゃないけど、どう考えたって未来人類とエンペラーだろこれっていう感じがあってなんとも冷めた目で見てしまうのは否めない。
(そういえば他のも見たけど、十中八九ゲッター派生における「ガクエン退屈男」と「極道兵器」の使い方は理性を削って世界が滅ぶ方向性になってる文脈繋がりで意図的だろうと思う)
本当にせめてゲッターロボの名前がついていなければ、色々わかった上で「こいつらチンピラじゃん」って笑いながら見たり、転生チート無双ものみたいな俺TUEEEEEE用の手軽な現実逃避用コンテンツみたいな扱いが余裕でできたのだが……。
なおこういったツッコミ無限沸きしながら、隼人のした事を、ひいてはあそこまでの人々の犠牲や道程を無為にするのはあんまりだろうと無い頭絞ってアニアクを原作筋に戻すために書いたのがこれだったりする。
製作者意図を考えるなら素直に滅ぼした方がその意思を汲んでいるのかもしれない、その方がアニアクという作品へは真摯だし愛情なのかもしれないとすら思い悩んだが、あの作品が「ゲッターロボサーガ」のシーンを使った以上、私にはそのまま滅ぼすことはできなかった。
かといって、あの理屈を全肯定して拓馬や未来人類は悪くないなんて私の倫理観や信条からはとても言えなかった。原作のゲッターロボが好きだったから、石川先生と真逆の事言うなんて無理だった。
だから変える以上は自分の精一杯をやったつもりだ。結果ボコボコにしたけど。
なんか川越ゲッターアンチが攻撃してるとかって勝手に思い込んでる人がいるみたいだけど、本当にアンチだったらこんな話書いてないよ。
むしろこの20年にも渡って自称ファンにすらきちんと作品意図から内容まで理解されず勝手な事言われてばかりで、まともな評価をされたことがない可哀想な作品だなって最近は同情的だよ。
