屍人の夜③
納棺師・五條紗代子
納棺師になって5年が経った。元々は介護福祉士として働いていたが、介護のあとに待っているのは、人生最後の旅立ちであり、紗代子は介護福祉の延長線でもあるような、納棺師としてお手伝い出来ればと考えていた。セレモニーホールで遺族に挨拶を済ませ、通夜前に御遺体を湯灌したり、死後硬直により身体の変化に対応した処置を施したり、顔をケアした化粧を行っていた。
映画などの影響か、納棺師という職業は一般的に知られる存在になったとは言え、傍から見るようなイメージとは裏腹に過酷を極める職業だが、紗代子はやり甲斐というよりは使命感いや、宿命に近い感情すら抱いていた。
同僚の納棺師と共に亡くなった遺体を丁重に処置を施した。遺族に見守られながら遺体は棺へと移され、今晩の通夜へ向けて準備を進めていた。
猛暑の中では葬儀社の仕事は困難で、遺体にもドライアイスでの防腐処置も気をつけなければならない。友引が入ると長時間の保管になるので、夏場で猛暑となれば処置はより気を配らなければならないのだ。
納棺師の仕事を終えると紗代子は、今度はお通夜の準備を始めなくてはならなかった。
地域や宗派などによっても異なるが、通夜には遺族が属する宗派の寺の住職、僧侶を招いて、納棺を執り行いお通夜までの流れだ。
紗代子は通夜の進行を務めることになった。近年、コロナの影響もあって葬祭のスタイルも様変わりし、家族葬が主流になったが、かえってその方が遺族としてその方がよいので、今後も家族葬が浸透していくだろう。
世間はスーパーフレアの影響で様々な障害が起きている最中、紗代子は納棺師として、これまで経験し得なかった事が起きたのはお通夜前の16時過ぎた頃だった。
紗代子が担当し、故人の身体のケアを施した遺体が甦り遺族を襲ったのだ。
打ち覆いと呼ばれる死者の顔に被せる白い布が、ぐうっと持ち上がり、そっと身体は起き上がる様子を遺族と共に目撃していたが、奇跡が起きたと思った瞬間、悲劇は起きた。
甦りを果たした遺体に皆が近寄ったが、蘇ったのはもはや故人ではかった。地獄の使者、いや屍人だ。屍人は遺族を襲った。紗代子はそれまで見た事のない地獄のような惨状を目にしたのだ。鮮血で仮祭壇の白布は真っ赤に染まり、枕飾り、線香や香炉などの葬祭道具は散乱し、屍人の奇襲で場内は紛乱と絶凶の境地に、紗代子は遺族を落ち着かせる事など出来なかった。屍人は次々に襲い、もはやその場から逃げるしかなかったのだ。紗代子は無事だった遺族をホールから避難させた。
同僚のスタッフも襲われ身動きがとれず、紗代子は社用車に乗り込み、とにかく助けを求め彷徨った。
助けを求めるにも携帯が繋がらない。現代においてスマートフォンは誰しもが使える文明の利器、魔法であるスマホが使えないという制限の中、屍人の来襲で町の様子も変化し、逃げ隠れする場所も迂闊には入れない所ばかりだ。紗代子は自分の住むアパートへ行ってみることした。しかし、紗代子のアパートも屍人で溢れている可能性はあるが、2人暮らしのアパートで、夫の事も気がかりだったからだ。
五條紗代子/自衛官・田原浩次/近藤/塩野
紗代子は自分の住む10階建てのアパートへどうにかたどり着いた。社用車のヤリスを駐車場に止め、恐る恐る部屋へと向かったが、家には夫は帰っていなかった。当然、家の電話も不通状態だった、その時玄関のインターホンが鳴った。「はい」紗代子はインターホンに応答する。「隣の田原です、五條さん大丈夫ですか?」隣の自衛官の田原だった。
「はい、何とか、ちょっと待って下さい。今行きます」紗代子は玄関まで行き、ドアを開けた。「突然すみません、音がしたもので大丈夫かなと思いまして」がっちりとした体格の自衛官の田原が尋ねてきた。
「ええ、実は信じられない事が起きて、街はどうなっているんですか?」
「私も自衛官として街で任務にあたっていましたが隊員が次々と暴漢に襲われて、その襲われた隊員も奴らと同じような姿に…私も逃げて来たんです」「私も職場で同じような事が起きました、遺体が突然生き返って人が襲われてここまで逃げてきました」紗代子は答える。
「外は危険ですし、管理人室から屋上の鍵を持って来ました。これからそこへとりあえず避難しようかと思っていたのですが、ご一緒にどうですか?」田原は訊いた。
「ええ、じゃ私も行きます。携帯も繋がらないですし、一人でどうしようかと思ってたところでした」
「ええ、その方が良いかと…冷蔵庫から食料や水、あと衣服とかもあれば、それを持って屋上へ上がりましょうか」
「はい、ちょっと待って下さい。急いで準備します」紗代子はクローゼットからスーツケースを取り出すと、衣服やシャツ。冷蔵庫からは飲みものや保存の効く食料などを手早く詰めると玄関まで戻り、田原たちと一緒に屋上へと急いだ。
田原の他にも男女が一緒にいた。
田原が同僚の隊員が襲われ、逃げる途中に出会い、一緒に逃げてきたらしい。
男の方は近藤と名乗り、女は塩野と言った。「階段は危険なのでエレベーターを使って屋上まで行きましょう」4人はエレベーターで屋上へと向かった。田原は頑丈な鉄のドアを鍵で開けると、屋上というと屋外だと思いきや、普段は集会所として使われる屋上に屋根付きの部屋がある。いわゆる屋上部屋というやつだ。
時間は間もなく午後6時になろうとしていた。
4人は屋上に立て籠もる事になってしまったが、果たしてそれが良かったか…誰もが思っていたのである。
