ダンスのように抱き寄せたい
年老いてくると、向きざわざるえないこと、
それは、死、だ。
だが、歳を重ね、間近になってきた死を
漂わせる歌、しかもラブソングとなると、
なぜか少ない。高齢化社会にも関わらず。。
歌に、ファンタジーを求める人も多い。
なので、歌でまで向き合いたくない問題なのかもしれない、ようするに需要がないということか?。
ユーミンの「ダンスのように抱き寄せたい」。
この曲は、あとどれだけ生きられるか
わからないパートナー同士の慈しみ合う姿が
思い浮かぶ、儚く切ない名曲だ。
近しい人の年老いた姿を見た時、
何とも言えない気持ちになる。
すっかり背中が丸くなった親の姿を見た時、
目を細め老眼鏡をかける、世話になった上司の
姿を見た時、無性に切なくなる。
その切なくなる思いは、若い頃に感じる切なさ
とは全然違う。若い頃に感じる切なさとは、
次、いつ会えるのだろうか、といった
また会えることが前提の会いたくてたまらない
切望感から来る切なさだが、
年老いてから感じる切なさは、
次はあるのか?といった生死に関わる、
より切実な思いなのだ。
以前も書いたことあるが、十数年暮らしてきた
猫が、ここ数ヶ月自分の布団に入ってきて、
一緒に寝たがるようになってきた。
本当に嬉しいし愛しいことこの上ないが、
猫は死期が迫ると人懐っこくなると聞く。。
そう思うと家で一緒にいる時間は、片時も
離したくなくなる。
年老いてくると涙もろくなるのは、
当たり前と思っていたことが、
そうじゃないと本能が悟るようになるから
ではないだろうか。儚さに敏感になるのだろう。
この「ダンスのように抱き寄せたい」は、
そんな、切なさや儚さに敏感になった心の琴線に思いっきり刺さってくる。
メロディに切なさ、儚さが溢れていて、
聴くたびに涙ぐんでしまう。
当たり前だと思ってたことに対し、
そうじゃないと気づき、日々を大切に生きるようになることが年を重ねることの
醍醐味かもしれない。
愛猫と添い寝しながら、決して当たり前じゃない
日々を噛み締めたい、この曲を聴きながら。
心に耳をあてて 途切れそうな声を
じっときいてるの あなたがどこにいても
戻れる場所は ここにあるよと
ああ 口にはしなくても きっとわかるから
二度と帰らぬ日々よ 見送ることしか
できない列車よ ああ傘もささず探す
誰もいないホーム ダンスのように
抱き寄せたい どんなに疲れ
みじめに見えてもいい
あなたとなら それでいい
ずっと踊るの このまま
