ネガティブ遺産
― 母子密着 編 ―
姉に「それ、ネガティブ突き抜けすぎてるよ」
と言われたことをきっかけに、私の中に溜まっていた“思考の澱”を、記録として残すことにした。今日は第2弾。
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① 「私と娘は、母子密着って言われても仕方ないのかもしれない」
ひとり親で、子どもは不登校。友達はいない。
日中も、夜も、感情をぶつける相手は私だけ。
物理的な距離も、心理的な距離も近い。手放すことのできない関係。
私は
「子どもは私の所有物」
「この子には私しかいない」
なんて思ったことは一度もない。それでも、結果として“そう見える関係”になっているのなら、それは私の責任なのかもしれない、と思ってしまう。
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② 「娘が私の前でだけ壊れるのは、私が依存先だからなんじゃないか」
外では比較的落ち着いている。病棟でも、看護師さんの前では我慢する。私以外の人と話すときは、少し普通に見える。
でも、私と二人になると感情の起伏が激しくなり死にたいと言い自傷する。
これって「安心しているから出る姿」とも言われるけど、私には「私がいるから壊れる」という解釈も頭をよぎる。
もし私がいなければ、親が私じゃなければ、この子はもっと安定していたんじゃないか。そんな考えが、ふっと出てくる。
一番近くにいる人間が、一番強い刺激になることがある。私の存在そのものが娘の感情を揺らしているなら、それは“支え”じゃなくて“負荷”なのではないか。
私が面会に行くことでホームシックが悪化する。私と話すことで帰りたくなり絶望が増す。それなら会わない方が良い母親なのでは?
という極端な思考に行き着く。
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④ 「私は、正解がわからない、正解がつかめない親」
親に本音を出せるのは良い関係だと言われる。でも親の前でだけ感情が荒れると、それは「密着」「分離できていない」「問題」になる。
じゃあ正解は何?黙っていれば良いのか。弱音を吐かせない方がいいのか。距離を取れば良いのかどれを選んでも「それも問題だ」と言われそうで詰む。
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過去の記録をみると、この他にも母子密着に関する多数のネガティブワードがあった。
ただ、今見直しても、今もこの心境だなって思うものもある。ネガティブには底がないのだと気がついた。母子密着という言葉に悩まされてる保護者もいるのではないだろうか。
次は「頑張れなかったのは私では?」を残しておこうと思う。
