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いみじうをかし。

2年前のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、吉高由里子さん演じる紫式部の生涯を描いた作品だった。

紫式部の「源氏物語」爆誕のシーンもさることながら、私が最も心惹かれたのは、清少納言の「春はあけぼの」誕生のストーリーのほうだった。

そのとき清少納言が仕えていた一条天皇の后、中宮・定子(ていし)は生家である中関白家の実父を亡くし、一族も次々と力を失い、宮中での立場も揺らいで失意のどん底にあった。
そこに清少納言から『枕草子』が献上されたのである。
ドラマではその「春はあけぼの」が、定子の生きる気力を取り戻させたきっかけとして描かれている。
もちろんドラマの演出はあるだろう。しかし、史実として定子が厳しい状況にあったちょうどその頃に『枕草子』が書かれたことを思うと、私はどうしても胸を打たれてしまう────。

清少納言の「春はあけぼの」は言わずと知れた、千年残る生粋の名作である。

彼女の持つ美しいものを見逃さないセンサーは、一瞬を捉えて写真のように精緻に景色を切り取り、見事な言葉で現わされる。きっと美しいもの、面白いもの、かわいらしいものが大好きで「いみじうをかし」といつも愛しいまなざしを向けていたに違いない。

そんな清少納言が、だれもが掛ける言葉も失うほど憔悴した定子に贈ったのは、「慰めの言葉」でも「同情の励まし」でもなく、このあまりにも美しい「四季の情景」であることに、私は感動して涙が止まらなかった。きっと彼女は定子のつらさを知ったうえで、あえて明るく楽しい筆致で書いたのではないだろうか。

────さあ、顔を上げてごらんなさい!
この世は絶望の暗闇ではない。
こんなにも美しく
こんなにも胸ときめくものであふれている。
四季はうつろい豊かに流れてゆき、
変わらないものは何ひとつない。
どうかこのはかなくも美しい世界にもう一度目を向けてほしい────。

乾ききった定子の心を潤すための、清少納言の慈愛の水がそこに満々と溢れているのを感じながら読んでみると
「春はあけぼの」は究極の癒しのメッセージであり、やはり他に類を見ない名作だと感動が再びよみがえるのだ。

春はあけぼの。
やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

夏は夜。
月のころはさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。
雨など降るもをかし。

秋は夕暮。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入りはてて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。
雪の降りたるは、いふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるもいとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。

枕草子「春はあけぼの」/ 清少納言


さてさて、ところで。

そんな清少納言にお叱りを受けそうだが、「春はあけぼの」に憧れて、その「みこコロ版」をがっちり日常目線で書いてみた。

これはけっして誰の励ましにもならないことを先にお断りしておく。

春はあさがた。
通学路を小学生が登校し始める頃、新一年生が身の丈に合わない大きなランドセルを背負って歩くようすは、孵ったばかりのウミガメの子が海に向かってひょこひょこと進んでいくようで、なんともかわいらしい。母親たちが「いってらっしゃい!」とあちこちで声を響かしているのや、見えなくなるまで片時も目を離さないでいるのは、愛しくてちょっぴり切ないものだ。
また真新しいスーツに身を固めて通りを急ぐ、若き乙女のヒールの音も初々しく、初出勤の日に雨になりがちなのはいたたまれない。

夏は深夜。
酷暑に痺れた体がほぐれ、ようやくやる気が起きてきた夜半。ひとりで撮りだめした番組やネトフリのドラマをいっき見するのは一興である。冷えた缶ビールをお供にするのは言うまでもない。そのままうっかり雑魚寝しても、ぜったい風邪をひいたりしないのはことさらに良い。
ふいに誰かが起きてきても「暑くて寝苦しかったから」と言い訳が立つのがまた格別によろしい。

秋は昼下がり。
そぞろ寒さを感じる頃、晴れの日には冬布団を干す。引き出しをぜんぶ開けていっぺんに衣替えすると、古着でもまた新しい気分になる。去年秋の終わりにセールで買って袖を通さずしまった服をみつけると「ようやくこの日が来たか」と思わずときめく。長袖パジャマを見ると一晩のあたたかさを想像して「ああこれでもう大丈夫だ」とおおげさに安心したりもする。すっかり片づけた後にかぎってまた暑い日が来てしまったり、反対に、まだ暑いぞと思って取っておいた夏物を結局着なかったりするのを、つい恨めしく思ったりもする。

冬は夕どき。
鍋はいい。水炊き、しゃぶしゃぶ、おでん、どれもいい。とりわけ市販の鍋つゆは、何といっても楽で良い。スーパーに並ぶいろんな味を試したいのに、あれこれ思いめぐらしてやっぱりいつもの寄せ鍋つゆに落ち着くのはなんだか癪に障る。白菜、水菜、しいたけ、豆腐やらが身を寄せ合ってくつくつと踊るのを見計らって「ハイよし!」の号令で皆いっせいに箸をつっこんだり、狙った獲物をひと箸先に取られてしまって「あ!」と大声を出しあったりする緊張感もたまらない。
シメの雑炊でできた土鍋の底の焦げを見つけたときや、おでんの仕上げに練り物がぱんぱんにふくらんで、つゆが溢れてコンロを台無しにするのは、片付けのめんどうが倍増してなんとも苦々しい。
それでも、鍋ができる冬が好きで、冬は鍋がなんといっても定番なのである。

みこコロ版

主婦の日常はまことに、いみじうおかし。

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