【創作神話】根津曽大学報告書②:『根津曽国延喜書』 根津曽国の信仰。岐曽県の神社達
根津曽国延喜書(ねつそのくにえんぎしょ)考証
根津曽大学 郷土史民俗学研究室 教授 服部 宗作
今回の調査で見つかった『根津曽国延喜書』。平安中期の『延喜式神名帳』の記載を土台としつつ、鎌倉から江戸期にかけての社伝や寺院縁起を統合した、いわば「根津曽の神々の全史」です。
こちらも風土記同様全文の発見には至らないものの、風土記が記述する神代の姿が、中世以降の歴史の中でどのように変容し、人々の信仰に根を下ろしたのかが克明に記されています。
一、根津曽一之宮:根津曽神社(ねつぞじんじゃ)
祭神:湧久潮豊耳命(わくしおとよみみのみこと)、白支香姫命(しろしかびめのみこと)
由縁:
風土記に記された「謂坂(いわざか)」の地(現:ねつぞ市祝坂(いわさか)後述の岩坂とは別)、二柱の神が繁栄を祝いたまいし坂の麓に鎮座す。ここは、海より来たりし命(みこと)と山の姫君が、力比べの後に相和(あいわ)して、終(つひ)に終(つひ)の居(みくら:宮殿)を構えた場所と伝わる。
古くは「和(なぎ)の宮」とも呼ばれ、荒ぶる潮風と山の深き根が交わる、この国の調和の源泉である。中世以降は、国司が着任の際、最初に向かう「一之宮」として、国中の平安と和合を司る最高位の社となった。
二、根津曽二之宮:白鹿神社(しろしかじんじゃ)
祭神:大山津御角主神(おおやまつみかぬしのかみ)
由縁:
熱加茂(あたかも)市の白鹿山中腹に鎮座。湧久潮豊耳命がこの地を拓くより遥か以前、この国を統治していた「古の神」である。
神は天を衝く角を持つ巨人の如き姿であったとも、あるいは山そのものの権化であったとも伝えられる。神使(御使い)に**白鹿(しろしか)と赤鹿(あかしか)**を従える。白鹿は「導きと静謐」を、赤鹿は「武威と浄化の火」を象徴す [1, 2, 3]。
風土記の建国縁起にて、赤鹿が放つ火を湧久潮豊耳命が鎮めた後、神はその神威を認め、娘(白支香姫命)に国を託して白鹿山の奥宮へと退かれた。以来、二之宮として根津曽の背後を守護する、最も威厳ある古社として尊ばれている。
三、根津曽三之宮:津積神社(つづみじんじゃ)
祭神:倭健命(やまとたけるのみこと)、津積武見命(つづみたけみのみこと)
由縁:
条久(じょうく)市の海岸沿い、かつて湧久潮豊耳命が葛籠(つづら)を積み、交易を始めたとされる「津積」の浜に鎮座す。
景行天皇の御代、東征途上の倭健命に対し、土着の勇健なる長・津積健(つづみたける)が軍勢を率いて抗戦した。健は潮の満ち引きと藻布(めふ)の防具を用いて大和の軍を翻弄したが、命の底知れぬ神威と至誠に触れ、ついに膝を突いて帰順した。
命は健の武勇を惜しみ、「武見(たけみ)」の名を与えて東国の先導役とした。
後に命の崩御を聞いた健は、命が休息した白砂の岩上に社を建立し、自らも相殿(あいどの)に祀られた。これより、大和と根津曽の和解の象徴として「三之宮」の格を得るに至った。
四、謂坂稲荷神社(いわざかいなりじんじゃ)
祭神:宇迦之御魂(うかのみたま)、白鹿大神、木花咲耶姫
由縁:
謂坂郡の中央(現:のねつぞ市岩坂)にある、巨大な「樫の木」を擁する地に鎮座。俗に「樫の木稲荷」と称さる。
公式には山城国伏見稲荷からの勧請(かんじょう)とされるが、その実態は風土記以前の原始的な巨木信仰である 。境内の樫の葉が秋にどのように落ちるかによって、その年の農作物の豊凶を占う伝統は、この国の農業の根幹を支えてきた 。
土地が肥え、実りが豊かな謂坂にあって、白鹿山からの「水(白鹿大神)」と、里の「豊穣(ウカノミタマ)」、そして「繁栄(木花咲耶姫)」が習合した、県内随一の祈願所である。
五、鳴早神社(なるはやじんじゃ)
祭神:鳴羽矢彦命(なるはやひこのみこと)
由縁:
ねつぞ市南部に位置する。
祭神は、放たれた矢が瞬時に的に至るが如き「速度」を司る神である 。
古老によれば、「万(よろず)のこと早くいたす神」として、戦においては勝機を、商いにおいては好機を、病においては早急な平癒をもたらすとされる。現代では、締め切りに追われる人々が「なるはや(迅速)」での成就を願い、行列を作る光景が有名である。
六、津積恵比寿神社(つづみえびすじんじゃ)
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
由縁:
条久市の南郷、潮の流れが最も穏やかな入り江に位置す。
昔、黄金に光る「寄り神」が流れ着き、それを拾い上げた漁師に「我は常世より福を運びし者なり」と託宣したことが始まりとされる。開国の神・湧久潮豊耳命が拓いた浦々の繁栄を守る神であり、交易の安全と大漁を司る。一之宮が「国」の調和、二之宮が「山」の威厳、四之宮(稲荷)が「里」の富を司るのに対し、この恵比寿社は「海」の富を一身に担っている。
