見出し画像

バンダラウェラの早朝コーラン

30年以上前、

私が紅茶農園の一角で西洋ハーブの栽培を始めた農園の視察のため、

二度目のスリランカ訪問をした時の話である。

ウバ地方の町、バンダラウェラ。

町の中心にある郵便局の裏手、

かつて英国政府の保養所だった建物を改装した

バンダラウェラ・ホテルに私は宿泊した。

日本を前日の朝に出発し、コロンボで一泊。

山道を越えてホテルに着いたのは、二日目の夕方だった。

百年以上前の建物に泊まるのは初めてで、

少し興奮していたが、疲れには勝てず、

アンティークのベッドで深い眠りに落ちた。

――その眠りを、突然の大音量が引き裂いた。

「アッラーフ・アクバル」

ホテル全体を包み込むような声。

時計を見ると、まだ朝の五時を少し過ぎたばかりだった。

しばらくすると、

別の方向から太鼓とラッパの音。

続いてお経。

最後は、鐘の音とともに流れるカトリックの宣教。

眠れない、という感覚を通り越していた。

まるで町全体が、

目覚めの儀式を行っているかのようだった。

一時間ほどして、ようやく静かになった。

私はホテルの庭に出て、町を見渡した。

正面には、建設中のモスク。

高いミナレットの先端に取り付けられた

巨大なラウドスピーカーの一つが、こちらを向いている。

左手の谷の斜面には、紅白の縦縞に塗られたヒンズー教寺院。

きっとその近くには、仏教寺院も、カトリック教会もあるはずだ。

そうこうしているうちに、

ハーブ農園のマネジャー、フェルナンドが迎えに来た。

紅茶工場の裏手を回り、

ハーブ農園へ向かう車の中で、

私は朝のラウドスピーカーについて尋ねてみた。

「毎朝、あれは大変でしょう?」

仏教徒のフェルナンドは、

少し笑って言った。

「正直に言えば、私たちも迷惑していますよ」

そして、こう続けた。

もともと住んでいたシンハラ人は、

シンハラ語で仏教を信仰している。

イギリス人が紅茶農園の労働者として連れてきたタミール人は、

タミール語でヒンズー教。

オランダ人とシンハラ人の血を引くバーガーは、

英語でカトリック。

ビジネスのために来たムスリムは、

タミール語でイスラム教。

「ここでは、自己主張しないと、

文化も言葉も宗教も、

簡単に他に飲み込まれてしまうんです」

だから、祈りは音になる。

他者を排除するためではなく、

自分たちが“ここにいる”ことを、

毎朝、確認するために。

その話を聞いて、

あの一時間が、少し違って聞こえてきた。

その後、ハーブ農園は

国連のオーガニック認証を取得した。

だが、問題はそこからだった。

化学処理をしていないハーブは、

消費者が正しく保管しなければ、すぐに虫が湧く。

クレームと返品が相次ぎ、

事業は、やがて続けられなくなった。

数年後、

フェルナンドは他界した。

今、振り返って思う。

あの早朝のコーランは、確かに騒音だった。

だが同時に、

異なる文化が、必死に共存しようとする

この国の現実そのものだった。

うまくいかない事業。

失われていく人。

それでも、この町は、

翌朝になれば、また祈りの音で目を覚ます。

あの一時間は、

スリランカという国の縮図であり、

そして、人生そのものだったのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

malcom この話が、あなたの中に少しでも残ったなら、それだけで嬉しいです。 もし、もう少しだけ背中を押していただけるなら、その気持ちをチップで受け取らせてください。 次の物語を書く力になります。