僕の新橋LIFE(その14)
田舎で育った人間にとって東京は大都会だ。大阪は自分が育った西日本の田舎の延長線上にあるけれど、東京は未知の世界、異国。首都圏に住んでいる人がニューヨークに住む感覚に近いのでは、と思う。TVの刑事ドラマやニュースで見る世界。
日々、殺人事件が発生する犯罪の巣窟(注)。
そんな東京に飛び込んだ田舎モノの私が経
験した、かれこれ30年以上も昔のお話。
(注)刑事ドラマやニュースしか情報ソースがなかったため勝手にそう思い込んでいただけ。

折り返し地点
今の日本しか知らない若者にとっては信じ難い話かもしれないが、かつて(約30年前)の日本は世界一の経済大国と呼ばれていた。
戦後高度経済成長期を経て、日本的経営が世界でもてはやされていた時代。
「ジャパン アズ ナンバーワン」という本がアメリカで発行され話題になった時代。
企業の時価総額トップ10の半分以上が日本企業だった時代。
スティーブ・ジョブズ率いるApple Computerはソニーになることを目差していた。
一方で豊かさを求めて、必死に働く日本人の姿が「エコノミックアニマル」とか「イエロー・モンキー」と揶揄されてもいた。
TVのコマーシャルで、時任三郎が「24時間闘えますか?」と叫び、多くのサラリーマンが共感していた。

日本の高度経済成長期、私は子供だった。
子供が、特に田舎に住む子供が日本の高度経済成長に伴う豊かさを実感する事はほぼなかったと思う。
もしあるとすれば、ブラウン管の向こう側の華やかなTVの世界が日々変化していったことを子供心に実感出来たことくらいだろう。
いつの時代でも、資本(お金)が投下された場所に人と金が集まり、そこに居た者だけが豊かさを享受することが出来るのだ。
魚の居ない場所に、いくら釣り糸を垂れても魚が釣れないのと同じ理屈だ。

子供の頃から田舎で育ち、大学では地元ではない別の田舎で4年間を過ごした。
東京はTVで見る世界。異国の地。
つまり東京で起きたことは異国の出来事。
そんなマインドで生きてきた。
高度経済成長期以降の日本は多くの人が企業人となった。
質素倹約を美とする社会から、大量生産・大量消費を行う社会へと移行し、一億総中流社会と呼ばれる、多くの人が「そこそこ」豊かな生活を実感出来る時代へと変化した。
1975年、常勝ジャイアンツに代わり、赤ヘル軍団、広島カープの初優勝があり、1980年代に突入。1980年から急激に時代が変わった。
肌感の記憶。

後になって初めてわかることだが、歴史的には1986年から1991年の5年間をバブル期と呼ぶ。
バブル期の株価は常に右肩上がり、土地神話、地上げ屋、土地転がし等の言葉も生まれた。
多くの人が株や投資等のマネーゲームを楽しんでいた。
ただ、それ以上に1991年のバブル崩壊後数年間はまだバブルの余韻がまだ社会に残っており、近い内にバブルの再来があると信じて疑わない空気があった。
実際、バブルの象徴でもあるジュリアナ東京は1991年にオーブンしており、私が会社に入社した1992年以降の数年間は「終電逃した〜」と言うと、稀にではあるが、上司から「しょうかねぇなあ」と、タクシーチケットを貰えることもあった。
そんな空気感だったのだ。

ノーテンキな私はそんな時代の大転換期となるバブル崩壊後の初年の1992年に何も考えず東京に足を踏み入れていたのだった。
きっかけは私の友人が参加したセミナーで知り合った人事の人から「東京に遊びにおいで」と言われ、本気で遊びに行ったら、面接を受けさせられ、結果、就職することになったという経緯。
これだけ聞くと、どこかの国に売り飛ばされるのではないかとか、内臓を切り取られ、輸出されるのではないかとか、犯罪チックなことを考えるかもしれないが、犯罪に巻き込まれることもなく、立派な会社で働かせて貰えたのである。流れに身を委ねたが故のご縁だったとしか言いようがない。
入社後、数年間はバブルの余韻もあったものの、その後社会の空気は徐々に変わり始め、バブルの再来を期待する空気もいつの間にか消え失せた。
バブルは復活するどころか、景気自体が悪化し始めた。
1997年には東証一部上場で野村証券と共に4大証券の一角を担ってい山一證券が自主廃業に追い込まれ、同年、都市銀行の北海道拓殖銀行が経営破綻した。
(こんな大手の会社でも潰れるのか‥)
みんながそう感じた。

そのよう社会情勢の変化に対して、自分達だけが無事でいられるわけもない。
必然的に当社の海外支店も縮小、私の海外支店赴任の話もいつの間にかなくなった。
それから暫くすると、今度は親会社によるグループ会社の再編・見直しが始まった。
「君臨すれども統治せず」
従来はそんなおおらかなな社風があった。
そんな社風の元、様々なグループ会社が自由に事業を展開し、それが上手く機能していた。
そんな社風から「金は出すから口も出す」という方向へと一気に舵が切られた。
資本原理から言えば、当り前の理屈。
ただ、グループ各社が長い時間をかけて独自に培ってきた自由な社風は一瞬で奪われた。

私が働く会社はそんなグループ会社の商社部門だったが、グループ再編に伴い、親会社から人が送り込まれ、彼らが土足で子会社の会社文化を根本から覆し始めた。
当然、そんな親会社のやり方に不満を持つ者も多く、骨のある一部の者は抵抗を試みが、親会社が持つ権限によって、反乱分子をことごとく木っ端微塵に駆逐していった。
会社には人間的に魅力のある人達がどんどんいなくなっていった。
そして、会社に残ったのはダーウィンの進化論のごとく、環境の変化に適応した者だけだった。
ある時、上司がこんなことを言った。
「自分の身は自分で守れ!」
時代が変わったのだと思った。
(つづく)

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