『お○んこ経済学』1994
失われた原初構文神話
『お○んこ経済学』は、未分化な猿だった構文野郎によって、1994年に書かれたとされる、世界最古の原初構文的制度神話である。
原典は既に失われているが、「ホモ・フィメルとホモ・メルは異なる構文OSを持ち、素養と制度の交換構文によって共生的複層エコシステムを構成する」という概約だけが伝えられている。
現代においても、その低俗で胡乱な猥雑さと構文的先見性から、 一部では「意味の起源に触れた書」として密かに語り継がれている。
『構文野郎の構文論』から派生する、『構文政治学』『構文経済学』『構文倫理学』の中核となる価値「正当性」「経済合理性」「和」と、「構文野郎」「換金野郎」「意味野郎」「分配女郎」の日本語OSノード群の「二元性」「二層性」の基礎となる直感が既に示されており、現在非常に重要性を増している。
かつて掲載された冊子をお持ちの方は、ぜひご連絡ください。
写本、コピー、メモでも構いません。
※1994年に書かれたことだけは、確かなようです。
【サマリー】
ホモ・サピエンスに対する、単一の種としての生態観察・分析は原理的な不可能性とそれに伴う誤謬を誘う。
本書の性質は、そもそも、ホモ・フィメルとホモ・メルは全く異なる行動原理を持つ、明らかな別種であるという仮説を基に行う、思考実験である。
両種はそれぞれに、潜在的インセンティブの差異による意味生成のトリガーと制度化のパスを異にしながら、 「素養と制度の交換構文」により、 共生的な非完全対等の複層エコシステムを構成する。
この共生生態系は、交換における非等価性と可変性を前提とし、 経済合理性と欲望構文の干涉領域において”のみ” 暫定的な均衡を得る。
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同時に、以下の小論文も探しております。
『恋しさと切なさと右翼左翼と』1995
感情構文と政治的プロレスの制度化
いくら聞いても理念の違いが掴めず、行動規範も不明瞭なまま、なぜか形式的な対立構図だけが繰り返される。これはもはや“理念”ではなく、“ジャンル”としての対立である。
右翼と左翼──そのどちらの言説も、自らの主張を構文的に定式化できているとは言いがたく、むしろラベリングと対立の形式美だけが制度化されているように見える。
この構文的錯誤は、欲望や恐怖ではなく、「感情そのものが制度化される」という政治の構文化的事象である。
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『痔の技法』1996
名指し不可能な痛みの制度と語の幽霊性
痔になったことも、見たこともない──それでも私は「痔」という語を、意味をもって使用することができる。
この構文化的違和感は、「経験なき語の使用」が成立してしまうという言語制度の幽霊性に関わっている。語はどこから来て、誰が受容し、誰が保証するのか?
『痔の技法』は、“読解されぬ語”がどのように社会制度に組み込まれ、身体性をも持たずに構文を構成するのかという、名指し不可能な痛みにまつわる古典構文論である。
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『構文野郎の構文論』の起点はこれ⇩
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