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諸行無常とは何ぞやー仏教の基本理念その1ー

1.誰もが国語の授業で聞いた「諸行無常」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
 誰もが一度は聞いたことがある平家物語の冒頭ですね。
 これは言わずもがな、この世の全てのものは絶えず変化し、永遠に続くものは無いという仏教の教えである「諸行無常」を表現しています。
 いかに栄華を極めた人々も、いずれは滅びる運命にあることを暗示しています。

 国語の授業でそんな話を聞かされた時、誰もが「そんなの当たり前じゃないか」と思ったのではないでしょうか。
 いや当たり前なんですよ笑。当たり前のはずなのに、何故か私たちは「変わらないもの」があると思い込んでしまっている節がありますよね。
 仏教はそんな執着を一枚一枚丁寧に剥がしていきます。
 それでは、この世がどれだけ「諸行無常」なのか、一緒に考えていきましょう。

2. 価値観は静かに生まれ変わり続けている

 まずは自分自身について考えてみましょう。
 私たちの価値観やものの見方は、静かに変わり続けています。
 子どものころは「これが正解だ」と信じていたことが、大人になってみると「そうでもないな」と感じたことはありませんか?

  • 「周りから後れを取ってはいけない」という価値観から、
    「自分は自分のペースがある」という価値観への変化。

  • 「人生は失敗できない」という考え方から、
    「人生は失敗しながら成長するものだ」という考え方への変化。

  • 「結婚はゴールだ」という考え方から、
    「結婚はスタート地点に過ぎなかった」という気付き。

 これらは、ある日突然入れ替わるのではなく、日々の経験や出会い、失敗や後悔を通じて、少しずつ書き換えられていく「心のOSアップデート」のようなものです。

 仏教は、こうした心の変化も含めて、「固定した自分」などどこにも無いと説きます。(この部分は仏教のもう一つの基本理念「諸法無我」にも通じますね。)

 「私はこういう人間だ」と決めつけると苦しくなりますが、「私は常に変わり続ける存在だ」と見てみると、失敗も後悔も、決して悪いことではないのだと思えてくるから不思議です。

3.私たちの生活は、いつの間にこんなに変わったのか

 次は世の中の変化に目を向けてみましょう。
 貴方の10年前を思い出してみてください。

  • 持っていた携帯電話はスマホでしたか? どんなアプリを使っていましたか?

  • 仕事のやり方は? 紙が中心でしたか?すでに電子データが中心でしたか?

  • あれだけ仲良くしていた人間関係は、今もそのまま続いていますか?

 振り返ると、同じように見える毎日でも、
 人間関係・働き方・住む場所・趣味や考え方――
 どれも少しずつ形を変えていきます。

 もっと時代を遡ると、かつてのヨーロッパでは力・勇気・栄光・支配する力こそが「善」とされた時代もありました。俗に「主人道徳」と呼ばれるものです。
 戦で勝つ者、富や権力を持つ者が讃えられ、弱さや慎ましさは「劣ったもの」と見なされがちでした。

 しかしその後に、支配される側、弱い立場の人々の感覚から生まれた、別の価値観が力を持ち始めます。俗に「奴隷道徳」と呼ばれるものです。
 優しさ、共感、公平さ、謙虚さ、苦しむ人への施しが尊いものとして浮かび上がってきました。現代では「道徳」といえばこちらのイメージではないでしょうか。

 私たちは、時代の変化を「ニュース」として聞くときには驚きますが、自分の中で起きている変化には、案外鈍感です。
 しかし、今の「当たり前」は、少し前までは「新しいこと」または「考えもしなかったこと」です。そして、今馴染んでいるこの生活も、10年後には「懐かしい過去」になるかも知れませんし、100年後には馬鹿にされているかもしれません。

4. 宇宙のスケールで見ても、やっぱり無常

 視点をぐっと引いてみて、宇宙の話をしてみましょう。
 現在の宇宙論によれば、私たちの宇宙は「ビッグバン」と呼ばれる大きな始まりからスタートしたと考えられています。
 最初は高温・高密度の「何もかもが混ざった状態」だったものが、膨張し、冷え、物質が生まれ、星や銀河が形作られていきました。

  • 星は生まれ、輝き、やがて燃料を使い果たして消えていく。

  • 銀河もまた、衝突したり形を変えながら、長い時間の中で姿を変える。

  • 地球だって、誕生してから現在の姿になるまで、何十億年もかけて変化してきた一時的な形の一つに過ぎない。

 さらに、一説では宇宙そのものも、この先ずっと膨張し続けて、やがて星も燃え尽き、「冷たい闇」に近づいていくのではないかと言われています。
 つまり、宇宙スケールで見ても「永遠に変わらないもの」は見当たらないのです。

 仏陀が説いた「諸行無常」は、当時のインドの人々の経験則から生まれたものなのでしょうが、現代の科学が描く世界像と照らし合わせてみても、揺るがないどころかむしろより鮮明になっているように思えます。

 私たちは、この広大な無常の宇宙の中で、ほんの一瞬だけ「人間」というかたちをとっているだけの存在です。
 そう考えると、普段は大問題に見えることも、少しだけ違うサイズ感で眺められるかもしれません。

5. 無常だからこそ、今この瞬間をどう扱うか

 ここまで見ると、「全てが移ろいゆく運命だとしたら、生きることも虚しいだけでは?」と感じるかもしれません。
 しかし、私が伝えたいのは、「どうせ全部移ろいゆくから意味が無い」ではなく、「移ろいゆくからこそ、一瞬一瞬にかけがえのない価値がある」
ということです。
 もしも、全てが完全に変化せず、失われることも終わることもない世界だったら、私たちはここまで「一期一会」という言葉を大切にしなかったでしょう。
 やがて枯れる花は咲かなくても良いなどということもないでしょう。

 諸行無常を深く見つめることは、「執着を手放す練習」でもあります。  「この状態が永遠に続いてほしい」と固く握りしめるのではなく、「これは変わっていくものだ」と理解した上で、それでも今を丁寧に味わう。
 それが仏教徒としての生き方なのではないでしょうか。


いかがでしたでしょうか。
なかなか腑に落ちない所も多いかと思いますが、これが私の仏教です。
ありがとうございました。

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