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一切皆苦とは何ぞやー仏教の基本理念その3ー

1.この世に救いは無いってこと?

 仏教の基本理念として知られる「一切皆苦(いっさいかいく)」
 直訳すれば「この世の全ては苦しみである」となりますが、これだけ聞くと、人生を全否定しているような、かなり暗いフレーズに聞こえます。
 しかし、仏教が言いたいのは、「この世には救いがない」とか「絶望しろ」などというではなく、「だからこそ、しっかりと現実を見よう」ということです。

 多くの場合、苦しみを生み出しているのは、私たちの「こうなるはずだ」「こうあるべきだ」という期待やコントロール欲求です。
 ここで前提としたいのは、「未来は誰にもわからない」という事実です。
 未来が読めない世界で、それでもなお安心して生きるために、仏教は何を示してくれるのでしょうか。一緒に考えてみましょう。


2.未来は絶対にわからない

 私たちはついつい、「努力すれば良い結果が得られるはずだ」、「計画通りにいけば将来は安泰だ」などと、未来をほぼ確定したものとして扱いがちです。しかし、未来はそんなに素直なものではありません。

 例えば、今のところ量子レベルでは、粒子の状態は「確率の波」としてしかわかりません。観測して初めて「ここにあったんだ」とわかるようなものです。シュレーディンガーの猫としても有名な話ですが、物事は観測してみるまで分からないということです。

 また、天気や経済のような混沌とした複雑な現象では、ごく小さな出来事が遠い未来に大きな変化や影響を引き起こす可能性があります。これは、気象学者のエドワード・ローレンツが言った「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか」という一節からバタフライエフェクトとも呼ばれています。つまり、未来を予測しようとしても、初期のごくわずかな誤差が、後々の未来予測に大きなズレを生んでしまうのです。

 それから、人間社会では、予測そのものが人の行動を変え、結果として未来も変わってしまうということが起こります。例えば競馬で万馬券が当たるという予測をしたとしましょう。それを信じてみんな同じ馬券を買ってしまったら、オッズが変わって万馬券ではなくなってしまいますね。

 要するに、現時点でわかる情報には、どうしてもがあり、そのが積み重なって、原理的に未来はぼんやりとしか見えないという構造になっています。

 それでも私たちは、「あの大学に受かっていたら楽しい人生が送れているはずだった」「あの会社に就職していたら安泰なはずだった」「あの時プロポーズしていたら幸せな結婚生活を送っていたはずだった」などと「はずだった未来」にしがみつき、現実との差に苦しみます。
 「はずだった未来」は人間の脳内にだけ存在する幻想に過ぎません…。


3.「苦」とは思い通りにならないこと

 仏教が示す「苦」とは、単に「痛い」とか、「つらい」とか、「苦しい」といった感情だけを指すわけではありません。もっと広く、「思いどおりにならないこと」そのものを「苦」と呼びます。

 未来は完全には予測できないのに、「こうなるはずだ」「こうあるべきだ」と確信し、予測が外れた時に、「こんなはずじゃなかった」と強く絶望する。この未来予測への執着が、苦しみを何倍にも増幅させます。

 一切皆苦とは、「世界は思いどおりにはならない構造をしている」という、かなり冷静な現実認識です。それを「そんなはずはない!」と突っぱねるほど、苦しみは深まります。
 つまり、繰り返しになりますが、苦の核心「出来事そのもの」よりも、「期待とのズレ」にあるというのが仏教の視点です。


4.「予測不能」を受け入れる

 では、一切皆苦を受け入れるとは、どういう生き方になるのでしょうか。
 決して、悲観して何もしない、というのは違うと思います。おそらく、未来に執着せずに、今を生きろとお釈迦様はおっしゃっているのではないでしょうか。

 未来がどうなるかはわかりません。でも、今日どんな言葉を発し、どんな態度をとるかは、自分自身で決めることが出来ます。それを踏まえ、「これをしておけば未来は安泰」という保証を求めるのではなく、「今やれることをしっかりと果たす」という今を生きる目線にシフトしてみてはいかがでしょうか。

 そして、うまくいかないことに不安や焦りが湧いてきても、「あぁ、いま不安という現象が立ち上がっているな」と一歩引いた目線を持って、感情もまた、無常な現象としてありのまま眺めてみましょう。「私はダメだ」「未来は終わりだ」というストーリーにつなげず、波のように来ては去るものとして受け入れることができれば、今自分が何をすべきか、おのずと見えてくるのではないでしょうか。

 この世は一切皆苦、コントロール出来ないと理解することで、自分自身を上手くコントロール出来るようになるのではないでしょうか。
 ちょっと矛盾しているように聞こえるかもしれませんね笑


5.苦を認めることは、絶望ではない

 一切皆苦とは「人生は最悪だ」という宣告ではありません。
 むしろ、老いも、別れも、失敗も、予測不能な事も…全てを「そういうもの」として真正面から認めることで、限られた時間の有難さや、出会いや縁が重なって生じている今という奇跡といったものが、より鮮明に浮かび上がってきます。

 一切皆苦、「この世はすべて、苦しみを含んだ不確かなものだ」と、その前提に立つからこそ、手にしているものに過度に依存せず失うことを過剰に恐れず、変わりゆく世界の中で、できるだけ誠実に今を生きようとする。そんな落ち着いた生き方が、少しずつ見えて来るのではないでしょうか。

 未来を正確に予測できない世界だからこそ、「結果」ではなく「姿勢」を意識して人生を生きる。そのためのリアルな土台として、「一切皆苦」という視点を心の中に置いてみてはいかがでしょうか。


いかがでしたでしょうか。
なかなか腑に落ちない所も多いかと思いますが、これが私の仏教です。
ありがとうございました。

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