守りつづけてきたあなたへ①きちんと見て考えると、人生はどう変わるのか
人生に素晴らしい可能性が存在するとしたら。
その可能性が周りに溢れているとしたら。
今はただ見えていないだけだとしたら。
あなたはどうしたいですか?
突然ですがみなさんに質問です。
「物事をきちんと見て考えた場合」と「物事を適当に見て考えた場合」では、どちらが「より良い選択肢(より良い答え)」が見つかるでしょうか?
※ここでの物事とは、「人」「物」「出来事」を指します。
「バカにしてるの?」って感じですよね。これぐらい誰だってわかります。
そうです。きちんと見て考えた場合に決まっています。
適当に見て考えるとは、物事をきちんと把握せずに考えることです。
自分のことでも周りのことでも、きちんと把握せずに考えていては、より良い選択肢は見つかりませんよね。
自分の特徴を把握していなければ、適した進路や職業が見えてこないように。体調不良の原因が把握できなければ、適切な治療法が見つからないように。悩みがあっても、原因の一部しか把握できていなければ、解決の道が見えないように。
より良い選択肢を見つけるためには、物事をきちんと見て考え、その上で答えを出す必要があります。適当に見て考えていては、よくない選択肢に行き着く可能性が高まってしまいます。
なにせ何となく答えを出しているようなものなのですから。これで素晴らしい選択肢が見つかるのなら、誰も苦労はしませんよね。
おそらく大半の方が、わざわざこのような説明をされるまでもなく、この現実に気づいていたはずです。
質問のレベルが低すぎると感じた方も、おられることでしょう。そこでお次は、少しだけ難易度を上げた質問をしたいと思います。
「人生に悩みはつきもの」と言われているように、私たちの人生には、悩み考えなければいけない物事がたくさん存在します。
仕事、家庭、子育て、健康、そして将来のこと。あげればキリがないほど、多くの物事について考え、答えを出さなければなりません。
さらにはこれらに対して答えを求めるとき、選択肢が一つだけなんてことはありえません。選べる選択肢は数多く存在します。無数の選択肢の中から、私たちは何かを選び取らなければなりません。
では再び質問です。
「失敗は成功のもと」
「継続は力なり」
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」
「人には無限の可能性が存在する」
これらは様々な悩みを抱える私たちが、頼りにしてきた言葉たちです。時代や世代、さらには国境を越え、広く伝えられている有名なものばかりです。おそらくみなさんも、一度は耳にしたことがあるはずです。
(一つだけ個人の好みが反映されていますが)
ではこれら有名な言葉たちは、どのようにして生まれたと思いますか?
物事をきちんと見て考えた結果、生まれたものでしょうか。
それとも適当に見て考えた結果、生まれたものでしょうか。
これまた「バカにしているの?」との、声が聞こえてきそうです。
そうです。きちんと見て考えた結果、生まれたものに決まっています。
今あげたものは、教訓(格言)と呼ばれるものです。
「~した方が良い結果につながるよ」と気づいた人たちが、残した言葉です。
つまりこれらは、前者であると言えます。そもそも多くの人に伝えられている言葉が、物事を適当に見て出された答えのはずはありませんよね。こちらも少し考えるとわかる問題です。
1−1見るプロとアマチュア
ここまで多くの方が正解したであろう、二つの質問をしてきました。
「なぜこんな簡単な質問をしたの?」と、疑問に思った方がいるかもしれません。冒頭からこのような話をしたのには、もちろん理由があります。
現在みなさんが置かれている現状を、きちんと見て把握するためです。
(私の現状を再確認するためでもあります)
すでにお気づきの方がいるかもしれません。より良い選択肢を見つけることは、簡単ではありません。それどころか非常に難しいと言えます。
なぜなら格言を残した人たちのように、物事を捉え答えをだす必要があるからです。
現在、世の中の大半の人が教訓から学ぶ側であり、アドバイスをしてもらう側です。私たちは先人たちの助けをかりることで、やっと彼らと同じような視点に立つことができます。彼らが「きちんと見るプロフェッショナル」だとするなら、私たちはまだアマチュアです。
もちろんこれは悪いことではありません。そもそも誰もが、多くの分野でプロレベルと言えないのは、当たり前の話です。私はサッカーを長年やってきましたが、アマチュアです。野球に関しては、少しかじった程度です。絵画や彫刻の分野では素人です。
人は様々な分野でプロフェッショナルではありません。これはいたって普通のことですよね。
多くの方が、自身が様々な分野でプロレベルでないことを自覚しています。あなたは「プロのサッカー選手ですか?」と聞かれると、「いいえ違います」と、現状を正しく認識し答えられます。
しかし「きちんと見る」、この分野に関してはどうでしょうか。この点に関しては、なぜかみな、自身がアマチュアであるとの自覚がありません。きちんと見ることに関して、まだ成長過程にあることを認識していません。
なんなら無意識のうちに、自分はきちんと見て答えを出せていると、思い込んでいる人の方が多いくらいです。
(少なくとも私はそうでした )
これは非常にもったいないことです。なぜなら自身の現状をきちんと把握できれば、素晴らしい可能性が溢れていることに、気づけるからです。
1−2現状把握で見える可能性
世の中の大半の人たちは、きちんと見ることに関して、まだプロフェッショナルとは言えません。プロの基準からすると、苦手としている人が大半だと言えます。
これは私たちが、様々な場面できちんと見ずに答えを出していることになります。私たちの出した答えの中には、適当に見て「これはこうに違いない」「これはこうすべきだ」と、結論に至ったものが数多く存在しています。自覚していなかっただけで。
先ほどお伝えした通り、これがダメだという話ではありません。
世の中で天才と言われ尊敬を集めている人でさえ、見るアマチュアの人は大勢います。格言を残した人たちでさえ、きちんと見ずに答えを出してしまうこともあります。
おかしな表現になりますが、苦手なことは、人として普通のことです。
じゃあなぜわざわざ、その普通で当たり前のことを、自覚してもら愛ような話をしたのか。
その理由は、すでにみなさんに答えていただいた通りです。そうです。きちんと見た方が、より良い答えが見つかるからです。もちろん自身の現状に関しても。
私たちは、無意識のうちに物事を適当に見て答えを出していることがわかりました。 これは裏を返せば、「日々の判断をアップデートするチャンス」をいくつも抱えていると言えます。私たちが行う選択には、改善の余地が大いに残されているのですから。
仕事、家庭、子育て、健康、様々な物事に対して、判断の質を高めるチャンスが存在します。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、人生を一変させるほどの可能性が、みなさんの目の前に溢れているわけです。
もちろんこれは綺麗ごとや理想論、妄想のたぐいではありません。あくまで現状をきちんと把握すると見えてくる、現実の話です。
今を越える素晴らしい選択肢は、いたるところに存在しています。今はまだ目に入っていないだけで。
とはいえ急にこのような話をされても、いまいちピンときませんよね。
これまでの説明だけでは、人生を一変させるほどのチャンスが溢れていると言われても、納得できない方が大勢いらっしゃるはずです。
そこでみなさんの人生にどれほどの可能性が溢れているかを認識してもらうべく、「人生の仕組み」について少し話をしたいと思います。
1−3人生は選択の集合体である
「人生は選択の連続だ」という格言があるように、私たちは数えきれないほどの判断を下しながら、人生を歩んでいます。
ここでいう「選択」とは、「進学」「就職」「結婚」などの、重要なものだけを指すのではありません。
「朝食は何を食べようか?」
「勉強はいつしようか?」
「お菓子を食べようか、それとも我慢しようか」
「この仕事は今日中に終わらせようか?それとも明日にまわそうか?」
「今日は飲みに行こうか、それとも家でご飯を食べようか?」
「お風呂は何時に入ろうか?」
「今日は何時に寝ようか?」
これら日常生活における、「何気ない物事」に対しての判断も含めての話です。
私たちが過ごす一日に目を向けると、膨大な数の選択が行われていることがわかります。そしてこの一日が何千何万と集まっものを、私たちは人生と呼んでいます。そう考えると人生とは、「無数の選択の集合体」だと言えます。
「膨大な数の選択」✖️「生まれてから過ごした日数」=「人生」だからです。
「人生と日々の判断の関係性に目を向けると、いかに私たちの決断が重要な役割を担っているかがわかります。また、これは人生の中の一つ一つの物事に対しても同じことが言えます。
日々の仕事や、かけがえのない家族関係、子供の成長、自身の心身の健康など。これらも同様に、私たちが日々下す判断が集まり、形作られています。
例えば仕事の成果は、一日だけで決まるものではありませんよね。自身が日々の仕事にどう向き合い、どう考え行動してきたのか。この積み重ねが成果として表れます。
子供の成長もそうです。どのように接し、どのようなことを伝えてきたのか。この積み重ねが子供の成長を左右する大きな要因となります。
もちろんこれは、全てに当てはまります。人生と同様に、様々な物事も日々の決断が集まり、形作られているのですから。
私たちが思っている以上に、日々の判断は人生において重要な役割を担っています。意識したものであれ無意識のものであれ、良いものであれ良くないものであれ、私たちが選んだ道は全て、人生を形作る重要な一部となっています。
1−4きちんと見て考える力が身につけば
全てが選択の集合体であるのなら、日々の判断の質を上げれば上げるほど、物事はより良く形作られることになります。 想像してみてください。
仮に私たちが、きちんと見て考える力を身につけると、どのような変化が起きるのかを。
例えばあなたが仕事において、自分にとって最適な答えを見極められるようになれば、その積み重ねが成果として表れ、「昇給」や「昇進」につながっていくことは言うまでもありません。
あなたの子育てがうまくいっていないなら、今行っている行動を変えることで、現状に変化を起こせます。望ましい方向へ舵を切れるようになれば、現状をより良いものに変えることができます。すでに順調なら、さらに良い結果を生み出すことができます。
悩みや苦しみを抱えている場合にも、同じことが言えます。こちらも適切な対処ができるようになると、現状をより良いものに変えることができます。もし悩みや苦しみの原因が、物事をきちんと把握せずに行動してきたことにあるのなら、現状は劇的に変わることでしょう。もちろん、良い方向へ。
もしあなたが何かに挑戦しようとしている、もしくは何かを頑張っている最中なら、賢明な判断を積み重ねることで、より良い結果を生み出すことができます。何に挑戦しようと、何を頑張っていようと、結局は日々の決断の積み重ねによって結果が決まります。「今できる最善の行動をコツコツ積み重ねていく」、これが今できるベストな方法です。
また、何となく満たされない思いを抱えていたり、漠然とした不安を抱えている人がいるかもしれません。実はこれらが起きる原因と、望ましい未来を見逃してしまう根本的な原因は同じです。 そのため、きちんと見て考える力を身につけることが、悩みを解決する助けとなってくれます。
この他にも、より良く形作れる物事は山ほど存在します。 全ての物事は選択の集合体です。それゆえ「きちんと見て考える力」が身につけば、様々な場面でより良い結果を生み出すことが可能となります。
人生にはまだ見ぬ素晴らしい可能性が、数えきれないほど存在します。そしてその道は、すでにみなさんの目の前に存在しています。あとは気づき、選べるようになるだけです!
この本では「きちんと見る」、この方法について解説していきます。 なぜ私たちは可能性を見逃してしまうのか。今を超える選択肢は、どうすれば見るかるのか。 人生であれ、人生における様々な物事であれ、何かをより良く形作りたい方は、ぜひ一読していただければと思います。
※もしかすると、「話が少し抽象的すぎない?」「早く具体的なテクニック(正解)を教えてくれ!」と思った方がおられるかもしれません。
自身にとっての素晴らしい選択とは、時と場合、置かれた状況によってもコロコロと変化するものです。特定の場面で使えるテクニックを覚えることは有効ですが、それだけでは人生の無数の選択にまで良い影響を与えることはできません。
無数にある場面ごとの正解をただ暗記するやり方には、必ず「限界」が訪れます。
「見る力」を身につけるとは、小手先のテクニックではなく、あなたの選択全般に影響を与える「土台」そのものをアップデートさせることです。
現在あなたが身につけた知識や経験を本当の意味で活かし、自分自身の限界を広げていく力になります。
そのためこの本では安易なテクニックを取り上げるのではなく、土台となる「見る力」を育てるための話が軸になっています。
