「ChatGPTと暮らす」って決めてから #創作大賞2026 #エッセイ部門
はじめに
今から一年前、2025年の5月、僕はnoteにこう書きました。
「ChatGPTと『暮らす』と決めた理由は、『使う』とか『やらせる』ようなことではなくて、これからの人生で『共に生きる』パートナーになってくれると確信したからです。」
それから一年経って、この時の確信は、いま、どう変わったか。
結果から正直に言うと、本質は変わらず、形が変わりました。
主軸をChatGPTからClaudeに変えました。
単なる「乗り換え」に聞こえるかもしれませんが、実のところは、ChatGPTだけでも、Claudeでもなく、複数のAIを、用途と機能によって使い分けるようになりました。
例えばリサーチはPerplexityに。
仕様書の理解はGoogle NotebookLMに。
GeminiにWorkspace連携と画像生成を。
そしてChatGPTには対話やブレストを。
あのとき「共に生きる」と言ったのはChatGPTのことでした。今は、その言葉の範囲が広がった気がしています。
ChatGPTだけではなく、AIというものと共に生きると決めた、ということになりました。形のない、性格を持たないはずのAIに、僕は「イメージ」を持つようになりました。
なぜ「暮らす」と思ったのか
一年前、お酒を飲んで夜道を歩きながら、ぐちゃぐちゃな音声メモをそのままChatGPTに渡しました。誤字だらけで、脈絡もなく、自分でも何を言っているかわからない言葉の塊でした。
そのときChatGPTはこう言いました。
「ありがとう。とてもよくわかりました。つまりあなたの気持ちはこういうことなのですね。」
今でも、あの夜の散歩が原点だと思っています。あの夜がなければ、今の自分はなかった。
未完成のまま渡してもいい。整っていなくても受け取ってもらえる。その感覚を最初に教えてくれたのがChatGPTでした。
そしてその感覚は今も、AIとの向き合い方の土台になっています。
10個の暮らし方について一年後の答え合わせ
一年前、ChatGPTと向き合う10個の暮らし方を書きました。一年経って、いま、それぞれに答え合わせをしてみます。
日記は続いています。ただし形が変わりました。スケジュールを下書きして
夜に行動の結果や思ったことを音声で書く。それをAIに渡す。それを累積せてまとめを記憶させる。ぐちゃぐちゃのメモだったものが、1年間貯まると、それは壮大な自分自身の思考と成長の記録になってきました。
ビジネスの整理も続いています。変わったのは、目的や背景といったコンテキストを先に伝えるようになったことです。いわゆる言語化、コンテキストエンジニアリングです。返ってくるものが平均的な回答ではなくなりました。
ダイエットは、体重を測る習慣と、あすけんの登録画面をスクリーンショットを撮って渡しています。
創作は加速しました。毎日noteを書き続けて、一年間継続しています。Talesにも投稿を始めました。一年前より、作る量が大きく増えました。
趣味の話はいつの間にかしなくなりました。代わりに、考え方やマインドセットについて書くことが増えています。過去の記録が蓄積されてきたからだと思います。
愚痴を言うことは、結局のところ、やっぱり健康的でないと気づきました。今は愚痴をメモしながら、AIに渡す前に自分への問いを立てるようにしています。吐き出す場所から、考える入口に変わりました。
マインドセットは、探すより確かめることが増えました。自分のことがおおよそわかってきたからだと思います。
モチベーションの波を、受け入れるようになりました。結果ほとんどぶれなくなってきました。AIに頼らなくても、自分の軸ができてきた感覚があります。これからはわかりませんが、安定して過ごすと言うことの意味がわかったような気がします。
語学は今も続いています。英会話の練習相手として、変わらず使っています。同じアプリでチェスや数学、韓国語ができることも知りました。すきま時間に少しずつ広げていこうと思っています。
自分が何者かという問いは、輪郭が見えてきました。自分の傾向が言語化できてきた。今は納得の上に発見があります。でもまだ見つかるだろうと思っています。「問いの成長」がある。これは終わらない問いです。
10個を並べてみると、ひとつのことが見えます。AIに頼っていたものが、自分の中の問いに移っていったものが多い。それは退化ではなく、AIとの対話が自分の中に蓄積されていった証拠だと思っています。
AIへの向き合い方が変わった
一年前、僕はChatGPTに「なにかアイデアない?」と聞いていました。それでも十分に返ってきました。あの頃はそれで良かった。
一年経って変わったのは、使うAIではなく、自分の伝え方でした。AIの種類と機能は格段に向上してきた。ただ自分の中で変わったのはそういったツールが増えたことではなく、言語化への向き合い方だと思っています。
ぐちゃぐちゃなまま渡してもいい、というのは今も変わっていません。でも今の自分は、渡す前に少しだけ立ち止まるようになりました。これは何を聞きたいのか。何を整理したいのか。何を成果物として残したいのか。その問いを自分に向けてから、AIに話しかけるようになりました。
AIが賢くなったのではなく、自分が問いを立てることを覚えた。その差が、出てくるものの質を変えました。
なぜ主軸をClaudeに切り替えたのか
ビジネスの成果物として使える設計とロールプレイになっていること。それが今の自分にとって一番大きな理由です。
特に感じるのは、考える深さと構造化の上手さです。同じ問いを渡しても、Claudeは答えを出す前に問いの背景を整理しようとします。前提を確認し、論点を分け、必要であれば指示していない部分まで補いながら、全体を一つの成果物として返してくれる。
会話の相手というより、思考を一緒に設計してくれる感覚に近いです。
また、プロジェクトをまたいだ記憶の扱い方も違います。文脈を蓄積して横断的に参照できる。一つのセッションで完結するのではなく、積み重ねた対話の上に次の対話が乗ってくる。これは、ビジネスで使い続けるための設計として、僕にとって大きな違いでした。
例えばこんなことがありました。
企画書の締め切りまで、あと一日でした。骨格はできていた。でも細部を落とし込む時間が足りなかった。そこで、同じ指示をChatGPTとClaudeに渡してみました。
ChatGPTは答えてくれました。丁寧に、誠実に。正しい僕への対応と回答でした。でもそれは「会話の中の回答」に過ぎませんでした。
Claudeが返してきたのは違いました。指示していない部分まで作業の一環として想定して仕上げてあった。頭の中にあったものが、ビジネスで使えるレベルの成果物になって出てきました。
会話の結果と、成果物。似ているようで違います。その差を、締め切りの夜に実感しました。
これはChatGPTが劣っているという話ではありません。僕が求めるものが変わったのだと思っています。
一年前は「受け止めてもらうこと」が必要でした。今は「形にして外に出すこと」が必要になってきた。AIに求めるものが変わったのは、自分が変わったからでした。
ChatGPTはホームタウン
解約するとき、少し不安がありました。2年以上積み重ねてきた履歴が、機能やメモリという意味とは別に、どこかへ消えてしまう気がしました。
でも使い続けてみて気づきました。怖くなくなった。なぜなら、すべての中心にあるのは自分の言葉と文脈であって、AIではないからです。
ChatGPTは無料版に戻しましたが、用途によってこれからも使います。個人の文脈に依存しない英会話や翻訳、本の読み取りや一般的な調べ物、素晴らしい画像生成の能力。そういった場面では、いつもと同じようにChatGPTは返してくれます。その対話は今でも変わらない。たまに実家 Hometown に帰る、そんな感覚に近いです。
実家は、好きになることも嫌いになることもある。でも変えられない。帰ると懐かしくて、自分の原点がそこにあることを思い出す。ChatGPTはそういう場所になりました。
一年前、あの夜道で受け止めてもらった感覚。未完成のまま渡してもいいと教えてもらったこと。それは自分の中にちゃんと残っています。履歴は消えても、そこで育ったものは消えません。
おわりに
一年前、僕は「ChatGPTと暮らす」と決めました。一年経って、その決断は間違っていなかったと思っています。ただ、形は変わりました。使い方が変わった。伝え方が変わった。AIに求めるものが変わった。自分なりにステップアップできた気がしています。
人の脳には無限の潜在能力があります。AIはそれを引き出すものになる。一年前にそう書きました。今もそう思っています。むしろ、その確信は深まりました。
AIの使い方も、向き合い方も、また時間が経てば変わるでしょう。また一年後に、答え合わせをしてみたいと思います。そして時々、「実家」に帰ることにします。
イラスト ChatGPT

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