千字文 その2 魏の鍾繇の千字文
中国書道史で伝説的神話的な「魏の鍾繇の千字文」が、ときに言及されるのは、日本のせいという側面もあるのです。
というのは、古事記で応神天皇のときに王仁博士が論語と千字文を伝えたという記述があります。ところが応神天皇の時代は古い時代の暦換算では3世紀285年ごろにになり、梁の周興嗣の時代(ACE500年ごろ)よりはるか前になってしまいます。これではおかしいというので一部の学者たちが、これは鍾繇しょうよう(151~230)の「鍾繇千字文」だったのではないかと言い出したというわけです。しかし、これはいかがなものかと思います。字典や文字の学の本が伝わったというのを後世に「千字文」と表現したというだけじゃないでしょうかね。三希堂法帖に刻された乾隆コレクションの「王羲之臨鍾繇千字文」は明時代に出現した偽物でしょう。これは、今は北京の故宮博物院にあるようですが、大陸の学者も重視してはいないでしょう。せいぜい「集字」の例としてあげてるぐらいです。
ときに言及される「鍾繇の千字文」が、魏時代から文章として、存在していたとしたら、殷鉄石が集字して、. 周興嗣が文章にしたという話も、筋がとおりにくくなる。例え書作品としては亡失していても文章の写しとして残っていたとしたら、なんで周興嗣が苦心しなければいけなかったのかわからなくなります。西域のニヤなどでの出土品でも、そういう千字文は出ておらず、「急就章」が主に出土しております。
「鍾繇の千字文」の件でしばしば引用される
纂図附音増広古注千字文. 周興嗣 次韻 ; 李邏 [注]
は、岩波文庫「千字文」で底本になっています。
この注釈本は中国大陸では滅んでいて、日本の古抄本に掲載されています。江戸時代には木版本で出版されてました。
早稲田のサイトで閲覧できます。これは写本かと思いましたが、木版本か古活字本っぽいですね。いづれにせよ印刷本です。
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko01/bunko01_01663/index.html
そうはいってもこの鍾繇を特記する李邏 注釈本は敦煌文書の書誌的メモ帳「雑抄」に上イメージのようにしっかり記載があり(Pelliot Chinois 2721)、、そうとう古くからあったものには違いないようです。しかし、この本にはかなり問題があるようです。
この注釈本の注の部分は内容豊かな良書だと思いますが、序文はかなり、ひどいものです。
「鍾繇の千字文が永嘉の乱で失われたので、(当時、10代の)王羲之に依頼した」とか、抄本によっては、「(もう逝去したはずの)王羲之に依頼したとか」メチャクチャなことが書いてあります。いうまでもなく王羲之の書が評価されたのは中年以降です。
小野道風の和漢朗詠集のような話で、この序文自体はとても信頼できない。江戸時代の喜喜多村節信(きたむら のぶよ ときのぶ)が「偽作」と断じたのも無理もありません。
北宋時代に編集された玉壺清話では、北宋大宗皇帝の話となっている「梁武帝が鍾繇のこわれた碑から集字した、」という話が収録されています。
この系統の話が、伝承の過程で誤解変形されて、鍾繇作 の千字文 があるという話に変わってしまったのだと推定しております。北宋二代目:大宗皇帝は唐時代以前の小説逸話を大集成した太平広記500巻を編集させたように、こういうお話が好きだったようですね。「鍾繇書 の千字文」が仮に存在していたとしても、それは梁時代以降に石碑文字から集字したものであって魏時代ではなかったと考えています。これは私の個人的推測です。
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