賃上げしても退職金が弱い会社に未来はあるのか?
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結論:
退職金の実質価値は、過去20年間で3割近く減少している。物価高に対応しない制度は、人材確保と株価に悪影響を与える。企業は、インフレ連動型の退職給付制度の導入や金融教育支援を急ぐことで、サービス業など人件費比率の高い業種における株価の下落を防げる。銀行は、運用収益の拡大による恩恵を受ける一方、価格転嫁が難しい小売業にとっては逆風となる。制度改定を先送りすれば、資本コストの上昇による競争力低下は避けられない。
アウトライン:
第1章 退職金の実質価値はなぜ下がったのか?
・過去20年間で退職金の名目額はほぼ横ばい、総合CPIは約3割上昇
・物価上昇に連動しない退職金テーブルが購買力を押し下げている
・想定利率と実際のインフレ率の乖離が拡大し制度改定が追いつかない
第2章 海外と日本の退職給付制度の違い
・欧米の確定給付や確定拠出制度は自動インフレ連動が一般的
・日本企業の約9割は賃金改定と退職給付算定を分離
・ガバナンスの差が従業員エンゲージメントと採用コストに影響
第3章 人材確保を阻む2つのギャップ
・賃金ギャップ:ベースサラリーは上昇しても退職給付は据え置き
・老後資産ギャップ:期待退職金と必要資金の差が拡大
・退職金への不信感が中堅層の転職意向を高めている
第4章 企業が今すぐ取れる対策
・制度面:キャッシュバランス化と利率見直しでインフレ耐性を確保
・金融教育:iDeCoやNISA拠出に会社補助を付け自主的積立を促進
・2026年4月施行の在職老齢年金改正を踏まえた就業設計
第5章 セクター別の株価への影響
・サービス業:人件費比率が高く、過去1年の株価リターンはマイナス2%で市場を下回る
・銀行:運用残高拡大期待から約45%のプラスで市場を大きく上回る
・小売:価格転嫁余地が限られプラス約22%とTOPIX並み
・製造:高付加価値製品への価格転嫁が進み株価は横ばい圏
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第1章 退職金の実質価値はなぜ下がったのか?
退職金への不満が強まっているのは、支給額そのものよりも、受け取ったお金で買うことができるものが減っているためです。
日本経済新聞は、退職金の実質価値が過去20年で約3割目減りしたと報じています。また、総務省統計局の2026年2月分消費者物価指数(CPI)では、総合指数が2020年を100とした場合、112.2まで上昇しています。つまり、同じ退職金でも以前と比べて生活を支える力が弱まっているということです。
ここで見落としがちなのは、賃上げと退職金の増加スピードが同じではないということです。月給が上がっても、退職金テーブルの改定が遅れれば、社員の将来不安は残ったままです。多くの企業では、退職金制度が低インフレ時代の前提で作られており、物価上昇に自動で連動する仕組みにはなっていません。
その結果、現役時代の給与が少し増えても老後の安心感は逆に弱まることがあります。特に40~50代の社員は毎月の給与だけでなく最後にいくら受け取れるかを強く意識します。退職金が少ない会社は長く働く意味を感じにくい会社になるということです。
この問題は福利厚生の評価にも直結し、会社側が制度を用意していても、社員からすれば「制度がある」だけでは不十分だと感じられる時代になりました。中小企業退職金共済制度のような仕組みがあっても、企業が掛金水準を見直さなければ、物価高による実質価値の低下は防げません。制度の有無ではなく、その内容が今の物価に合っているかが問われています。
実際、制度見直しに動く企業も出ています。JR東日本は2025年5月に国鉄由来の退職一時金制度を廃止し、企業型確定拠出年金へ移行する方針を示し、バンダイナムコホールディングスは2025年4月、国内グループ会社を対象とした退職金制度の見直しを発表しました。これは単なる制度変更ではなく、人材定着を目的とした退職金の再設計であると考えられます。
さらに、2026年4月からは、企業型確定拠出年金(DC)において、加入者掛金が事業主掛金を超えてはならないという制限が撤廃されました。これにより、企業が制度を整えれば、社員はより柔軟に老後資産を積みやすくなります。退職金の問題は、単なる福利厚生の話ではありません。採用競争力や人材定着、将来不安の軽減を左右する経営課題として、今こそ見直す必要があるのです。
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第2章 海外と日本の退職給付制度の違い
海外と日本の違いは、退職給付を「最後に払うお金」と考えるか、働いている間から運用する制度と考えるかにあります。
米国では、401kのような確定拠出型制度が広く普及しています。企業は、掛金を出すだけではなく、社員が制度を分かりやすく理解できるように制度内容を提示し、運用の選択肢や拠出方法を継続的に見直しています。社員側から見ると、現在の積立額や、転職後の持ち運びの可否、自己負担の上限額が明確なため、制度の分かりやすさと使いやすさそのものが福利厚生の価値になっています。
日本では、退職金制度があっても退職一時金、企業年金、企業型DCが分かれて存在し、全体像が見えにくい企業が少なくありません。そのため、社員からすると、月給や賞与は分かっても退職後の受取額や資産形成の流れは見えにくいままです。制度があることと制度を理解できることは、別問題です。
さらに、海外では退職給付が人事制度だけでなくガバナンスの対象としても扱われ、運営管理機関の評価や運用商品の見直し、従業員向けの教育まで含めて会社側が定期的に点検しています。日本でも企業年金連合会がこうした管理の重要性を示していますが、実務ではまだ差があります。制度をそのままにしておく企業と継続的に整える企業では、社員の安心感に大きな差が出ます。
第2章で重要なのは、海外と日本の差を給付額だけで見るべきではないということです。差が出ているのは、制度の持ち運びやすさや見えやすさ、説明の丁寧さや経営陣の関与です。退職給付は支給時点の話ではなく、在職中から信頼を作る仕組みとして見直され始めています。
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第3章 人材確保を阻む2つのギャップ
人材確保を難しくしているのは、賃上げが進んでも社員が将来まで報われると感じにくいことです。現在の企業現場では初任給や基本給の引き上げが顕著です。実際、2025年春闘ではトヨタ自動車や日立製作所のような大手企業が軒並み高水準の賃上げに応じました。これは採用市場では分かりやすい材料ですが、それだけで人が定着するわけではありません。なぜなら、月給が上がっても退職給付が据え置きであれば、長く勤める意味は薄れてしまうからです。
これが1つ目のギャップ、すなわち賃金ギャップです。会社は人手不足への対応として給与テーブルを見直しますが、退職金や企業年金まで同じスピードで改定できるとは限りません。その結果、入社時の待遇は改善しても、長く勤めた場合の見返りは少ないままになりやすいのです。特に中堅層は、この差を重視しています。転職時に比較するのは年収だけではなく、住宅ローン、教育費、老後資金を含めた生活設計だからです。採用のための賃上げと定着のための制度設計は、別物と考える必要があります。
2つ目は老後資産ギャップです。生活費の水準が高いなかで退職金や企業年金の見通しが弱い会社では、社員が不安を抱えやすくなります。しかも、この不安は表立って会社に伝わりにくいのが厄介です。給与への不満は見えやすい一方で、退職後の備えへの不安は静かに蓄積し、ある時点で転職理由になります。厚生労働省の雇用動向調査でも、離職理由として「給料等収入が少なかった」が一定割合を占めており、「会社の将来が不安だった」という理由も無視できません。中堅社員は、今の給与よりも会社に残った場合の安心感を重視しています。
この差は採用コストにも跳ね返ります。せっかく賃上げして採用しても、数年後に中堅層が流出すれば再び採用費と教育費がかかることになります。人材不足の時代には、採用時の条件だけでなく、社員が長く働きたくなるような理由を示せる会社の方が有利です。第3章で述べたように、人材確保を阻んでいるのは給与水準そのものよりも、賃金と退職後資産の間にある2つのギャップです。このギャップを埋めない限り、賃上げだけでは社員をつなぎとめるのは難しいでしょう。
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第4章 企業が今すぐ取れる対策
企業が今すぐ打つべき対策は、退職金を増やすか減らすかの議論ではありません。重要なのは、制度を今の金利環境と働き方に合わせて組み替えることです。第4章では、すぐに着手できる対策を3つに分けて考えます。
1つ目は制度面の見直しです。特に有効な方法として、キャッシュバランス型の考え方を導入し、利率を市場に連動させながら下限も設けるというものがあります。東京エレクトロン企業年金基金では、長期金利を指標として給付の安定化を図る仕組みを採用しています。また、日立製作所もキャッシュバランスプランの指標利率見直しと制度再設計を進めた実績があります。固定的な退職金テーブルをそのまま残すよりも、金利変動を吸収できる制度のほうが、運営の持続性を高めやすいのです。経営側にとっては引当負担の読みやすさにつながり、社員側にとっては、制度がどのように決まるかを説明しやすくなります。
2つ目は、金融教育と積立支援です。ここで差が出るのは、制度を導入するだけで終わるのか、それとも社員が使いこなせるように支援するのかです。NTTグループは2026年3月、福利厚生の一環として「職場つみたてNISA」を導入し、従業員の資産形成を支援する体制を整えました。これは単に投資を勧める話ではなく、会社が従業員の資産形成を働く環境の一部として捉え始めた好例です。加えて、継続教育の質を高めている企業として富士通やヤマト運輸、J.フロントリテイリングなどの名前も挙がっています。
iDeCoやNISAは、制度の説明だけでは不十分です。継続教育まで含めて初めて定着策になります。人事部門は、制度案内の配布だけでなく、入社時や昇進時、50代手前などの節目の時期に、学べる場を設けなければなりません。
3つ目は、2026年4月の在職老齢年金改正を踏まえた就業設計です。65歳以上で働きながら老齢厚生年金を受ける人について、支給停止の基準額は2026年4月から65万円に引き上げられます。この改正により、一定以上働くと年金が減るため、就業を控えるという動きは弱まることが見込まれます。企業側から見ると、シニア人材を短時間雇用するか、経験を生かしてさらに長く働いてもらうかの設計を見直しやすくなったということです。退職金制度の見直しとシニア雇用の設計は、別々ではなく一体で考えるべき段階に入っています。
第4章の結論は明確です。企業が今すぐ取るべき対策は、退職金制度を金利対応型に見直し、資産形成を教育まで含めて支援し、年金改正を踏まえて60代後半の働き方を再設計することです。制度、教育、就業設計を同時に見直す企業ほど、人材定着に有利になると考えるべきです。
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第5章 セクター別の株価への影響
退職給付の見直しが株価に与える影響は、業種によって異なります。特に差が出やすいのは、人件費の重さ、価格転嫁のしやすさ、そして金利上昇を追い風にできるかどうかです。今回の論点では、サービス業、銀行、小売、製造業で異なる影響が見られます。退職給付の見直しは人材定着には必要でも、株式市場ではまず利益への影響として評価されやすいため、業種ごとの構造差を押さえることが重要です。
まず、サービス業です。サービス業は、人件費比率が高いため、退職給付の改善が固定費の増加としてそのまま受け止められやすい業種です。代表的な企業としては、リクルートホールディングス、日本郵政、オリエンタルランド、セコム、楽天グループなどが挙げられます。これらの企業は、人材への依存度が高いため、賃上げに加えて退職給付まで厚くすると、短期的には利益率への警戒が先に立ちやすくなります。ご指定のアウトラインのとおり、過去1年のリターンはマイナス2%前後で市場全体を下回る水準です。つまり、人材投資が必要な業種ほど株価は先にコスト増を織り込みやすいということになります。
次に、銀行です。銀行は、今回の4業種の中で最も状況が異なります。三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャル・グループ、みずほフィナンシャル・グループのような大手銀行は、金利上昇による運用収益の改善が期待され、退職給付負担の増加を吸収しやすい立場にあります。実際、銀行セクターの株価は、過去1年間で45%近く上昇し、市場全体を大きく上回りました。ここでは、退職給付のコスト増よりも貸出利ざやや運用収益の拡大期待のほうが、株価を左右しやすいです。退職給付の負担を抱えてもそれ以上に収益拡大の材料がある業種は、株価が強いという典型例です。
小売はその中間に位置します。ファーストリテイリング、セブン&アイホールディングス、イオン、パンパシフィックインターナショナルホールディングス、良品計画などの大手企業は、商品の見直しや値上げで一定の対応が可能です。しかし、小売業界全体では、価格転嫁には限界があります。消費者の節約志向が残る中では、人件費や退職給付の増加をそのまま販売価格に反映しにくく、利益率は圧迫されやすくなります。その一方で、生活必需品を取り扱う企業や強いブランドを持つ企業には一定の耐性があります。過去1年のリターンは約22%で市場並みの水準であり、業界全体としては強い追い風にも強い逆風にもなりにくいのが小売の特徴です。
製造業はさらに見方が分かれますが、今回は代表的な企業として、価格決定力を持ちやすい高付加価値分野を中心に考えるのが実務的です。三菱重工業、ディスコ、コマツ、ダイキン工業、SMC、IHIのような企業は、技術力や受注残、海外需要を背景に、価格転嫁を進めやすい立場にあります。こうした企業では、退職給付や賃上げのコスト増があっても、付加価値の高さで吸収しやすいため、株価は大きく崩れにくいです。ご指定のアウトラインのとおり、製造業は横ばい圏という整理がわかりやすく、少なくともサービス業ほどの逆風にはなりにくいと見られます。製造業は一括りではなく、価格決定力の有無で耐性が変わる点が重要です。
第5章の結論は明確です。退職給付の見直しは全業種共通の課題ですが、株価への影響は一律ではありません。サービス業は逆風を受けやすく、銀行は追い風を受けやすい。小売は中立に近く、製造は高付加価値分野ほど耐性が強い、という違いです。この違いを押さえれば、投資家も企業経営者も、退職給付の議論を単なるコスト論で終わらせずに見られるようになります。同じ制度改定でも、どの業種で起きるかによって市場の評価は大きく変わるという点が、第5章の最も重要なポイントです。
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