はじまりはシンドバッド
*この記事は、京都在住エッセイスト・ライターの江角悠子さんが主催しているオンラインサロン「京都くらしの編集室」での「noteチャレンジ」4月のお題に沿って書いています。
4月のお題は【本】
私という人間を定義した3冊。
”今の自分の価値観の土台になっている本3冊について”書いていきます。
1冊目「シンドバッドの冒険」
「やあ、みんな!さいごまでよんでくれてありがとう!
これで、ぼくたちのぼうけんはおわりです。どうだったかな?この中にきみのすきなおはなしはあった?」
これは、私が1年生か2年生の時、おばあちゃんの家にあった本に、勝手に書いたメッセージ。
おばあちゃんの家には、たくさんの本があった。
玄関を入ってすぐのスペースが、孫の遊び場になっていて、棚には、絵本や本、お手玉、カルタ、ボードゲームや折り紙などがあった。
その先には縁側があり、私たちはそこでよく遊んだものだ。
ある日、縁側でシンドバッドを読み終わった私は、少し物足りなさを感じていた。
少し前に読んだ別の本の終わりには、主人公からメッセージがあったのに、「シンドバッドの冒険」にはそれがなかったからだ。
私は、おもむろに鉛筆をとり、想像力を働かせ、シンドバッドからのメッセージを最後のページに書きつけた。
ツヤツヤに磨かれた縁側の木目と、「やあ、みんな」というあいさつの文字を映像として、はっきりと覚えている。
数日後、おばあちゃんに、こう言われた。
「びっくりしたんだけど、この本に、シンドバッドからのメッセージがあったのよ。見つけて嬉しくなっちゃった、素敵で。あれ、れいちゃんが考えたのよね?」
おばあちゃんは、黙って本に何かを書き込んだ私を叱らなかった。
こっそり、何かを表現したことが明るみに出た驚きと、照れ臭さから、そっけない返事をした記憶がある。
これは、自分が書いたもので誰かが喜んでくれた初めての出来事。
ちょっと恥ずかしかったけど、とても嬉しかったことを覚えている。
2冊目「自分の周りにいいことがいっぱい起きる本」
そこから、20年くらい経ち、子育てに翻弄されていた頃、友人がくれた
ちょっとスピリチュアル系の、生き方指南本。
今なら、本屋さんに、こういう本はたくさん並んでいる。
でも、私がこれを手にしたのは20年以上前。
まだ、珍しかったのではないかと思う。
「魂」という言葉を意識するようになったのは、この本がきっかけだった。
本は、ある時期にかなり断捨離してしまったけれど、今見たらちゃんとあったので、久しぶりに開いてみる。
見開き1ページ目に
「幸せとは、今に感謝して喜んで生きられること」と。
その通りだなあと思う。
もう少し読んでみると「もし、それでも何か足りないと思っているなら、自分の魂の声を聞いてみて」とあった。
ああ。
もう最初の2ページで響くな、この本。
私のモットーは「心地よく生きる、行動して書く」
そして「心地よく生きる」ために、心がけていることがこの2つ。
①今に集中して幸せを見つける
②自分の気持ちをちゃんと丁寧にみる
今の自分のあり方、やっぱりこの本からかなり影響を受けていたんだなあと気づいた。
そして、3冊目「嫌われる勇気」
10年くらい前に出会ったアドラー心理学の本。
一時期、とてもブームになったので、ご存じの方も多いのでは、と思う。
これを初めて読んだ時の、驚きと爽快感は忘れられない。
「私が何となく感じてたこと、ここに全部まとめてある!」
共感というより
「私の思ってたこと、綺麗にまとめてくれてありがとう〜〜」
という、一見、上から目線のようにも取られそうな感想(笑)
日頃の人間関係で感じるもやっとしたことや、
なぜか「そういうものだ」と決まっているものへの疑問、
「こうしたらいいんじゃないかな」とか「私はこうしていきたいな」などと漠然と感じていたことが、全て綺麗に言語化してあった。
うんうん。やっぱりそうだよね!
読みながら何度、そう思ったかしれない。
特に「課題分離」という考え方にとても感銘を受けたのを覚えている。
自分に近い人に起きることを、自分に紐付けてしまいがちだったけれど、「自分の課題と、ひとの課題の間に線を引く」という考え方は、私を楽にしてくれた。
当時、「すごく面白いよ」って夫に勧めたら、夫も感動して、娘たちにも勧めて、しばらく家族でブームになった。
バイト先の人間関係に悩む娘に、夫が「嫌われる勇気にも書いてあったじゃん……」なんて言っているのを聞いて、嬉しかったことを思い出す。
「お題」がなければ、考えることもなかったな〜と思うと、この企画自体が、本当にありがたい。
書く喜び、心地よく生きるためのあり方、自分の軸を持つこと。
この3冊を並べてみると、まちがいなく、今の私を作ってくれた恩人たちだなあとしみじみ嬉しい。
光の溢れる縁側で、シンドバッドになり切って、夢中で言葉を紡いでいた私は、まだここにいる。
