第9話 番外編:誰かの未来のために
夜の研究棟は、機械音すら止んだように静まり返っていた。
ほのかに光を放つ端末の明かりだけが、無機質な部屋に微かな色を与えている。
白衣の男――神崎悠人は、いつものように端末に向かってデータを整理していたが、気配を察して振り返る。
そこには、毛布を肩にかけた少女が立っていた。
胸元には、“G-12”と刻まれた認識タグが小さく揺れている。
――リナだった。
「……まだ寝ないのかい?」
神崎の声は淡々としているが、どこか親しげだった。
リナは小さく笑い、静かに近づく。
「眠るには、もったいない夜でしょ。……先生がまだ起きてるのに、私だけ寝るのも不公平」
「……私は研究者だからね。夜型なんだよ。」
「うん、知ってる。でも……もう、そんなに時間、ないから」
リナの言葉に、神崎の手が止まる。
沈黙が落ちる。
彼女の言葉に嘘はなかった。
彼女の命は、ゆるやかに終わりへと傾きはじめていた。
神崎も、誰よりもそれを理解している。
そして何より――彼自身が、その無力さに最も傷ついていた。
「……すまない、リナ。君を助ける方法を、私は――」
「いいんだよ。先生」
リナは穏やかな声で言い、神崎の向かいに腰を下ろす。
毛布の下の細い肩が、小さく震えていた。
「私ね……自分が生きてきたことに、ちゃんと意味があったって思いたかったの。でも先生と出会って、それを少しだけ信じられるようになった。
……研究の話も、未来のことも……ちゃんと聞けたから。」
神崎は、静かに彼女を見つめていた。
普段は厳格な顔に、微かな揺らぎが見える。
「私の意識や記憶が……誰かの役に立つなら。
……私の死も、無駄じゃなかったって、思えるかもしれない」
「……リナ、それは――」
「お願い。もし、もし私が死んだら……私の記憶……“意識データ”を使って。未来の誰かのために、ちゃんと役立ててほしいの」
その瞳に、恐れはなかった。
諦めでも、強がりでもない。
ただ静かに、自分の最後を受け入れようとする強さが、そこにあった。
神崎は、しばらく黙ったあと、そっと頷いた。
「……約束しよう。君の意識は、単なるデータとしてではなく“君自身”として未来に繋げる。 決して無駄にはしない。君の“存在”は、必ず未来に繋げる」
リナは微笑んだ。
「うん。……それを聞いて、少しだけ安心した。
……未来に繋がるなら、私の“終わり”も……少しだけ、意味がある気がする。」
部屋の中に再び沈黙が戻る。
だが、それは穏やかな静けさだった。
まるで、永遠の夜に交わされた、二人だけの契約のように。
