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*小説* 「透明に染まる」 序章:色を失った世界

「色は、光の苦しみである」  


光があるから影が生まれ、影があるからこそ、色は際立つ。

もしも光がなかったら――
この世界に色は存在しないのだろうか。  


透也にとってその問いは、もはや何の意味も持たなかった。

なぜなら彼の世界には、もう色がなくなっているからだ。  


雨上がりの街は、湿った土とアスファルトが混じり合った独特の匂いを漂わせていた。

路面には雨粒が残り、通り過ぎる車のタイヤが水たまりを跳ね上げる。

街路樹の葉先から滴る雫が、きらりと儚く光る。


そんな光景さえ、透也の目にはただの無機質な風景にしか映らない。

人々が行き交う雑踏の中で、彼は自分が世界から切り離された存在であるかのように感じていた。  

濡れた靴が路面を叩く鈍い音だけが、彼の耳に染み込んでくる。


かつてはこんな日でも、雨上がりの空に滲む虹を見つければ、ほんの少し心が躍ったものだ。

虹色に染まった空の美しさに、自然と笑みがこぼれていた――

彼女と一緒なら。


でも今は、何も感じない。

虹が架かっていたとしても、その色さえ透也の目には映らないのだろう。  


感情が色として可視化されるこの世界で、人々はその鮮やかな輝きを当たり前のように身に纏っている。

喜びに染まる暖かな橙、怒りの燃え立つ赤、悲しみに包まれる深い青。

人の心は千差万別で、ほんの些細な感情の揺れも、微細な色の変化として現れる。  


けれど、透也は違った。  

最愛の人を失った日、透也の世界は音を立てて崩れた。

恋人だった桜が交通事故で亡くなり、彼の色は完全に消えたのだった。

まるで感情そのものが凍りついたように、心の奥から何の色も生まれなくなった。

それ以来、透也の世界は無機質な灰色に染まり続けている。


それでも、人の色は見える。  

街を行き交う人々はそれぞれの色を纏い、その感情が鮮やかに映し出されている。

穏やかな幸せに包まれた親子。
何かに苛立つビジネスマン。  
誰かを想って胸を焦がす青年。  

彼らの色は目を背けたくなるほどに眩しく、透也に自分の色の無さを突きつけてくる。  


「おい、見ろよ。透明人間が歩いてるぞ」


不意に投げかけられた声が、透也の足を止めた。  

振り向くと、そこには大学の同期たちが立っていた。

彼らの纏う色は軽薄な黄色――
嘲笑と優越感が混じり合った、なんとも浅ましい色だった。  


「お前、今日のゼミ来てたのか?」  

「ああ」  

「まじか……色がないから気づかなかったわ」  


同期たちの笑い声に、周囲の視線が集まる。

けれど透也は、何の感情も湧かず、ただ静かにその場に立っているだけだった。  


「お前、昔はもっと色がコロコロ変わってたのにな」  

「……そう、かな?」  

「そうだよ。桜といるときは特に、すげぇわかりやすかった」  


桜の名前が出た瞬間、胸の奥に鈍い痛みが広がる。

それでも、透也には何の色も浮かばない。  

桜が生きていた頃、透也は確かに色を持っていた。

彼女が笑えば透也の心も輝き、彼女が涙を流せば心が深い青に染まった。  


色があることは、生きている証だ。


それなのに、今の透也には何の色も残っていない。  


「……悪いけど。ちょっと、行くところがあるから」  

「へー、そっ」  


興味なさげに肩をすくめる彼らを背に、透也は再び歩き出した。

吐き出す息は冷たく、街の喧騒が遠のいていく。  


ふと見上げると、厚い雲の切れ間から一筋の光が差し込んでいた。

その先には、薄く滲むように虹がかかっている。  

けれど透也の目に映る虹は、色が濁って見えて何色なのかよく分からない。


もし、桜が生きていたら――
この虹を見上げて、一緒に微笑み合っていたのだろうか。  


そんな叶わぬ問いが、胸の奥に沈んでいく。  

無色であることに慣れすぎた透也は、もう自分が色を取り戻すことはないと思っていた。  


しかし、この後に見つける新たな虹の存在が、透也の運命を大きく揺り動かしていくことになる。

それはまだ、少し先の話だった。

第1章:https://note.com/reitales/n/nb704132ab5c2
第2章:https://note.com/reitales/n/nfca4c9238035
第3章①:https://note.com/reitales/n/n235ed6ea2168
第3章②:https://note.com/reitales/n/n86ece8874f95
第4章:https://note.com/reitales/n/nc1fefc983772
第5章:https://note.com/reitales/n/n678fd2b0832d
終章:https://note.com/reitales/n/n8cb5871968f8

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