*小説* 「透明に染まる」 第2章:鏡
あの日の出来事が頭から離れなかった。
虹色に輝く光と、静かな瞳。
そして、透也の心を揺さぶってきた、あの言葉。
――「あなたは、何も色がないんですね」
彼女との出会いは現実味がなく、どこか夢のような感覚すらあった。
あれから数日が経ち、透也はまたあの街角へと足を運んでいた。
無意識のうちに、あの光を探していたのかもしれない。
だが、そう都合よく再会できるはずもない。
そう思いながら歩いていると、ふと視界の端に、あの虹色の光が煌めいた。
目を向けると、街の人影の中に彼女がいた。
ベンチに腰掛け、スマホを眺めながら何かを考え込んでいるような姿。
人々が行き交うたび、彼女の色は移り変わっていた。
通り過ぎていく人の気配を反映するかのように、青みがかったり、淡い橙になったり、瞬間ごとに違う光を纏っている。
透也はなぜか、その光景から目が離せなかった。
彼女の色が、瞬く間に変化していくのを、じっと見つめてしまう。
……どうしてあんなに色が変わっていくんだ?
そんな疑問が浮かび上がる。
ただの偶然かもしれない。
だが、もしそうでないのなら――
透也は知らず知らずのうちに、彼女のもとへ歩み寄っていた。
「……また、お会いしましたね」
そう声をかけると、彼女はスマホから視線を上げた。
「あなたは……」
透也を認識すると、彼女の瞳がわずかに細められる。
「この前は、失礼しました。突然話しかけて、質問したりして……驚かれたでしょう」
「……いいえ」
彼女は特に表情を変えることなく、さらりとそう答えた。
「それより……また、私を見ていたんですか?」
淡々としている彼女だったが、その声はどこか探るような響きを含んでいた。
透也は、自分の思いを素直に言葉にする。
「……気になったんです。あなたの色が」
「私の色?」
彼女が首を傾げる。
透也は、迷いながらも言葉を続けた。
「人混みの中で、あなたの色だけが、他の人とは違うものに見えました」
その言葉に、彼女の瞳が一瞬だけ揺れた。
「……どういう意味ですか?」
「……自分でも上手く説明できません。でも、あなたの色は……その、周りに合わせて変化しているように見えたんです」
透也の言葉を聞いた彼女は、ふっと息をついた。
「……勘が鋭いんですね」
それは、とても静かな声だった。
「あなたがそう思ったなら、きっとそうなんだと思いますよ」
「……それはつまり、本当に?」
彼女は何も答えなかった。
ただ、ほんの少しだけ目を伏せた。
それを見て、透也は確信した。
やはり、彼女の色は、彼女自身のものではないのだ。
「……不思議ですね」
思わず、ぽつりと呟いた。
「何がですか?」
「普通、色はその人自身のものなのに。あなたの色は、まるで……」
「鏡みたい?」
彼女が透也の言葉を遮るように言った。
透也は息をのんだ。
「……ええ」
「その通りですよ」
その言葉は、とても淡白に聞こえた。
彼女は、自分自身をそう説明することに、何の迷いもないようだった。
彼女は通り過ぎる人々を一瞥する。
すると、彼女の色がまた淡く変化した。
「……自分の色は?」
透也は無意識に尋ねていた。
彼女は、少しだけ目を細める。
「――私には、そんなもの、ないですよ」
彼女は冷静に言い放った。
その言葉が、妙に冷たく響いた気がした。
透也は、彼女の言葉を飲み込めなかった。
自分の色がない――そんなことがありえるのだろうか。
この世界では、人々は感情の揺れによって色が生まれる。
喜び、悲しみ、怒り、苦しみ……どんな感情にも、それぞれの色があるはずだ。
それなのに、彼女は「そんなもの、ない」と言い切った。
「……本当に?」
気づけば、透也はそう問いかけていた。
その言葉に、彼女はふっと笑った。
「信じられませんか?」
「いや……」
透也は言葉に詰まる。
彼女の微笑はどこか淡く、掴みどころがない。
「信じるも信じないも……俺はまだ、あなたのことがよく分かりません」
「なら、分かるまで観察すればいいんじゃないですか?」
彼女はさらりと言って、ベンチから立ち上がった。
「あなた、私に興味があるのでしょう?」
透也は返事に困り、自然と顎を触る。
――興味があるのか?
確かに、彼女の色に惹かれた。
普通とは違う、不思議な輝きを纏う存在。
その理由を知りたいと思ったのは事実だ。
けれど、それだけだろうか。
彼女の瞳を見つめながら、透也は自分の胸の奥を探る。
「……正直に言えば、興味はあります。だから、また会ってくれませんか?」
透也は、今の自分の気持ちを素直に伝えた。
「そうですか」
彼女は静かに微笑む。
「ご自由にどうぞ」
そう言い残して、彼女は透也に背を向けた。
「あ……」
思わず声をかけそうになったが、彼女は振り返らなかった。
人混みに紛れていく背中を、透也はただ見送るしかなかった。
虹色の輝きが、雑踏の中へと溶けていく。
透也はその場に立ち尽くしたまま、ふっと息をついた。
彼女は確かに言った。
――「私には、そんなもの、ないですよ」
彼女は、何気ないことのように言っていたが、透也にはどこか違和感を覚えさせる言葉だった。
本当に、そうなのか……?
透也は、胸の奥に微かなざわめきを感じながら、その場を後にした。
