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中世ハッラーンの魔法の図書館

 トルコ東南部の都市シャンルウルファから車で1時間ほど南下したところに、ハッラーンという村がある。紀元前3千年期から記録に残る、非常に古い土地だ。


 紀元前1千年ころのアッシリアの粘土版には、アッカド語で「道路」や「通り道」または「旅」を意味するHarranuという名前で登場するらしい。


 この町の名前とアブラハムの兄弟ハランは日本語表記にするとほぼ同じになってしまうため、当ブログでは町の名前は「ハッラーン」の表記で固定している。

 ヘブライ語聖書では、アブラハムの兄弟の名前が הרנ(ハラン)で、最初の文字は ה(へー)で素直な発音のhaであるのに対し、地名のほうのハランは חרנとつづられ、最初の文字は ח(ヘット)なので喉から出す強めの ha であり、その発音を表すのに kh や x があてられている。「は」とも「か」とも聞こえる音だ。
 ローマ時代にはカルラエと呼ばれていたから、ローマ人の耳には「か」と聞こえたのだろう。


 ハッラーンは古代から月神シンの神殿が有名で、キリスト教やイスラム教が押し寄せようと、頑なにカルデア系星辰信仰を保ち続けた特殊な都市である。占星術やグノーシス主義の一大中心地でもあり、6世紀にアテナイのアカデメイアが閉鎖されると、大勢の非キリスト教系の学者たちがここハッラーンにやって来た。

 アッバース朝のカリフ、マームーンがバグダッドに建てた知恵の館では、ハッラーン出身の学者が大勢働いていたという。


 アレクサンドリアやバグダッドは言うに及ばず、古代から学術都市には文書庫がつきもの。

 というわけで、10世紀の旅する歴史家?マスーディーが記述を残したハッラーンのハイテク神殿内図書館を求めて、現在のハッラーン村から車で1時間ほどの僻地にあるスマタール(SumatarあるいはSoğmatar)まで行ってみた。

Googlemaapsより

 ハッラーン村中心部から直線距離にして30km、道なりに行くと50kmほど離れている。

 ここが、マスーディーの著作『Meadows of Gold and Mines of Gems』に出てくる神殿の跡とおぼしき場所だ。

 ……何もない。

 写真中央の土砂の小山が神殿の跡なのだろうか??

 マスーディーによれば……、

 「かつてあったその神殿は、非常に高く円形で、片面に7つずつのドアがあり、高いドームは7つの側面をもち(つまり7角形)、てっぺんには牛の頭大の水晶か何かが取り付けられており、光を放つその宝石を取ろうと10フィート(約3メートル)の距離まで近づいた者は即死し、槍を投げても同じく10フィートの距離でブロックされて落ちてしまう。」

 「ある賢人が説明していわく、この現象は、神殿の周りに一定の距離で並べられた磁性の石によって引き起こされている。」

  ……という。

 この時代にも電気の知識があり、局所的に実用化されていたのだろう。

 今の時代と同じく、エンジニア教育を受けた人だけが詳しい原理を知っており、知らない人には魔法のように思われたことだろう。
 ただ、マスーディーは知識人なので、魔法ではなく科学として捉えていることがその記述から読み取れる。

 

 記述はつづいて、神殿の中の深い穴の説明に移る。

 「穴は7つの側面を持ち、穴の周りには古代の文書を運ぶ真鍮のリングがある。この穴は記録庫(hall of records)につづいており、そこには太古からの世界中のすべての知恵が保管されている。世界の歴史や、天国の科学、過去、現在、未来の隠された秘密のすべてが保管されている。世界のすべての宝がそこにはあるが、それらにふさわしくありたいと望む者はだれでも、知力と科学力において我々(神殿の学者たち?)と同等でなければならない。……」

(※英訳文が古い文体なので、上の翻訳には自信のない部分と意訳が含まれる。)


 アテナイのアカデメイアの門には「幾何学を知らざるものくぐるべからず」のような文句が掲げられていたというが、それと同じような精神が、この神殿にも垣間見られる。
 賢者歓迎、一般の方お断り……みたいな。

 つまり、ハッラーンの神殿は知的エリートのみに開かれた秘密の書庫であったわけだ。

 これほど魅力的な場所ならば、各地の賢者がこぞって集まって来たのではないだろうか。

 限られた人々のみが受け入れられるということは、そこに到達できれば名誉であり、ハッラーンの学者というブランドが出来上がるのも当然のことである。

 ここには学問バカの秘密結社も存在したと想像する。




 残念なことに、10世紀にマスーディーが記録にとどめた神殿は、おそらく11世紀に起こった近隣住民の暴動で破壊され、ハッラーンにいたサービア教徒(※クルアーンに記述のある啓典の民サービア教徒の名をかたりイスラム教徒からの攻撃を防ぎつつ、その実カルデア系星辰信仰を保持していたハッラーンの人々)は離散してどこかへ消えてしまったという。

 さらに、13世紀のモンゴル軍の襲来によってハッラーンの街は完全に破壊されてしまった。


 神殿のドームの上にあった宝石はどうしたのだろう?

 記録庫の中身はどこへ行ったのだろう?


 記録庫の番人たちが全部持ち去ったのだろうか。それとも、まだ地下の深い穴の中に眠っているのだろうか。その穴はどれだけ深く、どこに通じていたのだろう。

 重機を持ち出して本格的にあの小山を掘ったなら、もしかすると地下書庫に通じる穴がまだ口を開けて残っているのかもしれない。



 ***

 土砂山のすぐ近くには、バビロニア時代のものとされる月神の神殿がある。

7惑星の神々といわれる彫刻たち


 ネオ・バビロニアの最後の王ナボニドスはハッラーンの出身で、月神シンの神殿を建て替えており、彼の母親がシンに仕える女祭司だったのではないか、という説もある。 
 これがその神殿なのかどうかは不明だ。

 また、かつては神殿の周りに7惑星に因んだ7つの神殿があったという。

 ここでの7惑星とは、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星のこと。
 「惑星」は翻訳だから気にしなくてよい。

 

 古代より繁栄していた通商と学問の都ハッラーン。
 現在は完全なる廃墟で往時の面影は残っていない。

アイユーブ朝のハッラーン大学跡

 

 現在のハッラーンは下の写真のような伝統家屋「ビーハイブ・ハウス」が有名。住民のほとんどがアラブ人だ。



 サービアの魔法使いはもうここにはいない。
 


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