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神が悪魔をすぐに滅ぼさない理由~ハルマゲドンへの道➆~

 神様はなぜ悪魔を創造したのだろう?

 このような疑問を持ったことのある人は多いのではないだろうか。

 答えを言ってしまえば、神は悪魔を創造していない。
 神が創造したのは、美的にも知的にも完璧な霊である。

 その彼が、神に反抗しているのだ。

 では、なぜ彼が反抗して人間をそそのかす前に、神は彼を滅ぼさなかったのか?───そうすれば、今ごろ自分は楽園に生まれて変な苦労もなく楽しい人生を送れていたのに、と。

 本当にそうだろうか?
 
 今回は、サタン閣下が神に反抗するに至った理由と、神がなぜすぐに彼を滅ぼさなかったのか、そして、なぜまだ我慢しているのか、その理由について見ていこう。

 それでは、




サタン閣下が反抗した理由




 エゼキエルの28章には、都市国家ティルスに対する滅びの預言が記録されている。その中に、どういうわけか、ティルスの王とサタン閣下が重複して描写されているかのような箇所があるのだ。

「人の子よ。ツォルの王について哀歌を唱えて、彼に言え。
 神であるヤハウェはこのように言われる。
 あなたはまったきものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。
 あなたは神の園エデンにいて、あらゆる宝石があなたを覆っていた。
 ルビー、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイア、柘榴石、エメラルド。
 あなたの中にある諸々のタンバリンと笛は金で作られ、これらはあなたが創造された日に用意されていた。
 あなたは守護するものの油注がれたケルブであり、わたしはあなたを神々の聖なる山に置いた。
 あなたは火の石のあいだを歩いていた。

 あなたの行いは、あなたが創られた日から、あなたの中に不正が見いだされた時まで完全だった。
 あなたの取引の多さゆえに、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。
 そこで、わたしはあなたを神の山から追い出し、火の石のあいだの守護者ケルブよ、わたしはあなたを完全に滅ぼした。
 あなたの心は自分の美しさゆえに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を鈍らせた。
 そこで、わたしはあなたを地に投げ出させ、王たちの前に見世物とした。
(エゼキエル28章12~17節)

※ツォルはティルスのことである。

 上の翻訳からわかるように、ここで神が語りかけている対象は人だけではない。

 神の園エデンで暮らした人間はアダムとエバだけであり、彼らはすでに死んでいる。
 また、火の石のあいだを人間が歩くのは、栄光ではなく拷問である。
 肉体を構成するタンパク質は45℃をこえると凝固がはじまってしまうからだ。

 神はここでティルスの王とサタン閣下の両方に語りかけている。

 しかし、なぜか?
 このときの最強国ペルシアの王でもなく、ティルスを滅ぼす最強アレクサンダー大王でもなく、なぜティルスの王をサタン閣下と重ねて描写しているのだろうか?

 たしかに、ティルスは海を制するフェニキア人最大の都市ではあったが……。
 


 上の記事でも簡単に取り扱ったが、悪魔社会にも人間社会と同じように、国ごとの担当者がいるようなのだ。

 なぜティルスの王と閣下が重ねられたのか?
 はっきりとした答えはわからないが、もしかすると、この当時、サタン閣下はティルスにいて、ティルスの王と契約関係にあったのかもしれない。

 人身御供をささげるフェニキア人の習慣は、古代世界では有名であった。
 古代にはほかの地域でも人身御供が行われていたことを考えると、フェニキア人のそれは規模が桁違いであったのだろう。
 そのことと閣下の所在に関係があるかどうかは、今のところ不明である。


 先ほどの引用箇所の前で、ティルスの王は「ダニエルよりも知恵があり」(エゼキエル28章3節)と言われているが、これは閣下のことだろうか?そうでなければ、閣下が知恵を授けたために知恵者となっていたティルスの王のことだろうか。

 いずれにせよ、ティルスの王も「わたしは海の真ん中で神の座についている」(エゼキエル28章2節)とのたまったようなので、相当調子に乗っていたことは間違いない。

 サタン閣下とティルスの王。
 彼ら二人は重ねて描写されるほど、神の目から見て似ていたようだ。

 「似ている人」がいるように、人と霊が人格的に似ている、ということは起こり得ることなのだ。
 霊も人も、体のつくりは違うが、思考と感情は等しく神に似た者として造られている。



 サタン閣下は「知恵に満ち、美の極みであった」とあるように、本来非の打ちどころのない存在として生まれている。

 そう、彼は美しいのだ。
 おどろおどろしい地獄や悪魔のイメージとは裏腹に、彼は自らそういったものを好むひとではない。

 彼がどういうところに住む、どのような人となりの「ひと」であるかは、下の記事に書いている。



 では、そんな「出来過ぎくん」として生まれた彼が、なぜ神に反抗するに至ったのか。
 その理由は、こう書かれている。

「あなたの心は自分の美しさゆえに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を鈍らせた。」


 
高ぶり、知恵をにぶらせた。───そして何が起きた?

 エデンでアダムから地の支配権を奪ったのである。


 彼は知恵をもってして、悪知恵でもって人間をだますことによって支配権を得ている。
 だから、「知恵を鈍らせた」というのは少し不思議に感じるが、このことは最後に扱う。


 しかし、なぜ、閣下は地の支配権を狙ったのだろうか?



 考えてみてほしい。

 彼は誰よりも優れたものとして生み出された。

 それなのに、である。

 神は彼よりあとに人間アダムを生み出して、彼に「地」の支配権を与えてしまった。アダムは地の王の位を生まれながらにして与えられたのである。

 人間のつくりは霊よりも劣ったものである。
 空も飛べないし、一発殴れば死んでしまうこともあるような、もろい生き物である。しかも、うんちをする。
 アダムという生物は、能力的にも美的にも、全体的にサタン閣下よりも劣っていた。

 それなのに、アダムには地上世界の王という特権が与えられた。

 一方で、アダムより先に生まれ、神と過ごす時間も長く、能力的にもより優れているはずのサタン閣下には、支配権を行使できる領域は与えられなかった。

 地はアダムの王国、天は神の王国。自分には何もない。
 
 不公平である。───閣下がそう考えたと想像するのは難しくない。


 それで、閣下としては当然自分が受けるべき栄誉を受けようと、地の支配権をもぎ取りに行ったのではないだろうか。

 まさしく、父の王権を受け継いだ弟を倒して王位を奪いに行く兄の心境である。


 自分は優れている。だから、神の采配を超えて、自分が地の支配権を得るべきである、と。


 神の判断を超えて自分の考えを正しいとすることが「高ぶり」であり、彼はその高い知能を人を騙すことに利用した。


 それら「高ぶり」と「欺瞞」によって、彼は絢爛豪華な神の山から追い出されることになる。



神が悪魔をすぐに滅ぼさない理由①



 なぜ神は、サタン閣下が人間をそそのかす前に彼を罰しなかったのだろうか?

 それはおそらく、彼がエバに嘘を語ったことが、彼の不正のはじめであったからではないか。

 彼が何を考えていたにせよ、それまでは罪を犯していなかった。
 彼の「行いは完全だった」のだ。

 彼が罪を犯した直後にアダムとエバも罪を犯した。
 彼ら3人はほぼ同時に罪を犯したのだ。
 だから、彼らの最終的な裁きはほぼ同時に成されることになる。

 それは、千年王国ののち、今ある世界が処分されてすべての人が復活し、新しい世界に入るか、存在を消滅させられるか、その判決を言い渡されて執行される「最期の審判」の直前に、サタン閣下の刑も執行されるのである。



 では、なぜ神はこんなにも刑の執行を引き延ばしているのだろうか?


 それを問うならば、生まれてきた人間がはじめて嘘をついた瞬間に、なぜ滅ぼされないのか?をまず問わねばならない。



 アダムとエバがすぐに死刑に処されなかったのは、神が彼らとその子孫を惜しんだからである。
 なぜ惜しんだのか?
 彼らに愛情を抱いていたからである。

 人間は、その辺で買ったものより自分で作ったものに、より愛着を抱くものだ。よその子より、自分の子がかわいいものだ。

 神も同じである。

 人間の感情は神に似せて作られている。ならば、神も自分が創造した人間、それも直接生み出した長男長女がかわいいのは当然である。
 すぐに消し去るのは忍びない。



 ……そこで、考えてみてほしい。

 サタン閣下もアダムと同じく神に直接生み出された「神の子」なのである。

 神からすれば、閣下もかわいいのである。

 しかも、閣下はもともと、見て良し、語って良しの「出来過ぎくん」である。
 惜しいのは当然と言える。



 それに、神には頼まれてもいないのに生命を生み出したという責任がある。

 だからこそ、不完全な生まれの人間に関しては、生み出した責任を取って神自らが人間となって生まれ、失われた完全な人アダムより優れた血を流すことによって、神の支配を選ぶ人に当初のアダムと同じ永遠性を与えるための手続きを完了したのである。
 その詳細は以下の記事にある。



 アダムは失われた
 なぜなら、彼は我々とは違って不完全な生まれではない。
 知能も健康も環境も完全な中で、自らの意思で反逆に加担したのである。
 彼は騙されたわけではない。
 だから弁解の余地はない。

 サタン閣下も同様である。
 彼は誰よりも優れており、完全を超えた環境の神の山で暮らしていた。
 だから、彼と、彼に従った元天使の霊たちには、救済措置が設けられていない。

 すでに神と閣下のどちらにつくか、完全な環境のもとで選択済みだからである。

 サタン閣下は、存在の抹消がすでに決定しているのだ。


 しかし、神は閣下を生み出した親である。
 神が死んだのは、人間のためのみならず、閣下という子供が成したことの責任を取ったという意味もあるのだろう。

 神はサタン閣下のことも愛している。
 本人が納得する前に存在を抹消することはない。
 閣下が望んだ自由を与え、閣下が望んだ地の支配権を与えて、それらを存分に行使する時間を与えている
 けっこう甘い親なのだ。

 正しい人からすると「何甘やかしてるの!」と思うかもしれないが、自分に刃向かう悪ガキだろうと、一瞬でも長く生かしておきたいと思うのが親心ではないだろうか。

 親心と言われても、若者や親になったことのない人、または、いわゆる「毒親」のもとで育った人にはいまいちピンとこないこともあるだろう。
 下のソン・ケムン牧師の説教は、刃向かわれても子を思う親心を実例でもって実によく説明してくれている。
 文章で説明するより、これを聞いてもらった方が早い。長いけど。

(※ソン牧師はプロテスタントの主流派からは異端と目されているようだが、聞いていて、基本的な教理にそこまでの違いはない。違いがある箇所も、論戦をさせたらたぶん彼が勝つだろう。論理的な説明が得意な牧師さんなので、筆者も時々勉強させてもらっている。ちなみに、彼はエホバの証人でもモルモンでもセブンスデーでもないが、若干セブンスデーの解釈を引き継いでいる部分もある。)



 というわけで、サタン閣下がすぐに滅ぼされなかった理由のひとつは、筆者もあなたも嘘をついたことがあるのに、すぐに死刑にならずにのうのうと生かされている理由と同じなのである。




 さらに、閣下の反乱と同時に「最期の審判」の導入が決定された。

 審判ののち、審判を通ったものだけが新しい世界に入り、人は性別がなくなり、子供は生まれなくなる。「なんだよ、オレも楽園で生まれたかったよ」と不平を言う人がいなくなる公平な処置である。

 しかし、そうなると、反乱時点での人口が少なすぎるのである。
 というか、アダムとエバは失われているため、実質0人である。

 新世界に入るある程度の人数を確保するには、長い年月を要する。
 2024年現在、世界の人口は約80億人。多いように思えて、全員がネッシーのいるネス湖に収まってしまうと言われるほどの体積しかない。

 地上世界はけっこう広いのだ。

 新世界の面積が増えるか減るかは書かれていないが、グレードダウンということはないだろう。さらに、新世界には海がないというのだから、結構な人数が収まるものと思われる。
 そうすると、せめて200億くらいは欲しいよね~と神様も思っているのではないだろうか。できれば、全員、というのが当初の希望なのだから。


 というわけで、新世界にできるだけ多くの人を入れようと、神はじっと我慢しているのである。
 あなたがエロビデオを見ていたとか、自分のミスを部下のせいにしたとかいう報告を天使たちから聞きながら、いつか心機一転して新世界の住人の仲間入りをしてくれはしないかと、ため息をつきながら我慢しているのである。

 ───え?天使たちは告げ口はしない?書き留めているだけ?
 ああ、それはすみませんでした。。



神が悪魔をすぐに滅ぼさない理由②



 よく言われているもう一つの理由がある。


 サタン閣下は彼以外の霊(天使)と人間に対して、「神の支配と創られたものによる自治と、どちらが優れているのか」という問題を提起したというのである。

 その答えを出すには、実際に両方の統治を比べる必要が出てくる。

 もし、比べもせずに閣下を即処刑に処したなら、問題の答えは永遠にわからず、逆らえば処刑という恐怖政治のもとで、再度同じ問題が提起されることが繰り返し起きる可能性が残ってしまう。

 だから、神はサタン閣下に、神ではないものによる統治を試しに行わせているのではないか、というのである。


 聖書の年代を計算すると、サタン閣下の統治はもうすぐ6千年に達する。

 その後に行われる神の統治は「千年王国」と呼ばれる通り、千年間つづく。


 古代メソポタミアでは、「7」は完全を意味する数であった。
 これは聖書でも同じである。

 神は天地創造に6日間を用い、7日目に休んだ。

 被造物による統治が6千年。
 神による統治が7千年目の千年間。


 もし、こうなれば、気持ちがいいほどすっきりしている🌟


 ちなみに、アブラハムの誕生はアダム誕生から約2千年後。
 その約2千年後にイエス・キリスト。
 またその約2千年後に神の統治の開始。

 となったら、整理整頓が好きな筆者は非常に気持ちがいい。


 が、筆者の気分と神の予定表は関係ない。

 われわれは、これらのことを頭に収めつつ、この先どうなるのかを見守るまでである。


まとめ、それから閣下へ



 サタン閣下が反抗した理由

 それは、神の采配を超えて、自分よりもあとに生まれ、生物的に劣った存在のアダムよりも、自身が格下の扱いを受けていると考えたからではないだろうか。


 そして、彼がすぐに滅ぼされなかった理由

 それは、神が親心でもって彼を愛していたから、滅ぼす前に彼が望むことを経験させたかった、ということと、ほかの神の子たちに神の統治と神からの完全な自立のどちらが良いか、実例でもって示す機会をつくり、同じ問題が持ち上がったときには、今度こそ即座に処断する論拠を得るためである。




 サタン閣下が反抗した理由をもっともだと感じた人はいるだろうか?
 ───いるだろう。

 だが、実際、神が閣下をアダムより格下に扱ったと思ったのなら、それは誤解である。
 そのことは、新約聖書のルカ15章の「放蕩息子のたとえ話」を読めばわかる。


 話を要約すると、

 ……あるところにふたりの息子がいた。
 あるとき、下の息子が父の生前に財産の分け前を要求し、下の息子はそれをもって外国で遊びにふけり、財産を溶かしてしまった。
 しまいには豚の世話人となり、豚のエサのイナゴマメすら食べられない状況に陥った。
 そこで、彼は裕福な父親のもとへ戻ろうと決意する。
 遠くから彼を見つけた父親は、ボロボロになった息子をかわいそうに思って走り寄り、温かく迎え入れた。父親は息子に良い服を着せ、子牛を屠ってパーティーをはじめた。

 それを知って気分を害したのは、ずっと家にいて真面目に働いていた兄である。

 彼は、自分は長い間父親に真面目につかえてきたのに、父は自分のために子牛どころか子ヤギ一匹くれたこともない。それなのに、なぜ遊女に溺れて身を持ち崩した弟にはそこまでするのか?
 このように言った。

 それに対する父親の返答はこうである。

子よ。おまえはいつもわたしといっしょにいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前の弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」
(ルカ15章31~32節)



 ……この話は通常、「罪深い生活をしていた人でも、その生活をやめて神のもとへ来れば、神は喜んで迎え入れてくれる」。そのようなメッセージを発信するときに引用される。

 または、ギャングだったり詐欺師だったりした人が立ちかえって神に仕えはじめたときに、その変化の大きさから目立って取り上げられたりして過大な祝福を受けているように見えることがある。それに対して、長年、真面目に神に仕えてきた人には劇的な変化が起きないため、不公平感を抱きがちだが、ずっと神とともにあったことが祝福なのである、ということを忘れないように、というメッセージでもある。

 さらには、父親が屠ったのは子牛であり、イエス・キリストの隠喩ともなっている。だから、罪を犯したことのない天に住まう天使たちには、イエス・キリストの犠牲は必要がないことを知らせるものでもある。

 神自身の命という過大な贈り物を受けたのは、神のもとで真面目に仕えつづけてきた天使たちではなく、嘘をついたり、ごまかしたり、夜の町で遊んだりするしょうもない人間たちなのだ。

 なんであんな奴らのために、神様はそこまでするの?
 自分たちにはそんな大きな贈り物はなかった。


 しかし、神様は言うのである。

「わたしといっしょにいることが一番の贈り物ではないのか?
わたしのものは全部、わたしとともにいるお前のものだ」

 

 これは、人間に向けたメッセージというより、天使に向けたメッセージに聞こえてしまうのは、筆者だけだろうか?

 さらには、究極的には、サタン閣下に対するメッセージではないかと考えている。


 アダムにはたしかに地上の支配権を与えた。
 あなたはわたしとともにいなさい。
 それが、あなたへの一番の贈り物だから。
 わたしのものは、すべてあなたのものだった。



「あなたの心は自分の美しさゆえに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を鈍らせた

 この「知恵を鈍らせた」というのは、閣下がこのような神の思惑に気づかなかったことを意味しているのではないだろうか。

 神は気づいてほしかったし、ともにいることが一番の祝福であると感じてもらいたかったのではないかと思う。

 閣下は聖書を全部読んでいる。だから、今はもう気づいているはずだ。



 サタン閣下は才能・見た目のみならず、一番の贈り物を受けていたはずの存在なのかもしれない。


 その恩寵を、閣下は「自由」と引き換えに手放したわけだ。


 ジョン・ミルトンの『失楽園』には、悪魔のひとりの台詞として、こんな一文がある。

「絢爛たる奴隷生活の平穏無事のくびきよりも、苦難に満ちた自由をこそ選ぼうではないか。」

 このとおり、閣下は神のもとでの豪華で平穏な生活を捨て、自ら苦難に満ちた自由を選んだのである。


 「自由」「フリーダム」の標語。
 この裏にひそむ意味をおわかりいただけたかと思う。

 彼らの言う「自由」とは、神の支配からの自由である。



 さて、あなたは神の支配神の支配からの自由、どちらを選ぶだろうか?
 



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