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帝国の来襲と自然災害~ヘブル人の故郷を探る⑤~

前回⇒エベルの地とヨクタンの地

 前回で、ヘブル人の祖エベルの土地は、「都市国家エブラ」の領域と重なる、地中海沿岸の都市ウガリットとユーフラテス川沿いの都市エマルのあいだの地域であると推定した。

ピンクのあたり


 そして、アブラハムがカナンに移動する前に、父であるテラたちと暮らしていた地域はメソポタミア北部のアラムの地であった。

青くなっているあたり


 隣接した地域であるため、遊牧民であるテラ一家がアラムの地にいても特段おかしいことはない。
 エジプトの西方砂漠にも、リビア出身のおじいちゃんがエジプトのオアシスに立ち寄った際に、そこの女性と結婚してエジプト人になった、と話してくれた遊牧民一家がいた。遊牧民は普通に結構な距離を移動するのである。

 だが、アブラハム時代のヘブル人の問題は、本拠地と言える場所がない、ということなのだ。

 兄弟部族であるヨクタンの子孫たちには、「ここが彼らの居住地である」と言える場所があったのに、なぜヘブル人にはそれがなくなってしまったのだろうか?

 今回はその理由を追っていく。



2度の破壊



 ヘブル人は故郷を失った。

 その理由のひとつは、紀元前3千年期の軍事国家、アッカド帝国の侵略によるものと考えられる。


 セム語系民族が興したアッカド帝国の4代目の王ナラム・シンが残した石碑には、「アルマヌムとエブラを征服した」と書かれている。

 エブラ第一王朝を破壊した犯人については、シュメール人やマリ人説、アッカド帝国最初の王シャル・キン(サルゴン)など諸説あるが、文書が残っているのは今のところナラム・シンの征服のみである。

 この破壊は紀元前3千年期に起きたものだが、詳しい年はまったくわかっていない。この時代の諸王朝の年代自体が確定していないからだ。

 エブラはこの後も再興し、何度か滅んでいる。

 つぎの第二王朝の滅亡は自然災害によるものではないかと言われている。
 フルリ人が残した文書からそう読み取れるという研究があるのと、同じ時期に急激な気候変動と猛烈な嵐により、シュメール地域周辺が甚大な被害を被っているからだ。

 その後の第三王朝になると、エブラの住民はアモリ人に変わっている。


 第二王朝と第三王朝のあいだに起きた事件のほうが、第一王朝と第二王朝との間に起きたアッカド帝国による破壊よりも、地域に与えた影響が大きかったということになる。



 このように、都市国家エブラの崩壊は2度起きている。

 1度目はアッカド帝国のナラム・シンによる征服と破壊。
 2度目は猛烈な嵐による破壊。
 
 
 このどちらかのタイミングで、アブラハムの父テラを含むエベルの子孫たちは、アラムの地へ難民として非難を余儀なくされたのではないだろうか。

 どちらかというなら、おそらく2度目の破壊のあとだろう。


 なぜならば、ナラム・シンはエブラとともにアルマヌムも征服したと記録している。これがどこのことを指しているのかはいまだ諸説ある状態だが、「アラム」と発音の上で類似があるのは明らかであり、エベルと同じくセムの子孫民族であるアラムの人々が暮らしていた地域であると推測することができるからだ。
 アラムがエブラとともに征服されたのなら、アラムに逃れても意味はない。

 それに、第一王朝の滅亡後も、民族の入れ替えは起きていないものと思われる。エブラの民がエブラを捨てたのは、第二王朝の滅亡後である。

 そのときに、エベルやテラはエブラの領域を去ったのではないだろうか。

 それに、である。


 エベルエブラの名前のあいだに関係があるかどうかは不明である。
 まったくの無関係であるかもしれない。
 エベルが都市エブラにいたかどうかも分からない。

 エブラは多くの遊牧民を抱えた交易都市であった。

 そして、テラは遊牧民であった。

 ならば、もともと都市ではなくエブラの領域に暮らす遊牧民であったとするほうが妥当ではないだろうか?


 都市国家エブラの領域には、「イブリ」と呼ばれる遊牧民がいた。

 現代ヘブライ語で「ヘブライ語」は〈עִברִית〉で「イヴリッツ」と発音するため、この「イブリ」とヘブル人は同一であるかもしれないのだ。 


 イブリに関しては、あとの記事でまた取り上げる。
 


居住地の放棄



 紀元前2千年ごろ、メソポタミアは建物が崩壊するほどの大嵐に見舞われた。

 この嵐によりメソポタミア南部の都市ウルは壊滅し、ウル第三王朝は終焉を迎える。

 同じころ、シリア北部の都市国家エブラも壊滅する。


 ウルとエブラがともに大嵐で壊滅したのなら、この時期の気候変動による破壊はかなりの広範囲に及んだようだ。
 エブラだけでなく、近隣の町や居住地も吹き飛んだことだろう。

 レンガ造りの建物が崩壊するレベルの風ならば、遊牧民のテントなぞイチコロである。住民ごと消し飛ぶだろう。
 もし生き残ったとしても、家畜の被害も甚大である。井戸も埋まったかもしれない。
 さまざまな生活インフラが破壊されたことにより、嵐の被害の少ない地域へ一時退避しようとするのも自然なことのように思える。


 テラ一家はそうして「エベルの地」である都市国家エブラの支配地域から出て、アラムの地に避難したのだろうか?

 被害を受けたあとに、移動したのだろうか?

 もちろん、その可能性はある。


 アラムは隣接した土地であるし、遊牧に適した土地もあるし、ヘブライ語とアラム語は近しい言語である。
 だから、もといた居住地が壊滅したためにヘブル人がアラムに向かうというのは、合理的な選択なのである。

 それに都市エブラの王家はアラムの都市ハッラーンの王家と仲が良く、婚姻関係を結んでいた。
 カナンに向かったはずのテラがハッラーンに留まることにしたのは、そこにヘブル人のコミュニティがあったからではないだろうか。

 
 

Harran, wikipediaより




 では、結論として、ヘブル人の数が少なくなった理由というのは、彼らの多くが嵐によって吹き飛び、死んでしまったからなのだろうか?


 そうかもしれないが、そうでないかもしれない。


 ……ん?

 というのも、アラブの伝承には気になる話が残っているからだ。

 ひょっとすると、嵐が襲ってくる直前に、エベルと彼に従う少数の人員が先に避難しており、彼らだけが命拾いしたのかもしれない。
 


 次回は、それに関するアラブの伝承を取りあげる。



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