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43歳「心の終活」

こんにちは、Rんるんです😊

皆さんは「人生のエンディング」に向き合ったことがありますか?

自分自身の終活を考えたことがある方、
家族の終活に寄り添った経験のある方、
まだ何も考えたことがない方——
きっと、さまざまだと思います。

今年の10月から、義実家の敷地内同居の中で、70歳になった実母との生活が始まりました。

思いがけず進行性の乳がんが見つかったためです。

母は今年の春(70歳を前にして)から、異業種の新しい職場で働き始めるほど、見た目も体力も若く、これまで大きな病気とは無縁の人生を歩んできました。
そんな母ががんだと聞いても、私は不思議と取り乱すことはありませんでした。

それは、母も同じでした。

かつて同じ新興宗教に深く関わっていた私たちですが、そこから離れ、

自分の生き方や人生の意味を共に見つめ直してきたことで、

どんな出来事も “ 全肯定 ” できるほどに成長していたからです(笑)

その結果、「進行性のがん」でさえも、
「人生のエンディングに、なかなか面白い設定をぶっこんできたね」と、二人で笑い合えるほどに。

母は長年、看護師として働いてきた人です。
病状の進行も、最期を迎えるまでの流れも、誰よりもよく理解しています。

それでもなお、母は自分自身を俯瞰しながら、がん患者であることすら楽しんでいるのです。

「わあ〜私、がん患者になったわ〜」
「髪の毛が抜けるってこういう感じなんだね」
「先生の点滴、その血管じゃないんだよな~(本人の前ではいいませんが)」などなど。

あまりに明るいので、
抗がん剤治療の注射中に
「〇〇さん、笑わせないでください、手が震えます」と言われるほどです。

幸い、母の進行性のがんは 特効薬が開発されているタイプ で、抗がん剤でかなり小さくできるとのこと。

その後に手術で摘出し、経過を見られると聞いて、正直ほっとしました。

主治医の先生には「何もしなければあっという間ですよ〜」なんて言われましたが(笑)

がん宣告の直後、すぐに思い浮かんだのは四国に住む母の兄弟のこと。

母の実家には 母の弟が一人暮らし。隣町には 母の兄が住んでいます。
私たちは中部地方なので、簡単に行き来できる距離ではありません。

抗がん剤治療が始まる前に一度会っておこうということになり、急遽、旅行を兼ねて愛媛へ向かいました。

途中、大阪に住む私の兄家族(母からすれば息子)のところに寄り、みんなで食事。髪が抜ける前に写真を撮ろうと記念撮影もしました。

私が14歳のとき、父は44歳で急逝しました。
そのとき私は、泣きじゃくる兄の姿が心配で仕方ありませんでした。
なので、今回も、母自身よりも兄のことが気になってしまったのです。
男性って、優しくて繊細で、女性より心配性なんだなと感じることがよくあります。
先日、兄がひとり、母に会いに来てくれましたが、思いのほか元気な母に、いい意味で拍子抜けしていました(笑)

そして、愛媛に着くと、母だけが実家へ向かいました。

私は、幼い頃とても可愛がってくれた叔父に会えるのを楽しみにしていましたが、「弱った姿を見せたくない」と、会うことは叶いませんでした。

結局、母の兄弟3人で話し合いが行われ、
今後は連絡を取り合わないという結論になったそうです。

母の弟はガラケー、兄はLINEを使っておらず、気軽に連絡を取り合う手段もないことも理由のひとつ。

「お互いに何かあっても連絡はいらない。
子どもたちに気を遣わせるのはやめよう」


そんな思いがあったようです。

もしものことがあれば、すべてが終わったあとに報告するだけにしましょう、と。


四国の親戚の家に行くことは、もうないでしょう。少し寂しいですが、母の終活とともに、私たちも心の整理をする時期に入ったのだと感じています。

年齢を重ねると、こうして人生のステージが静かに変わっていくのですね。

43歳の私自身も今年は体調不良が続き、
原因不明のしびれや震え、動悸・不整脈に悩まされ、脳のMRIや精密検査を受けましたが、特に異常はありませんでした。(今は良くなりましたので心配ご無用です。)

心と体に向き合う一年だったからこそ、
「死」について深く考える時間
にもなりました。

その結果、自分に対しても誰に対しても死を恐れる気持ちが薄れ、いつどんな形で人生が終わりを迎えても受け入れられる——そんな静かな覚悟のようなものが芽生えました。

人は「生まれる前に、自分がこの世を去る時期まで決めてきている」と思っています。そして、自分の人生を全うしたとき、自然と肉体を手放すのだと受け止めています。

「人生は計画通りに進んでいる」と信じられるようになったことで、たとえ子どもが小さくても、障がいがあったとしても、
「彼らには彼らの人生設定がある」と思えるようになりました。彼らも生まれながらにして完全な存在なのですから。
だからこそ、必要以上に未来を恐れず、今を大切に生きていこうと思えます。

今もまだ少し風邪をこじらせていますが、
これまで体に溜め込んできたネガティブなエネルギーを手放しながら、2025年を終えていくのだと思っています。

生きる意味とは何か。

それは、自分の中心に立ち、
人生のあらゆる体験をそのまま味わい尽くすこと。善悪の判断を超えて、ただ気づき、ただ感じる。

内側を見つめ、寄り添い続けるうちに、意識は自然と澄んでいきます。

何かを成し遂げなくても、
何者かにならなくても、
ただ存在しているだけで “ 完全 ”

という感覚。

生き方を変えることに焦らず、
まずは自分の “あり方” を整えていきたい。
その先に、自然と自分らしい生き方が見えてくると感じています。


まあ、言ってもそんなに向上心

   ……ないのですがね(笑)


自分に甘く、甘く、はい、甘くです♪


ちょっとだけ、スピっている自分に酔いしれてみました♡

けれど、死を意識すると、
「どう生きるか」よりも
「どんな自分でいたいか」が大事になる
のは本当だと思います。

皆さんは、自分のエンディングに向き合ったことはありますか?

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

ゆるく、甘く、自分らしく——
それぞれのペースで、これからの時間を大切に過ごしていけますように。

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