扉を開ける人と、心を灯す人
ー ソウルメイトと私 ー
2026年5月現在、私は丘の上の公園に立っている。
目をゆっくり閉じて深呼吸をすると、
遠い過去から吹いてきた風が、静かに私の心に届いた。
ソウルメイトという言葉を、私は長いあいだ、少し遠いもののように感じていた。
どこか神秘的で、
どこか運命的で、
どこか、物語の中だけにある言葉のように思っていた。
生まれる前から決まっていた人。
出会った瞬間に分かる人。
魂が震える人。
そんなふうに語られることもある。
けれど、人生をある程度歩いてくると、
少しずつ分かってくることがある。
本当に深い縁は、
最初から劇的な顔をして現れるわけではない。
雷に打たれるように出会うこともあれば、
誰かの紹介の中に、何気なく紛れていることもある。
一目で分かることもあれば、
何年も経ってから、
「ああ、あの出会いは、そういう意味だったのか」
と、静かに胸の奥でほどけていくこともある。
私にとって、
ねもとまことの出会いは、
まさにそういうものだった。
それは、恋愛という概念ではない。
仕事仲間という言葉でも足りない。
創作パートナーという表現でも、まだ浅い。
もっと深いところで、
互いの人生にあった傷や孤独や役割が、
長い時間をかけて、ひとつの物語へと結び直されていくような出会いだった。
ソウルメイトとは、
似ている人のことではないのかもしれない。
同じ性格の人でも、
同じ考え方の人でも、
いつも同じ方向だけを見ている人でもない。
むしろ、
自分とはまったく違う方法で、
同じ光を見ている人。
自分にはできない役割を、
まるで昔から決まっていたかのように、
自然に引き受けてくれる人。
そして、
こちらが扉を開けた時、
その向こう側に置くべきぬくもりを、
そっと手渡してくれる人。
それが、私にとってのソウルメイトなのだと思う。
* * *
私は、外へ出ていく人間だった。
扉を叩く。
名刺を差し出す。
初対面の相手に話しかける。
まだ誰も見ていない可能性を見つけ、
それを仕事に変えていく。
若い頃から、
私はそうやって生きてきた。
けれど私は、
最初から扉を叩ける人間だったわけではない。
むしろ、私の人生の始まりは、
扉の内側に安心がなかったところから始まっている。
私がまだ幼い頃だった。
三歳くらいの時だったと思う。
父は酒に酔い、
家の中で荒れ狂い、
母に暴力を振るうことがあった。
私はそのたびに、
小さな足で交番へ走った。
何度か、そういう記憶がある。
幼い子どもにとって、
家とは本来、守られる場所であるはずだ。
泣いてもいい場所。
眠ってもいい場所。
安心して戻れる場所。
けれど、私の人生の最初の記憶の中で、
家は、時に嵐のような場所だった。
そして私は、
その嵐の中から外へ走った。
助けを求めるために。
母を守るために。
自分がどうすればいいのかも分からないまま、
ただ走った。
いま振り返ると、
あの時からすでに、
私の人生は「扉の外」へ向かっていたのかもしれない。
やがて父は家を出て行った。
時計の針だけが、なすすべもなく進んでいった。
ある日、母は私と兄を連れて、
近くの海へ行った。
母は悲しそうに、
私たちの手を握っていた。
あの時、母は何を考えていたのだろう。
このまま生きていても。
いっそのこと、虹の向こうへ行こうか。
そんな言葉にならない気配が、
幼い私の中に、今も残っている。
人生には、
あとになってから意味が立ち上がってくる記憶がある。
その時には分からない。
けれど何十年も経って、
静かな歴史のように振り返ると、
そこには人生の謎がいくつも隠されていることに気づく。
私は、幼い頃から、
母の仕事帰りを待ちながら風呂を焚いていた。
松ぼっくりと木の枝を拾いに行き、
火をつけ、
炭を入れる。
毎日を生き延びるために必要な日課だった。
でも、不思議なことに、
それは少しずつ楽しい日課にもなっていった。
火がつく。
煙が立つ。
湯が温まる。
母が帰ってくる。
母が少しでもほっとできるように。
幼い私は、
自分にできることを探していたのだと思う。
次の仕事は、羽釜でご飯を炊くことだった。
噴き上がる湯気。
蓋を上げるタイミング。
炊き加減によってできるおこげ。
最初は難しかった。
でも、少しずつ分かってくる。
今だ。
ここだ。
この瞬間だ。
おこげがうまくできると、
それが楽しみになった。
さらに私は、
キャベツを切るようになった。
プラスチックの皿に入れる日課。
最初はうまく切れなかった。
包丁で手を切ったこともある。
それでも、だんだん上手くなっていった。
母の笑顔を見るために、
私は毎日頑張った。
思えば、
私の原点にはいつも、
「誰かのために整える」
という感覚があった。
風呂を焚く。
ご飯を炊く。
キャベツを切る。
それは、
幼い子どもの家事だったかもしれない。
けれど私にとっては、
誰かが今日を生き延びるための小さなプロデュースだった。
火を扱い、
時間を読み、
場を整え、
相手の帰りを待つ。
営業や企画や演出の前に、
私はすでに、
誰かのために場を整えることを覚えていたのだと思う。
そんな日々の中で、
音楽が私に与えられた。
ある日、東京から来た叔母が、
私が紙の鍵盤を弾いている姿を見て、
「月謝を出すからピアノを習ったらどうかな?」
と言ってくれた。
そして、毎週木曜日のレッスンが、
私にとってキラキラした日に変わった。
家の中の不安とは違う輝かしい世界。
音がある世界。
秩序がある世界。
自分の指先から美しいものが生まれる世界。
音楽は、
私にとって最初の救いだった。
十歳の時、
私は地元の音楽コンクールで、
ベートーベンの『運命』を弾き、
最優秀賞をいただいた。
今思えば、
あの曲を選んだこと自体が、
どこか象徴的だったのかもしれない。
運命。
人生に押し寄せてくるもの。
自分では選べないもの。
けれど、それに飲み込まれるのではなく、
自分の音で向き合っていくもの。
私はまだ子どもだった。
けれど、指先はきっと、
私の中にあった言葉にならない感情を知っていた。
中学に入ると、吹奏楽でトランペットを吹いた。
高校でも、噂を聞いた先生や先輩たちに強く誘われ、
六年間、トランペッターとして青春時代を過ごした。
トランペットは、
息を吹き込まなければ音が出ない。
ただ触れるだけでは鳴らない。
胸の奥から息を出し、
唇を震わせ、
空気を音に変える。
私は、そこにも人生を学んだ。
苦しさを音に変えること。
息を止めずに前へ出すこと。
自分の内側にあるものを、
外の世界へ響かせること。
それは後の私の営業にも、
創作にも、
講話にもつながっていった。
私は、言葉で営業しているように見えて、
本当はずっと、息を吹き込んできたのかもしれない。
相手の前に立ち、
まだ形のない未来に、
音を与えるように。
大学生になってからは、
アルバイト三昧だった。
卒業前には、
生まれ育ったトタン屋根のボロ屋を買い取った。
普通なら、
もっと楽な道もあったのかもしれない。
けれど私は、
自分の人生を自分の手で立て直したかった。
その家は、
貧しさや痛みの記憶でもあった。
けれど同時に、
母と兄と自分が生き延びてきた証でもあった。
卒業後は大手企業に勤務が決まり、
残業続きの毎日が始まった。
私は猪突猛進だった。
やると決めたら止まらない。
百名いる営業所の環境を大きく変えたこともあった。
今思えば、
若さゆえの強さもあったし、
未熟さもあった。
けれど私は、
止まっている空気を動かしたかった。
淀んでいるものを変えたかった。
誰かが変えてくれるのを待つのではなく、
自分で動かしたかった。
在職三年目、
海外への一人旅が人生観を変えた。
世界は広い。
自分の見ている現実だけがすべてではない。
知らない国があり、
知らない価値観があり、
知らない生き方がある。
その旅のあと、
私は少しずつ、
自分の人生の帆の向きを変えていくことになる。
三年後、家を建て替え、
会社を退職した。
そして子ども向けの英会話スクールに入り、
夏の全国セールスコンテストで一位を取った。
私は、本格的な営業という世界に出会った。
営業は、ただ売る仕事ではない。
人と出会い、
不安を聞き、
未来を見せ、
相手が一歩を踏み出せるようにする仕事。
もちろん、
最初からそう分かっていたわけではない。
断られた。
何度も断られた。
冷たくされた。
必要ないと言われた。
名刺を受け取ってもらえないこともあった。
けれど、私はどこかで知っていた。
扉は、最初から開いているわけではない。
家の中に安心がなかった幼い頃、
私は交番へ走った。
母のために風呂を焚いた。
ご飯を炊いた。
キャベツを切った。
音楽で自分を保った。
トランペットで息を音に変えた。
だから私は、
閉じている扉の前で止まることができなかった。
扉の向こうに、
誰かの不安があるかもしれない。
誰かの希望があるかもしれない。
誰かがまだ気づいていない未来があるかもしれない。
そう思うと、
もう一度、ノックしたくなった。
それから私は、
ソングバードコーポレーションを設立した。
南は沖縄から北は青森まで、
全国の婚礼企業を飛び込みで開拓していった。
アポイントがない日が殆どだった。
緊張する日もあった。
疲れ果てる日もあった。
帰りの道で、ひとり肩を落とす日もあった。
けれど、
人の心が動く瞬間を見てしまった私は、
もう営業をただの販売とは思えなかった。
披露宴会場で光が灯る。
音楽が流れる。
場の空気が変わる。
人々が静かになり、
やがて拍手が起こる。
あの瞬間、
私は思った。
事業は、契約書から始まるのではない。
誰かの心が震えた瞬間から始まる。
私の人生は、
火を焚くことから始まり、
音を鳴らすことを覚え、
扉を叩く人になり、
やがて誰かの未来に光を置く仕事へとつながっていった。
* * *
そして、そんな私の人生の先に、
ねもとまこが現れる。
まこは、私とは真逆の人だった。
私は外へ向かう。
まこは内側へ向かう。
私は動く。
まこは描く。
私は扉を叩く。
まこは心の中に小さな部屋をつくる。
私は言葉で未来を見せる。
まこは絵で安心を灯す。
まこは、福岡県宗像市で生まれた。
幼い頃から絵を描くことが好きで、
けれど人前に出るのが得意だったわけではない。
小学校時代は極度の引っ込み思案で、
授業中に先生にあてられるのではないかと、
いつもびくびくしていた。
友達も少なく、
隅っこで一人物静かに過ごしていた。
中学、高校と、
彼女の中には言葉にならない孤独があった。
自分を好きになれない時間。
学校へ行きたくない日。
自分には何もできないのではないかと思う心。
けれど彼女は、絵を描くことだけは手放さなかった。
高校卒業間近、
ダイレクトメールを大手スーパーに送り、
専属POPアーティストとして採用された。
朝から閉店まで、
何枚もの売り出しPOPを描く日々。
それでも、
彼女の心の奥には、
POP描きではなく、
イラストレーターとして生きたいという願いがあった。
スーパーを辞め、
フリーで活動しようとした。
でも実績もない。
営業もできない。
営業の方法も分からない。
印刷会社、デザイン事務所、花屋。
生活のために働きながら、
なかなか思うようには進まなかった。
花屋で一生懸命に花を挿した時、
先輩が無言でそれを抜き取り、
やり直したことがあった。
その時、まこはきっと思った。
ああ、私って何をやってもだめなのかな。
そういう感覚を知っている人の絵は、
人を責めない。
傷ついたことがある人の絵は、
傷ついた人のそばに座ることができる。
まこの絵は、
まさにそうだった。
彼女が描いた仲間たちには、
「はーとっと」という名前がついた。
Heart がホッとする Hot な仲間たち。
この名前を聞くだけで、
彼女の祈りが分かる。
大きな成功を叫ぶ絵ではない。
誰かを勝たせる絵でもない。
疲れた人が、
ほんの少し息をつける絵。
自分を責めている人が、
ほんの少し自分を許せる絵。
心の中で泣いている人が、
涙を拭く前に、泣いてもいいんだよと思える絵。
まこは、
そんな絵を描いていた。
博多駅で作品展を開いた。
彼女の絵を見た出版社の社長が、
「いつか作品集を出版したいですね」
と言ってくれた。
宮地嶽神社で彼女の絵を見た大井さんは、
鳥肌が立つほど感動し、
絵を購入したいと連絡してきた。
大井さんは、
まこにとって大切な友となった。
実は大井さんは、
私が以前、とある意識探求の研修で出会った受講生でもあった。
その研修は、
『死後体験』などの著作で知られる坂本政道氏と仕事をした際に、
阿蘇で開かれたものだった。
人生には、
その時は意味が分からなくても、
あとから静かに役割を持ち始める出会いがある。
大井さんとの出会いも、
まさにそうだった。
阿蘇で出会った一人の女性が、
時を経て、
まこの絵と私をつなぐ橋になった。
私はそのことを思うたび、
縁というものは、
直線ではなく、
遠回りをしながら必要な場所へ戻ってくるのだと感じる。
まこが、
「人は何のために生きているんですかね」
と問いかけた時、
大井さんは言った。
人は、魂を成長させるために生きている。
愛を学ぶためには、悲しいこと、辛いことも必要なのよ。
意味のないことなんて一つもないのよ。
みんな、みんな、愛の存在なの。
まこは、その言葉に深くうなずいた。
彼女の絵が、
少しずつ人に届き始めていた。
けれど、まだ大きく外へ出るには、
何かが必要だった。
そこに、私が現れる。
私は当時、
福岡市内の結婚式場で、
新しいペーパーアイテムを導入したいと考えていた。
婚礼という世界に、
もっと温かいイラストを入れたかった。
結婚式は、
ただ華やかであればいいわけではない。
新郎新婦の人生があり、
家族の想いがあり、
友人との記憶があり、
これまでの歩みと、これからの未来がある。
そこに必要なのは、
単なるデザインではなかった。
温度だった。
招待状や席次表を手にした時、
その人たちの物語がにじむこと。
受け取った人の心が、
ふっとやわらぐこと。
その小さな紙が、
人生の節目の記憶になること。
そういうものを探していた。
久しぶりに再会した大井さんに、
私は尋ねた。
「身近に、可愛いイラストを描ける方はいませんか?」
大井さんは、
まこのポストカードを見せてくれた。
私はそれを見た瞬間、
思わず言った。
「うわっ、可愛いですね」
それは、ただ可愛いという意味ではなかった。
やさしい。
温かい。
押しつけない。
急がせない。
人の心を責めていない。
この絵なら、
結婚式の場に合う。
新郎新婦の人生の門出に、
そっと寄り添える。
そう感じた。
* * *
そして、2007年の夏。
大井さんの紹介で、
私はまこと出会った。
「レンさん、イラストレーターのまこちゃんです」
「はじめまして、まこと申します」
目の前にいたまこは、
とても控えめだった。
企業や営業の世界に慣れているようには見えなかった。
自分を大きく見せる人ではない。
売り込む人でもない。
ただ、自分の絵を大切に抱え、
少し緊張しながらそこにいる人だった。
私は尋ねた。
「このイラストは何で描いているんですか?」
「絵具とパステルで描いています」
なるほど、と思った。
だから温かいのだ。
線が強すぎない。
色が押しつけない。
余白に呼吸がある。
私はすぐに話した。
「弊社が取り引きしているホテルオークラや、いろんな結婚式場に、
案内状や席次表のイラストとして、まこさんの絵を採用したいと思っています」
まこは、とても喜んだ。
でもその喜び方も、
派手ではなかった。
胸の中に小さな灯りがともったような、
そんな喜び方だった。
大井さんは言った。
「まこちゃんの絵はね、とっても癒されて可愛いし、
新郎新婦さんに受けると思うわ」
その言葉を聞きながら、
私は思っていた。
これは単なる商品企画ではない。
この人の絵は、
必要としている場所へ届けば、
必ず誰かの心をほどく。
その時はまだ、
私もまこも分かっていなかった。
この出会いが、
その後どれほど長く続く共創の始まりになるのかを。
まこにとって、
私との出会いは、
少し不思議だったかもしれない。
私は、彼女とはまったく違う種類の人間だった。
よく話す。
すぐ動く。
企画を立てる。
人に会う。
扉を叩く。
可能性を見つけると、もう走り出している。
まこは慎重で、
不安を感じやすく、
自分の作品を強く売り込むことが苦手だった。
彼女は、描く人だった。
私は、届ける人だった。
彼女は、心の内側に世界を持っていた。
私は、その世界へ人が入ってこられるように、
外側に道をつくる人だった。
性格は、真逆だった。
けれど、
目指しているものは同じだった。
誰かを笑顔にしたい。
誰かの心を軽くしたい。
自分たちの表現で、
誰かの人生に小さな光を置きたい。
この一点だけは、
不思議なほど同じだった。
だからこそ、二人は組み合わさったのだと思う。
似ているからではない。
真逆だからこそ、
一つの形になった。
私は扉を開ける。
まこは、その向こう側に絵を灯す。
まこの絵が結婚式場の席次表や案内状に使われるようになると、
お客様から喜びの声が届くようになった。
「すごくかわいいです」
「彼と二人でニヤニヤしています」
「このネコが大好きです」
「馴れ初めの絵本を作ってほしい」
まこは、その声を聞くたびに、
幽かな未来への希望を感じていた。
自分の絵が、
誰かの結婚式に使われている。
自分の描いたキャラクターが、
新郎新婦の物語を彩っている。
誰かの人生の節目に、
自分の絵がそっと置かれている。
それは、彼女にとって、
どれほど大きな励ましだっただろう。
私にとっても、
それは嬉しいことだった。
なぜなら私は、
良い作品があるだけでは社会に届かないことを知っていたからだ。
どれほど温かい絵でも、
それを必要な場所へ運ぶ人がいなければ、
誰にも見つけてもらえないことがある。
逆に、
営業力だけでは人の心は満たせない。
どれほど上手に扉を開いても、
その先に置くべき本物のぬくもりがなければ、
関係は長く続かない。
だから、
私は扉を開ける。
まこは、その先にやさしい絵を置く。
この役割分担は、
誰かに決められたものではなかった。
自然にそうなった。
そして、自然にそうなる関係こそ、
深い縁なのだと思う。
それから時間が流れた。
私は福岡での事業が思うように伸びず、
やがて上京した。
東京での暮らしも、仕事も、
決して簡単ではなかった。
紆余曲折があり、
苦しい時期もあった。
まこもまた、
福岡で絵を描き続けながら、
子育てや日々の生活の中で、
自分の表現と向き合っていた。
7年が過ぎた。
2014年2月4日。
私はふと、福岡にいた頃を思い出した。
まこちゃんは元気にしているだろうか。
そう思い、
久しぶりにメールを送った。
大変ご無沙汰していました。
レンです。
年賀状を手にしながら、
娘さんが大きくなったことに触れ、
自分も東京で少しずつ企画を立てられるようになってきたことを伝えた。
そして私は、
まこに提案した。
デジタル書籍か文庫本を、
二人で共同制作しませんか。
今思えば、
ずいぶん唐突な連絡だったと思う。
でも、
私の中では自然だった。
まこの絵は、
もっと外へ出るべきだ。
宗像という土地に育まれたやさしさ。
孤独や不安を知っているからこそ描ける温度。
人を責めずに励ます絵。
それは、
もっとたくさんの人に届くべきだと思っていた。
そして再会した。
宗像のアトリエで会ったまこは、
昔と変わらないやさしさを持っていた。
私は作品を見回しながら思った。
やっぱりいい。
この世界観は、
もっと広がる。
色んな世界に通用する。
まこは驚きながらも、
嬉しそうだった。
その日、
偶然のようにお客様が訪ねてきた。
赤ちゃんカレンダーのイラスト依頼だった。
まこが自然に仕事を受け、
お客様が彼女のファンだと話す姿を見て、
私は静かに確信した。
この人の絵は、
ちゃんと誰かに届いている。
ただ、
もっと大きく届けるには、
もう一段、外へ出る必要がある。
私は言った。
「まこちゃん、東京ビッグサイトに出店してみませんか?」
彼女は驚いた。
東京?
ビッグサイト?
私が?
方向音痴だから行けるかな。
お金もかかる。
不安もある。
でも、その奥に、
小さなワクワクが見えた。
私はそのワクワクを見逃さなかった。
人が動く時、
最初に出てくるのは自信ではない。
小さな期待だ。
不安の隙間から、
ほんの少し顔を出す期待。
その期待をつぶさずに育てることが、
プロデュースの始まりなのだと思う。
* * *
そして2015年7月。
まこは福岡から東京へ来て、
東京ビッグサイトのクリエイターEXPOに出店した。
彼女にとっては大きな挑戦だった。
慣れない東京。
大きな会場。
全国から集まるクリエイター。
企業担当者。
名刺交換。
資料配布。
商談。
まこ一人では、
きっと心細かったと思う。
けれど私は、
その隣にいた。
来場者が立ち止まる。
まこが少し緊張しながら挨拶する。
私は横から入る。
「ねもとまこは福岡から参りました」
「このタッチはお子様向けにも合います」
「東京在住の私が対応できます」
「資料をお入れする袋を差し上げますね」
私は自然に動いていた。
営業というより、
まこの絵が届くための空気を整えていた。
まこはその姿を見て、
驚いていた。
「すごい」
そう思ったらしい。
私は言った。
「職人には、それを勧める人が必要不可欠ですからね」
この言葉は、
私たち二人の関係をとてもよく表している。
まこは職人だった。
絵を描く人。
心をこめる人。
自分の内側から、
やさしい世界を生み出す人。
でも、職人は自分の価値をうまく説明できないことがある。
自分の作品を売り込むことに抵抗がある。
自分を大きく見せるのが苦手。
評価される前に、傷つくことを恐れてしまう。
だからこそ、
それを勧める人が必要になる。
その人の価値を見抜き、
必要な場所へ連れていき、
相手に伝わる言葉に変換する人。
私にとって、
まこは守るべき才能だった。
そしてまこにとって、
私は外へ連れ出す風のような存在だったのかもしれない。
それは上下関係ではない。
優劣でもない。
役割の違いだった。
扉を開ける人と、
心を灯す人。
この二人がそろうことで、
作品は社会へ出ていく。
東京ビッグサイトでの出展は、
一度きりの挑戦では終わらなかった。
二度目の出展の時、
私たちはまた一人、
大切な人と出会うことになる。
北海道教育大学の石塚博規教授だった。
あの広い会場の中で、
たくさんの人が行き交う中で、
まこの絵の前に足を止めてくださった。
一枚の絵が、
誰かの足を止める。
その一瞬は、
いつも不思議だ。
声を張り上げたわけでもない。
派手な看板があったわけでもない。
ただ、そこに絵があり、
その絵を描いた人の人生があり、
それを必要としている誰かが、
静かに立ち止まる。
石塚教授との出会いは、
私たちにとって、
絵本の役割をもう一度見つめ直す時間になった。
絵本は、
ただ読むものではない。
子どもが、
知らない世界に入っていくための扉にもなる。
先生が、
子どもたちと同じ物語を見つめるための窓にもなる。
そして時には、
言葉にまだ慣れていない子どもたちが、
絵の力を借りて、
新しい言葉と出会うための小さな橋にもなる。
その後、私たちは、
小学校英語学習用のオリジナル教材、
メディアミックス絵本『MIX BOOK』に関わることになる。
『Jessy and Goobie’s Mysterious Adventures』
私が物語をつくり、
まこが絵を描き、
石塚教授が教育のまなざしで見守ってくださった。
その形は、
まるで私たちの出会いそのもののようだった。
誰かが扉を開け、
誰かがそこに光を置き、
また別の誰かが、
その光を子どもたちの教室へ運んでいく。
結婚式場で始まった小さな絵の旅は、
いつの間にか、
子どもたちの英語の時間へと届いていた。
人生は、本当に不思議だと思う。
一枚のポストカードから始まった出会いが、
ビッグサイトの会場を越え、
大学の先生との縁につながり、
やがて教室の中で、
子どもたちの学びの一部になっていく。
私たちはただ、
その時その時に現れた扉を、
一つずつ開けてきただけなのかもしれない。
けれど、開けた扉の向こうにはいつも、
思いがけない光が待っていた。
やがて、私たちの共創は、
ブライダルのペーパーアイテムから、
教育へ、絵本へ、地域文化へ、
そして一つの自主映画へと広がっていった。
小学校外国語教材の世界にも、
まこのイラストは届いていった。
そして2020年には、
メッセージ絵本『しあわせのかくれんぼ』を世に出した。
そのやさしい世界は、
少しずつ読者の心に広がっていった。
彼女の絵は、
「陽だまりのような、ほっこり笑顔になる絵とことば」
として、
子どもたち、大人たち、学校、地域、さまざまな場所に届いていった。
私は私で、
絵本を書き、音楽をつくり、自主映画を撮りながら、
まだ形になっていない人や企画の可能性に、
言葉と道筋を与える仕事を続けていった。
そして、
ドキュメンタリー作品『出会いは奇跡』を制作した。
この自主映画は、
まこの幼少期から上京までの下積み時代を、
そのまま再現したノンフィクションだった。
なぜそこまでして、
まこの人生を映画にしたかったのか。
それは、
彼女の人生が、
ただの成功物語ではなかったからだ。
むしろ、
自信のなさ、
引っ込み思案、
孤独、
迷い、
生活のためのアルバイト、
思うように進めない苦しさ、
それでも描き続けた日々。
そこにこそ、
誰かの希望になるものがあると思ったからだ。
人は、輝いている姿だけに励まされるわけではない。
むしろ、
立ち止まった時間。
うまくいかなかった日々。
自分を好きになれなかった夜。
それでも、
小さな灯りを消さずに生きてきた人の物語に、
深く救われることがある。
まこの物語は、
そういう物語だった。
そして私は、
その物語を社会に届けたかった。
なぜなら私は、
まこの人生の中に、
たくさんの人が自分自身を見つけると思ったからだ。
自信がない人。
自分の才能を信じきれない人。
表に出るのが怖い人。
けれど本当は、
何かを表現したい人。
そういう人たちに、
まこの存在は静かに言う。
大丈夫。
あなたの歩幅でいい。
あなたの中にある小さな光は、
ちゃんと誰かに届くから。
一方で、
私の物語は、
また別の角度から人を励ますのかもしれない。
幼い頃、
家の中に安心がなかった。
それでも私は、
火を焚いた。
ご飯を炊いた。
キャベツを切った。
音楽を弾いた。
トランペットを吹いた。
働いた。
営業した。
断られた。
また扉を叩いた。
何度も逃げたかった。
何度も折れそうになった。
何度も自分の人生の意味を探した。
それでも、
私は動くことをやめなかった。
私の中にはいつも、
小さな火があった。
母の帰りを待ちながら焚いた、
あの風呂の火。
それは形を変えて、
音楽になり、
営業になり、
企画になり、
自主映画になり、
絵本になり、
誰かの人生に光を置く仕事になった。
私は、
扉を叩き続ける人になった。
まこは、
絵を描き続ける人になった。
私は、
動くことで自分を生かした。
まこは、
描くことで自分を守った。
私は、
外の世界に道をつくった。
まこは、
内側の世界に陽だまりをつくった。
そして二人は出会った。
* * *
ここが、
私たちの物語のいちばん不思議なところだ。
私の幼い頃の痛みも、
まこの幼い頃の孤独も、
一見すると別々のものだった。
私が交番へ走った記憶と、
まこが教室の隅で息をひそめていた時間。
私が母のために風呂を焚いた日々と、
まこが自分を励ますように絵を描いた夜。
私が全国の扉を叩いた年月と、
まこが小さな机で色を重ねた年月。
それらはずっと、
別々の川のように流れていた。
けれど、
大井さんという橋を通って、
その二つの川は出会った。
そして出会った瞬間から、
互いの過去が少しずつ意味を変え始めた。
私が幼い頃に焚いた火は、
まこの絵を外へ連れていくための力になった。
まこが一人で描き続けた絵は、
私が開けた扉の向こうで、
誰かの心を包む光になった。
私が営業で流した涙は、
まこの価値を守る言葉になった。
まこが自信を失いながらも描いた時間は、
私の仕事に、やさしさという芯を与えてくれた。
私たちは、
互いを救うためだけに出会ったのではない。
それぞれが抱えてきた傷を、
誰かを救う形に変えるために出会ったのだ。
このことに気づいた時、
私は、ソウルメイトという言葉の意味を、
少しだけ深く受け取ることができた。
ソウルメイトとは、
ただ気が合う人のことではない。
優しい言葉だけを交わす人でもない。
いつも同じ景色を見ている人でもない。
むしろ、
違う痛みを抱えてきた二人が、
その痛みを持ち寄った時、
誰かの光に変えられる関係のことなのだと思う。
私たちは、本当に真逆だった。
まこは、静かな光。
私は、動く光。
まこは、心の奥に灯るランプ。
私は、扉の外へ向かうサーチライト。
まこは、人を安心させる。
私は、人を前へ動かす。
まこは、傷ついた心を包む。
私は、止まっている現実を動かす。
まこは、言葉にならない気持ちを絵にする。
私は、まだ見えていない未来を企画にする。
真逆なのに、
向いている先は同じだった。
誰かの人生に光を置くこと。
それが、私たちの共通点だった。
もちろん、
きれいなことばかりではなかった。
長く一緒に何かをつくっていれば、
意見が違うこともある。
タイミングが合わないこともある。
私の勢いが強すぎて、
まこが戸惑うこともあっただろう。
まこの慎重さに、
私がもどかしさを感じることもあったかもしれない。
真逆の二人が一緒にいるということは、
いつも美しい調和だけではない。
時には、
風と灯りがぶつかる。
風が強すぎれば灯りは揺れる。
灯りが弱すぎれば、風はどこへ向かえばいいのか分からなくなる。
でも、
その揺れの中でしか生まれないものがある。
完全に同じ人間同士では、
見えない景色がある。
違うからこそ、
相手の世界を借りることができる。
違うからこそ、
自分だけでは届かなかった場所へ行ける。
違うからこそ、
一つの作品が、
一人では出せない深さを持つ。
私たちは、
そうやって進んできたのだと思う。
宗像のやわらかな風の中で育った絵と、
全国の現場を歩いて鍛えられた営業。
傷つきやすい心から生まれた色と、
何度断られても扉を叩く言葉。
内側に向かう祈りと、
外側へ広げる行動。
その二つが出会った時、
物語は動き始めた。
出会いは奇跡。
そう言うと、
少し大げさに聞こえるかもしれない。
けれど私は、
本当にそう思っている。
なぜなら、
あの日、大井さんがまこのポストカードを持っていなければ、
私たちは出会っていなかったかもしれない。
私があの時、
結婚式場のペーパーアイテムに温かいイラストを探していなければ、
まこの絵は別の道を歩いていたかもしれない。
まこが描くことをやめていたら、
大井さんの心にも届かなかった。
大井さんが感動していなければ、
私に紹介することもなかった。
一つでも欠けていたら、
今の私たちはなかった。
人生の出会いは、
たくさんの小さな選択と、
見えないタイミングの重なりでできている。
だから私は、
それを偶然とは呼びたくない。
奇跡とは、
空から突然降ってくるものではないのかもしれない。
誰かが諦めずに描き続けたこと。
誰かがその絵に感動したこと。
誰かが紹介しようと思ったこと。
誰かがその可能性を信じたこと。
そうした小さな心の動きが重なった時、
人はそれを、あとから奇跡と呼ぶのだと思う。
私とまこの出会いも、
きっとそうだった。
私は今でも、
まこの絵を見ると、
不思議な感覚になる。
うまく説明できないけれど、
そこには彼女の人生そのものがある。
幼い頃の孤独。
学校へ行きたくなかった日。
絵だけが心の拠り所だった時間。
自分なんてだめだと思った夜。
それでも描き続けた手。
誰かに喜ばれて、少しだけ自分を信じられた瞬間。
それらが全部、
色の奥にいる。
だから人は、
まこの絵を見ると癒されるのだと思う。
ただ可愛いからではない。
その可愛さの奥に、
痛みを知っているやさしさがあるからだ。
そして私は、
そのやさしさを社会へ届けたいと、
何度も思ってきた。
彼女の絵は、
静かにしている。
自分から大声で叫ばない。
だからこそ、
誰かが運ばなければならない。
私はその役割を、
どこかで引き受けてきたのだと思う。
それは義務ではなかった。
自然にそうしたかった。
なぜなら、
まこの絵が誰かに届いた時、
その人の心がやわらぐことを知っていたからだ。
そして、それを見た時、
私自身も救われていたからだ。
誰かの才能を社会へ届けることは、
その人のためだけではない。
届けている自分自身も、
その才能に照らされている。
まこの絵を広げようとするたびに、
私はまこの絵に教えられてきた。
急ぎすぎなくていい。
強く押しすぎなくていい。
人の心は、やわらかく動く。
本当に大切なものは、静かに届く。
私が外の世界で戦い、
交渉し、
企画し、
扉を叩いてきた一方で、
まこの絵はいつも、
その奥でこう言っていた。
人は、やさしさで動くこともあるんだよ。
その声を、
私は何度も受け取ってきた。
だから私にとって、
まこは単なるイラストレーターではない。
作品のパートナーでもあり、
人生の証人でもあり、
私の中の強すぎる部分をやわらげてくれる存在でもある。
私は彼女に、
現実を動かす力を渡してきたのかもしれない。
彼女は私に、
心を置き去りにしない感覚を渡してくれたのかもしれない。
そう考えると、
私たちは互いに、
足りないものを補ってきたのではない。
互いの偏りを、
別の光で照らしてきたのだと思う。
ソウルメイトとは、
完成された二人が出会うことではない。
未完成のまま出会い、
時にすれ違い、
時に助け合い、
時に相手の存在によって、
自分の役割を思い出す関係のことなのだと思う。
私は扉を開ける。
まこは心を灯す。
私は道をつくる。
まこはその道に花を咲かせる。
私は未来を語る。
まこはその未来に色を塗る。
私は人を動かす順番を探す。
まこは人が安心できる場所を描く。
どちらか一人では、
生まれなかったものがある。
二人だから、
届いた人がいる。
二人だから、
生まれた作品がある。
二人だから、
社会へ出ていった物語がある。
そして、
二人だからこそ、
私たちは自分自身の人生を、
少しずつ信じ直してこられたのかもしれない。
振り返れば、
私たちの歩みはいつも、
誰かの笑顔の方を向いていた。
結婚式の席次表。
馴れ初めの絵本。
赤ちゃんカレンダー。
宗像の文化遺産。
宗像の文化遺産にまつわるポストカードを贈呈した時も、
まこの絵は、土地の記憶を未来へ手渡す小さな灯になった。
一枚の絵は、
結婚式の席次表にもなり、
子どもたちの教材にもなり、
地域の文化を伝える祈りにもなる。
その広がりを見た時、
私たちが出会った意味は、
少しずつ社会の中で形を変えているのだと思った。
小学校の教材。
絵本。
自主映画。
保護猫の物語。
子どもたちへの講話。
その中でも、忘れられない時間がある。
小学校や中学校で、
子どもたちの前に立った日のことだ。
板橋区立板橋第十小学校では、
小学4年生の子どもたちが、
アーティストと一対一で向き合いながら、
自分の未来や人生設計を絵にしていく取り組みに関わらせていただいた。
そこでは、子どもたちがただ絵を描いていたのではない。
まだ言葉になっていない夢。
うまく説明できない将来への不安。
自分の中にある小さな希望。
それらを、大人との対話を通して、
少しずつ形にしていた。
その姿を見ながら、
私は思った。
人は、自分の未来を誰かに聞いてもらえた時、
はじめてその未来を信じ始めるのかもしれない。
また、足立区立伊興中学校では、
中学2年生の生徒たちに向けた職業講話に、
映像制作プロデューサーとして私が、
絵本作家・イラストレーターとしてまこが参加した。
私は、挑戦することの意味や、
人生の中で仕事がどのように形を変えていくのかを話した。
まこは、自身の生い立ちや、
言葉の力、そして「できない」ではなく「できる」と口にする大切さを、
子どもたちに伝えた。
そこにいた子どもたちは、
まだ何者でもなかった。
けれど、何者にでもなれる途中にいた。
その目の前で、
私は挑戦することの話をし、
まこは言葉の力について話した。
けれど振り返れば、
それはやはり、
私は扉を開ける話をし、
まこは心を灯す話をしていたのだと思う。
ああ、私たちが出会った意味は、
ここにもつながっていたのだと思った。
二人でつくってきたものは、
結婚式の一日を彩るためだけではなかった。
一冊の絵本を届けるためだけでもなかった。
映像作品を残すためだけでもなかった。
いつか誰かが、
自分の人生をあきらめそうになった時、
「自分にも、まだ何かできるかもしれない」
そう思える小さな火を、
未来の中に置いていくためだったのだ。
形は違っても、
根っこは同じだった。
誰かの心が、
少しでも明るくなるように。
誰かが、
自分の人生を少しだけ好きになれるように。
誰かが、
もう一度歩こうと思えるように。
私たちは、
それぞれの方法で、
同じ祈りを届けてきた。
だから私は、
まことの出会いを、
ただの仕事の出会いとは思っていない。
もちろん、
すべてを美談にするつもりはない。
人生には現実がある。
お金の問題もある。
仕事の不安もある。
家庭のこともある。
疲れる日もある。
うまくいかない日もある。
けれど、
その現実の中でなお、
一緒に何かを生み出し続けてきたこと。
それこそが、
ソウルメイトという言葉の本当の重みなのだと思う。
魂の縁とは、
甘く美しいだけのものではない。
時に現実の泥の中を歩きながら、
それでも同じ光を見失わない関係なのだと思う。
私はこれまで、
多くの人に出会ってきた。
営業として。
プロデューサーとして。
絵本を書く者として。
自主映画を撮る者として。
講師として。
その中で、
たくさんの才能を見てきた。
けれど、
まこの才能には、
特別な静けさがある。
それは、
人を圧倒する才能ではない。
人を置いていく才能でもない。
そっと隣に来て、
「あなたはあなたのままでいい」
と、絵で伝える才能だ。
そして私は、
その静かな才能を、
これからも必要な場所へ届けたいと思っている。
なぜなら、
この時代には、
まこのようなやさしさが必要だからだ。
強い言葉があふれている。
正しさがぶつかり合っている。
速さが求められている。
結果が急かされている。
そんな時代だからこそ、
人はふと、
責められない場所を求めている。
急がされない時間を求めている。
自分を否定せずにすむ言葉を求めている。
まこの絵は、
その場所になれる。
そして私は、
その場所へ人を案内する役割でありたい。
扉を開ける人と、
心を灯す人。
もし私たちの関係に名前をつけるなら、
やはりそれが一番しっくりくる。
私は、まこの心の扉を開けたのではない。
まこはもともと、
自分の中に深い世界を持っていた。
私はただ、
その世界が外へ出る道をつくっただけだ。
まこは、私の人生を劇的に変えたのではない。
私はもともと、
扉を叩き続ける人間だった。
ただ、まこの絵と出会ったことで、
その扉の向こうに置くべきものが、
よりはっきり見えるようになった。
外へ向かう力と、
内側を癒す力。
この二つが出会った時、
仕事はただの仕事ではなくなる。
作品はただの作品ではなくなる。
それは、
誰かの人生にそっと触れるものになる。
私は、
ソウルメイトとは、
そういう共鳴のことだと思っている。
同じ音を鳴らすのではない。
違う音なのに、
重なった時に、
一つの響きになる。
ピアノの低音と高音のように。
光と影のように。
風と花のように。
扉と灯りのように。
私とまこは、
まったく違う音を持っている。
けれど、
重なった時にだけ生まれる響きがある。
その響きが、
これまでたくさんの作品になり、
仕事になり、
物語になり、
誰かの笑顔になってきた。
だから私は今、
静かに思う。
出会いは奇跡だった。
けれど、
奇跡は出会った瞬間だけにあるのではない。
出会ったあと、
何年もかけて、
互いの違いを抱えながら、
それでも何かを生み出し続けてきたこと。
その積み重ねこそが、
本当の奇跡なのだと。
あの日、
大井さんが一枚のポストカードを差し出した。
そこから始まった小さな縁は、
やがて結婚式場へ届き、
お客様の笑顔へ届き、
東京ビッグサイトへ届き、
宗像の文化へ届き、
子どもたちの学びへ届き、
絵本へ届き、
自主映画へ届き、
今もなお、どこかへ向かっている。
人生は不思議だ。
一枚の絵が、
一人の人を動かす。
一人の紹介が、
二人の人生を交差させる。
一つの出会いが、
いくつもの作品を生み出す。
そして、
その作品がまた、
誰かの心に新しい出会いを運んでいく。
だから私は、
これからも信じたい。
人は、
出会うべき人と出会う。
ただしそれは、
何もしなくても与えられる運命ではない。
描き続けた人がいて、
信じ続けた人がいて、
紹介してくれた人がいて、
受け取った人がいて、
動いた人がいる。
奇跡は、
誰かの小さな行動の連なりでできている。
まこが描き続けたから、
私は出会えた。
私が扉を叩き続けたから、
まこの絵は外へ出た。
大井さんが橋をかけてくれたから、
二つの道は交わった。
そして、
その交差点から、
新しい物語が始まった。
私は思う。
幼い頃、
母のために焚いた風呂の火は、
消えていなかった。
あの火は、
ピアノの音になり、
トランペットの息になり、
営業の言葉になり、
企画の熱になり、
やがて、まこの絵を社会へ届けるための灯になった。
まこが一人で描き続けた絵も、
消えていなかった。
あの絵は、
ポストカードになり、
結婚式の席次表になり、
絵本になり、
教材になり、
そして一つの自主映画の中で、
誰かの心を包む陽だまりになった。
私たちは、
それぞれの孤独を、
それぞれの方法で抱えてきた。
そして出会った時、
その孤独は、
誰かを照らすための光に変わり始めた。
これが、
私たちのソウルメイトの形なのだと思う。
甘くはない。
単純でもない。
きれいな物語だけではない。
けれど、
深い。
とても深い。
人生の底の方で、
互いの痛みが、
互いの役割を呼び合っていたような気がする。
私は扉を開けるために生きてきた。
まこは心を灯すために描いてきた。
そして二人は出会った。
誰かの人生に、
まだ見えていない光を届けるために。
* * *
最後に、こう残したい。
ソウルメイトとは、
同じ道を歩く人ではない。
あなたが開けた扉の向こうで、
あなたには灯せない光を、
静かに灯してくれる人である。
ソウルメイトとは、
同じ傷を持つ人ではない。
あなたの傷が光になる場所を、
黙って知っていてくれる人である。
これは、私たちが実際に歩いてきた出会いと共創の記録です。
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