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自分の存在理由


「自分の存在理由ってなんだろう」

そう考え始めたのは、
なにか大きな出来事があったからじゃない。

失恋したわけでも、
夢に破れたわけでもない。

ただ、
電気を消したあとの静かな部屋で、
急にその問いだけが浮かんできた。

私がいなくても、
世界は普通に回る。

コンビニは開くし、
電車は走るし、
SNSも更新され続ける。

じゃあ、
私がここにいる意味ってなんなんだろう。

そんなことを考えた夜が、
きっと一度はあると思う。

昔の私は、
「誰かに必要とされること」こそが
存在理由だと思っていた。

役に立てたときは安心して、
褒められたら少し自信が持てて、
反応がなければ急に不安になる。

まるで、
他人の評価がないと
自分の輪郭がぼやけてしまうみたいだった。

でもそれって、
あまりにも不安定だった。

昨日は必要だったのに、
今日は別にいなくてもいい存在になる。

そんなの、
心が持つわけがない。

存在理由を
他人の手の中に置いていたら、
ずっと揺れ続ける。

じゃあ、自分の内側にあるのかと言われると、
それも簡単じゃない。

「私はこれがあるから生きている」と
迷いなく言える人はかっこいい。

でも正直、
好きなことだって揺らぐ。

昨日まで楽しかったことが
急に色褪せたり、
情熱が続かなかったりする。

それでも最近、
少しだけ思うようになった。

存在理由って、
見つけるものじゃなくて、
あとから勝手についてくるものなんじゃないかって。

何気なく書いた言葉が、
誰かの夜を少しだけ軽くすることがある。

本人は覚えていなくても、
誰かの記憶に残っている優しさがある。

自分では
「大したことない」と思っている行動が、
誰かにとっては救いになっていることもある。

それって、
宣言していなくても
ちゃんと存在理由になっている。

自覚がなくても、
もう成立している。

そう思えたとき、
少しだけ肩の力が抜けた。

私たちは、
何者かにならなくてもいいのかもしれない。

大きな使命がなくても、
すごい肩書きがなくても、
毎日完璧に頑張れていなくても。

朝起きて、
眠い目をこすって、
なんとなくスマホを見て、
誰かの投稿にクスッと笑って、
たまに落ち込む。

そんな一日でも、
その人がいなかったら成立しない時間が、
どこかに必ずある。

家族の中での立ち位置。

友達との何気ない会話。

タイムラインに流れる
たった一言。

小さすぎて見えないだけで、
ちゃんと影響は残っている。

それでも、
「私は本当に必要とされているのかな」と
不安になる夜はなくならない。

孤独は定期的にやってくるし、
意味のなさに飲み込まれそうになる瞬間もある。

でも今は、
こう思うようにしている。

存在理由は、
証明しなくていい。

誰かに「いてよかった」と言われなくてもいい。

数字が伸びなくてもいい。

結果が出なくてもいい。

ここまで生きてきた。

泣いた日も、
失敗した日も、
どうでもよくなった日も、
全部くぐり抜けて、
今ここにいる。

それだけで、
もう十分すごい。

私たちはつい、
「何を成し遂げたか」で
自分を測ろうとする。

でも本当は、
何度折れそうになっても
まだ立っているという事実のほうが、
ずっと価値がある。

存在理由は、
未来のどこかにあるゴールじゃない。

今日、呼吸していること。

今日、誰かを少しでも想ったこと。

今日、自分を完全には見捨てなかったこと。

その積み重ねが、
あとから振り返ったときに
輪郭を持つ。

「ああ、これが私の存在理由だったのかもしれない」と。

だから今は、
無理に答えを出さなくていい。

わからないままでもいい。

揺れていてもいい。

探して、迷って、
それでも生きているその姿勢こそ、
もう十分に意味がある。

もし今、
「自分なんて」と思っているなら、
ひとつだけ覚えていてほしい。

あなたがいない世界を、
私は知らない。

そしてきっと、
あなたのいない世界を
想像できない人が、どこかにいる。

存在理由は、
派手じゃなくていい。

静かで、
目立たなくて、
たまに自分でも忘れてしまうくらいでいい。

それでも確実に、
あなたはここにいる。

それだけで、
もう十分だと思う。

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