おもへばとほくへきたもんだ
「思えば遠くへ来たもんだ」とつくづく感慨深くなっている今日この頃
その感慨の深さを現すために、旧仮名遣いを使って
「おもへばとほくへきたもんだ」というタイトルにしてみたよ!
どうかしら?伝わったかな???
☆おもへば(思えば):ハ行四段活用動詞「思ふ(おもふ)」の已然形なので、現代の「え」は「へ」になる
*已然形とは、すでにその状態が現実になっていること(己に然り)を表す形
☆とほく(遠く):形容詞「遠し」の連用形は「とほく」と書くため、現代の「お」は「ほ」になる
*連用形は動きや状態を表す言葉に連なる形
これから伝えることは仮定かもしれないし真実かもしれない
さて、本来、ワレワレ人間は自然の一部として存在して、自然の調和がもたらす循環によって生きていたので、何かを必要とすることもなかった
故に、自然の調和から離れた時(分離)から、何かを必要とすることになる
食べ物、寝る場所、着る物から始まって、様々な物質を欲するようになり、土地そのものや自分以外の人間、そして、お金に至る
これらを所有だけには留まらず、貯蔵したり増加に励むようになった
面白いことに自然を所有して思うままにしようとすらするのだ
『自然の一部であるワレワレ人間が、自然を所有しようとする』
例えばある土地を所有して、元々いた微生物を無視して土をいじり、どこかから持ってきた微生物をばら撒き、本来の循環を自分の都合で変える
その自分の都合が「自然豊かな土地づくり」だったり、もする
ワレワレが自然から離れれば離れるほどに不安が出てくるのは当然だ
循環から遠ざかっているのだから、循環によって自動的に得ていた生きるのに必要なものが、意図的に得なければ生きれなくなったのだから
だから、不安を動機として何かをすることを控えた方がよい
不安を安心に変えるために何かをすることを控えた方がよい
ますます分離を進めてしまうから
調和へ戻るためにできることは
不安と共に生きること
不安を内包したまま堂々と生きること
この生き方ができるようになったら、調和の色が自分の中で濃くなる
すると調和の安心というものと繋がってくる
この安心を外側へ向けて表わすようにすればよい
特別に何かするということではなく、ただ安心に身を任せるだけでいい
ただし、不安をなくそうとしてはならない
不安を内包したままで安心に身を任せるのだよ
現在の人間世界の在り方を眺めてみると
「自然という大元から離れてとても遠くへ来てしまったなぁ」
と、哀愁漂うノスタルジックな想いになる
この想いは過去を振り返ったからこそ抱くものであり、つまりは分離への道の行き止まりなのだ
そう、調和へ戻る合図と言っても差し支えないだろう
遠くへきたからこその不安
不安を内包したまま堂々と生きることで不安が勝手に薄まる
不安は薄まるだけで無いわけではない、無くなるわけでもない
不安を内包したまま堂々と生きることが、調和に帰ること
「帰ろうか、もう帰ろうよ」
「かえらふか、もうかえらふよ」
不安を内包したまま堂々と生きるために
「心磨こうか、もう心磨こうよ」
「こころみがかふか、もうこころみがかふよ」
