時計、カレンダー、年表(人のつくるものについて・02)
前回の「地図、年表、地球儀(人のつくるものについて・01)」は、次の話で終わりました。
そう言えば、時計も丸いというか円形をしています。文字盤がです、アナログ時計の場合に。
いずれにせよ、とにかく、そんなわけで、線状のものには「始まりと途中と終わりがある」感が濃厚であるのに対し、円状や球状のものには「始まりと途中と終わりがある」感がきわめて希薄であるか、まったくないという結論に達しました。
今回は、その話の続きです。
で、下にあるこの連載の「お題箱」を眺めていたのですが、今回のお題は「時計、カレンダー、年表」にします。
小説、物語、詩、俳句、辞書、電話帳、おみくじ、紙幣、楽曲、映画、漫画、アニメ、ゲーム、お芝居、瞬間芸、写真、鏡、ガラス、絵、地図、地球儀、ボール、サイコロ、ルービックキューブ、彫刻、時計、カレンダー、年表、物差し、巻き尺、温度計、秤、スマホ、茶碗、鍋、箸、綿棒、歯ブラシ、歯磨き粉、人形、観覧車、自動車、道路、下水道、電線、歴史、人生。
時計、カレンダー、年表
時計には、始まりと途中と終わりがあるのか?
カレンダーには、始まりと途中と終わりがあるのか?
年表には、始まりと途中と終わりがあるのか?
上のように書くと、いかにももっともらしく見えるし響きもします。広告のコピーにありそうな文句にも感じられます。本の帯にも書いてあっても、おかしくない気もします。
同時に、うさん臭くもあります。冗談やおふざけにも聞こえます。シュールな響きもあるので、詩の一節だと言われれば、「なるほどね」と納得するかもしれません。
誰かの目の前で、こんなことを口にすると正気の沙汰でないと思われても致し方ありません。
Saturday Night
サダデナイ、サタデナイと連呼しているように聞こえます。往年の名曲です。
連呼、反復、循環、サイクル、輪、回転、ころころ、くるくる。
Bay City Rollers 。roller ――名は体を表す。
Rock ’n’ Roll。
*
話は変わりますが、単純明快な短いフレーズをえんえんとくり返していると、人は酔います。陶酔もあれば泥酔もあります。
忘我とかエクスタシーというやつです。要注意。危険です。
線状のもの、丸いもの
仕切り直します。
時計には「始まりと途中と終わり」感があるか?
カレンダーには「始まりと途中と終わり」っぽさがあるか?
年表には「始まりと途中と終わり」らしさがあるか?
○○感、○○っぽさ、○○らしさ、こんなふうに言い換えるといくぶん、まともに響くかもしれません。語感や五感は人それぞれですけど。
ところで、「っぽさ」なんて馬鹿っぽくないですか?
*
仕切り直します。
・線状のもの(線上を進むもの)は、時間的も空間的にも、どんどん「のびていく・伸びていく・延びていく」感じがする。つまり、「始まりと途中と終わり」感が強い。たとえば、物差しや年表や孫の手がそう。
・丸いもの(円状・円形、球状・球形)は、時間的にも空間的にも切りがない感じがする。つまり、どこで切れるか分からない感じがする。切りがない⇒果てがない⇒限りがない。面倒だから、サイクル(循環し続ける)とか反復するものとして片づける。例:時計・地球儀・巻き尺。
・丸いとも線状とも言えそうなもの(=言えそうでもないもの)を、分けて(切って)、束ねて綴じて本や冊子にする。そうやってお茶を濁すのも、とりあえずの(一つの)方法かもしれない。たとえば、カレンダー、年表本、区分地図、航空写真集のように。
世界の果て、宇宙の果て、この世の果て
時間であれ、空間であれ、果てとか、限りとか、究極的に切れるところがあるかどうかが不明なものは、線としてとらえるしかなさそうです。つまり、イメージするのです。
終わりがある、終わりがあるはずだ、というオブセッションをとりあえず線という「見える」イメージにして、なだめる。
数学とか物理学ではそんなイメージの処理をやっているのでしょうが、私は知りません。特に知りたいとも思いません。
知るよりは考える。考えるよりは思う。思うが、いちばん気楽そうです。あまりストレスにならなそうという意味です。
いずれにせよ、世界の果て、宇宙の果て、この世の果てなんていうのは、不気味です。考えると精神的にも身体的にもストレスになりそうなので私は避けます。
ぼーっと思いにふけるのがよさそうです。年を取って病をかかえている身だと、なおさら。
長いものを収納する
時間にしろ、空間にしろ、人は線状にたどっていくというイメージを持っているようです。
それが「始まりと途中と終わり」という感じ、つまりイメージだと私は考えています。
「始まりと途中と終わりがあるんだ! ええ、ありますとも!」(オブセッション)というよりも、むしろ「始まりと途中と終わりみたいなものが、ねえ、なんか、こう、あるみたいなの――」というイメージ。
アナログ時計を見ていると、長針と短針の先っぽが刻々と円状に動いていきます。針の先端は点ですから、ある一点から次の一点へと移るわけです。
ある一点から、次の一点へ。
時計、カレンダー、年表。
*
道を歩いていると、自分が一点から別の一点へと移っているのを感じます。これは、いったん立ち止まると分かります。
「移っている」というのは「立ち止まる」ことで分かるものなのかもしれません。
「思う」(うつる・うつろう)から「考える」(思考する)、そして「知る」(知識として定着させる)という感じ。そのためには立ち止まることが必要です。
人は立ち止まると点になるのです。目も点になります。今のは冗談です。失礼しました。
*
点から点へ。地点から地点へ。時点から時点へ。
そうした移動は、距離という隔たりであり、「あそこ」から「ここ」であると同時に、「さっき」から「いま」という時間的な隔たりでもあります。
時計、カレンダー、年表。
隔たりとは線なのです。枠があり限定された知覚機能を持つ、ヒトという生物のいだくイメージと言うべきでしょう。
(普遍とか不変とか真理なんて、限りのある、まだらでまばらな知覚機能と認知機能がそなわった生き物には、きっと荷が重すぎるのです。真理ではなく、むしろ心理の問題でしょう。)
線はえんえんとたどるわけにはいきませんから、その線を円状にすれば、サイクルとか反復というかたちでたどれる気がします、人としては、人情としては。
そんな気がするだけなのです。
*
それは、えんえんと続くものを収納する行為ではないでしょうか。収納する。これは、限定された知覚と認知機能をさずかった人類の知恵なのです。
そんなわけで、納めれば、気持ちも収まります。
収納する、しまう・仕舞う・了う・終う、おしまい・お仕舞い・お終い、すっきり。
物差しをえんえんと長くすると不便ですから巻き尺にするというイメージ。
線 ⇒ 巻く ⇒ 円
線を巻いて丸く解決する(おさめる)なんて、「気やすめ・気安め・気休め」なのかもしれませんが、果てを果てしなく考えるよりは、ましではないでしょうか。
やすむ・休む・息む・休息
やすまる・休まる、安まる
*
果て、果てる。
要するに、「終わり、終わる」ではないでしょうか? 終わりはしぶといようです。
いずれにせよ、「果て」なんて縁起でもない。その語感がどうも……。
「は」行は、ため息っぽいのです。最ゴに発しそうな感じ。「はて…」なんて。
この世の果て。世界が終わるとき――。世界末日。
The End of the Word
とりあえず、いったん休みましょう。戦うのを。このままでは必ず果てに至ります。
(つづく)
