動かす
たとえば、「ある」を「ない」に。「ない」を「ある」に。
ままならない現実を言葉に変えていじる。これは、誰もが頼る手段だと思います。
言葉になった現実をいじって、その実現を祈るのです。言葉になった現実は夢。その夢の実現を祈るのです。
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たとえば、「である」けど、本当は「ではない」はず。「ではない」けど、本当は「である」はず。
現実の辻褄を言葉で合わせる。これも、誰もが頼る手段でしょう。
ままならない現実を言葉としていじって帳尻を合わせることで、現実のままならさに抗おうとするのです。
つつましくささやかな形で現実に抵抗する。その姿は、けなげでいじらしい。
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権力を握っている者が、言葉で現実の辻褄合わせをしようとする場合は、どうでしょう?
最高権力者と呼ばれる人たちが世界には何人もいます。単なる権力者もたくさんいます。あちこちにいます。
その人たちの言葉の上での辻褄合わせに付き合わされるのは、普通の人びとです。
たった一人の、または一部の人たち、少数の集団の言葉上の辻褄合わせに付き合わされる。
それだけでも恐ろしいことであり、悪夢でもありますが、もっと恐ろしいことがあると思います。
言葉の辻褄合わせを現実でやろうとすることです。私の好きな言い方をすると、現界で言界の辻褄を合わせることです。
これは現界で幻界の辻褄合わせることでもあります。言葉や文字に置き換えられた思いの辻褄を現実の世界で合わせようとするのです。
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思いは自分の中にありながら容易にはいじれません。自分の中から思いを出すかたちで言葉や文字に変えれば、いじることができます。
言葉の上ではいくらでも辻褄合わせをすることができるのです。思いどおりにならないものが、なんとか思いどおりになる。
それだけでは物足りなくなります。言葉と文字の辻褄合わせを、今度は現実でやろうとするのです。
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自分の都合で合わせた言葉の辻褄に合うように、現実を合わせようとする。現実での辻褄合わせです。
個人のレベルならいいでしょう。ささやかな夢の実現のための努力です。
権力を持つ者の現実での辻褄合わせになるになると事は重大です。
普通の人びとが、その辻褄合わせに付き合わされることになります。権力は権威だけでなく武力と腕力と金力を備えていますから、有無を言わせません。
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仮に、たった一人の夢が実現したとします。実現させたのは、その人ではないでしょう。
その人に指をさされ指図された、たくさんの人たちが実現させたのです。その人は人差指を動かしただけ。
現実の辻褄合わせを言葉でするというのは、それに似た容易さ、いや安易さがあります。楽なのです。
その安易さは、私たち一人ひとりが言葉で辻褄合わせをする安易さでもあります。指一本でできる安易さです。他人事ではないのです。
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現実はままならないものです。
現実を動かす。現実を変える。言葉で言うのは容易ですが、実際にやろうとするには命をかけなければなりません。
指一本を動かすだけで、できることではありません。
それほど現実はままならない。現実とは、人の外にある出来事であり物だからです。
人の中にある思いや、人の中から出る言葉とは、そこが大きく異なります。まったくの別物であり異物なのです。
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現実をいじる。現実を変える。現実を動かす。そのために血と汗と涙が流れるのは歴史を振りかえればわかります。
自分の夢のためになら、血も汗も涙も流しがいがあるでしょう。
たった一人や一部の人が壮大な夢を言葉で描いて示すとき、普通の人びとは自分たちのささやかな夢を、犠牲にしなければなりません。
ささやかな夢が壮大な夢につぶされるのです。
夢は言葉や文字にして他人に押し付けるものであってはならないと思います。
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最高権力者と呼ばれる人たちが言葉の辻褄合わせに血道を上げているのは、みなさんがご存じのとおりです。
言葉と文字の上での体裁を整え取りつくろうことが(法もその一つですが、私は不案内なので立ち入りません)、自分たちの面子を保つために死守すべき要塞であるかのように振る舞っています。
あの人たちにとって、言葉と文字(言辞と文言)がそれほど大切なものであるのは不思議と言えば不思議です。
言葉と文字の前にひれ伏しているかのように、その帳尻合わせに躍起になっています。言葉と文字を、あがめたてまつる。そんな感じです。
言葉と文字が人に働きかけ、人を動かすことを知っているからにちがいありません。だから、老いと病くらい、言葉と文字が怖いのでしょう。
発したとたんに消えていく言(こと)は事(こと)として、つまり出来事として「いまここ」で人を動かします。一方、消さない限り残る痕跡である文字は、物として人を動かしつづけるのです。
人を動かす――。心を「動かす」と、物理的に身体を「動かす」の両方の意味です。一時的に、または断続的に、あるいは持続的に。
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言葉と文字は、あがめたてまつられる。ありとあらゆることとものが、言葉にされ、文字にされて保存されていく。権力者さえ、その前にひれ伏す。
言葉と文字(言界)が、人の中(幻界)と人の外(現界)をつないでいるからでしょうか。
人は世界と森羅万象をいったん言葉と文字に置き換えて、「世界」と「森羅万象」と見なしているにちがいありません。
それならそれで、まだ救いがありますが、ひょっとすると、置き換えたことを忘れて、世界と森羅万象そのものだと本気で思い込んでいるのかもしれません。
この人だけにしか通じないギャグは、たとえ世界には通じても、自然には通じないでしょう。言界の限界は、この星のあちこちで露呈しはじめています。
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言葉と文字は人を動かす――。ほかに人を動かすものがあるでしょうか?
人は言葉と文字でしか動かなくなってしまった――。もしそうなら、これほど、おそろしいことがほかにあるでしょうか? 人は生き物として何か大切なものを失っているはずです。
